Sisters:WikiWikiオンラインノベル/過去への逃走

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 ダイヤを握り締め階段を駆け上がる次男坊の背中を俺は追う。ダイヤを狙う賊の正体が身内だったとは予想外だったが、屋敷の外には厳重な警備を敷いてある。逃げさせはしない。

 広い階段を登り切った彼はこれまた広い廊下を息を切らして走って逃げる。急に駆け出されて遅れをとったが、しょせん刑事の俺とは鍛え方が違う。もう少しで追いつけそうだ。

 次男坊は廊下の突き当たりの扉を開け、中によろめき入り、閉めようとした扉を俺はがっしりと掴んだ。彼は舌打ちをして中に逃げ込み、俺は油断なく室内へと足を踏み入れた。

 そこは見覚えのある物置だった。今朝、ダイヤを保管するための大型金庫をここから引っ張り出してきたのもここだった。物置とはいえさすがは大富豪の屋敷、小さなパーティーが開けるほどの広さがある。壺や絵画といった骨董品から冷蔵庫や発電機のような機械類、果てには自称発明家である次男坊が作った得体の知れないガラクタまで、実にさまざまな品々が雑多に置かれている。

 それらの奥、部屋の一番奥に立つ縦長のポッドのような装置に手をついて、次男坊は息を整えていた。その右手には依然、彼の母が所有する時価数億円とも言う最高級のダイヤモンドが握られている。俺と目が合うと、彼は懐からライターを取り出しダイヤに近づけた。

「そこから動かないでください、刑事さん。ダイヤが燃えることは知っていますね?」

 彼にダイヤを燃やすつもりはないとわかっていたが、俺は立ち止まった。

「もう逃げ場はないぞ。大人しくそのダイヤを渡すんだ」

「嫌ですよ。それじゃ盗んだ意味がない」

 実際、なぜ彼が強奪に踏み切ったのか、わからない。ダイヤ奪取の予告状が届いてから、屋敷の内にも外にも夥しい数の警官が配置され、水も漏らさぬ警備体制が敷かれていたのだ。確かに次男坊は屋敷内部の人間だから侵入は問題ない。しかし、屋敷からの脱出は到底不可能だと彼もわかっているはずだ。

「そんなことより刑事さん、どうでしたか僕の計画は。見事だったでしょう?」

 次男坊は不敵に笑って眼鏡を押し上げた。部屋の外でドタドタと足音がする。警官たちが駆けつけたのだろう。振り向かずに手で制止しながら、俺は会話を続けた。

「ああ、正直な。偽の怪盗の予告状を自分の家に送るとは。母親は盗まれるのを恐れて、警備を敷いた上でダイヤをより強力な金庫に移し替えようとした。そこを横にいたお前が不意をついて奪い取る。母親がダイヤを金庫から出すことが、お前には読めていたのか?」

「ええ。あいつは図々しいくせにとびきり怖がりですから。予告の前日くらいにそうするだろうと思っていました」

「全て計画通りというわけか。まんまと乗せられたな。あのコンテナみたいなバカでかい金庫をここから下まで運んだのは俺たちなんだぞ。十人がかりだ。奥にあったのを物置の外まで出すだけで二時間かかった」

「まさかダイヤでなくてあの金庫を動かすとは思いませんでしたよ。現金とか権利書とかが既に入ってる金庫なので、中身を出して軽くしてから運ぶわけにもいきませんし。計画ではダイヤが一階のケースから二階の金庫に運ばれる間に強奪する予定だったんですが、おかげでケースから取り出されて金庫に入れられるわずかな間に決行しないといけなくなりました」

「だが、これほど大規模な警備を敷くとは予想できなかったようだな。この物置はこのドアしか出口はない。逃がしはせん」

「いいえ、刑事さん。僕はそれも予想していましたよ」

 俺は内心首を傾げた。次男坊がダイヤを盗んだのは、金目的に間違いないだろう。趣味の発明に母親がお金を出さなくなって鬱憤が溜まっていたと聞く。だから彼はダイヤを売らないといけず、ダイヤを燃やしたりなど決してしない。だが、ダイヤを売るにはここから逃げおおせなければならない。

「そうですよ刑事さん。逃げ道は事前に用意済みです」

 俺の戸惑いを見透かしたように彼は笑った。

「みんな僕のことをガラクタばかり作ってる道楽息子と思っています。腹立たしいですが、僕はそれを逆手に取りました。刑事さん、あなたは幸運ですよ。僕の長年の研究の精華、タイムトラベルの初めての目撃者になるんですから!」

