「叙述トリック」の版間の差分

102 バイト追加 、 2年8月2日 (I)
改稿
(改稿)
(改稿)
58行目: 58行目:
<br>「作者が読者を騙す…」
<br>「作者が読者を騙す…」
<br>「そしてそれは'''フェアでなくちゃいけない'''。さっきの例で行くと、途中で『花子は三郎の{{傍点|文章=妻}}だ』と書いてあるのに、最後になって『花子は男なんです!』と言っちゃあダメだ。整合性が取れてないだろ? ただし語り手が勘違いしているなどの事情があれば構わないから、'''三人称の地の文で虚偽を書いてはいけない'''とされるのが一般的だな」
<br>「そしてそれは'''フェアでなくちゃいけない'''。さっきの例で行くと、途中で『花子は三郎の{{傍点|文章=妻}}だ』と書いてあるのに、最後になって『花子は男なんです!』と言っちゃあダメだ。整合性が取れてないだろ? ただし語り手が勘違いしているなどの事情があれば構わないから、'''三人称の地の文で虚偽を書いてはいけない'''とされるのが一般的だな」
<br> 当時の俺は分かったような分からないような感じだったが、疑問は残った。