「タイムトラベルぅ?」

 俺は耳を疑った。つぎに次男坊の正気を。だが、彼は嘲りと誇りの入り混じった目でこちらを見ると、傍らの装置に触れた。すると、縦長のポッドに薄明るい光が灯り、ブウンとうなり始めた。

「信じていませんね。いいですよ。すぐにその目で確かめることになりますから。おっと、まだ近づいちゃだめですよ」

 次男坊はおもむろに片方の靴を脱ぐと、ポッドのガラス扉を開いて中に放り込んだ。そして中のスイッチをがちゃがちゃいじり、最後に外から扉を閉めた。すると、ポッドの中が煌々と光ったかと思うと、バシュンという音とともに光が消えた。ポッドの中を見て俺は目をみはった。入っていた靴が跡形もない。

「ははは、驚いてますね? これが僕の発明したタイムマシンです。正確にいえば、中のものを地球を中心とした空間座標はそのままに時間軸のマイナス方向に転送する装置なんですが……わかるように説明してあげると、中のものを過去の同じ場所にタイムスリップさせるんです」

「まさか、そんなことが……」

「今は一日前が限度ですが、ダイヤを売った資金で研究を進めれば、もっと遠い過去にも行けるようになるでしょう。わかりましたか、刑事さん? 僕の用意した逃げ道が」

「お前は、過去に逃げようとしているのか!」

「その通りですよ刑事さん! どうです、僕の完璧な計画は! あなた方が屋敷に到着して警備を始めたのは今朝のこと。今、あなた方の包囲網は完璧だ。これからも、十分な態勢を整えることはできる。でも、過去はどうです? ダイヤが奪われる一日前にダイヤを取り戻せますか、刑事さん! 装置の操縦の仕方は僕しかわからないから、追いかけることもできない。僕は今から、警備の敷かれる前にダイヤを持って悠々とこの屋敷から出て行ってみせますよ!」

 彼はそう叫ぶと片足は靴下のままポッドの中に飛び込んだ。同時に俺は駆け出した。大量の警官がなだれ込んでくる。しかし、俺が装置の扉に手をかける寸前、次男坊はポッドから過去に旅立った。

 一時間後、俺は犯人を逃がしてしまった衝撃と、報告書になんと書けばいいのかという絶望に打ちひしがれながら、ヒステリックに何かを叫び立てる母親に頭を下げていた。警官たちがポッドの中を仔細に調べたが、抜け穴の類いは一切なかった。もはや彼は本当に時間を遡ったと信じるよりほかない状況だった。彼は今ごろどうしているのだろう。いや、今ではなく昨日か。彼は『一日前の同じ場所にタイムスリップする』と言っていた。つまり、彼は警備のない昨日の物置にたどり着き、未来で盗んだダイヤを持って外に行けるわけだ。そういえば、金庫を運んだ時に物置にあんな装置があったような気もする。大きな金庫を外に出すために、周りのガラクタを一旦外に出してからまた中に入れ直したのだ。その中によもやタイムマシンが入っているとは……。

 はっと俺は顔を上げた。

「奥さん、お手数をかけますが、あの金庫を開けていただけませんか」

 母親は随分渋ったが、捜査への必要性を強く訴えると最終的には折れた。ダイヤルを右に左にぐるぐると回し始める。

 今朝まで、コンテナのように大きなあの金庫は物置の奥にあった。そして金庫を運び出した後にタイムマシンは物置に再度入れられ、奥に置かれた。つまり、次男坊がタイムスリップした時のタイムマシンと昨日の金庫は大体同じ場所にあったことになる。タイムマシンから一日前の同じ場所に時間遡行した時、その場所は……。

 かちりと金庫が開錠されると俺は扉を引き開けた。大量の札束の上に座っていたのは、両方の靴をしっかりと履いた次男坊だった。

「よう、一日ぶりだな」

 力なく俺を見やった彼は、ダイヤを投げてよこした。

「いいのか?」

「ダイヤは飲めないし食えないですから」

 彼はかすれた声で呟くと、札束にもたれかかった。俺は控えている部下に、丸一日金庫の中で断食したタイムトラベラーに水と食べ物を用意するように言った。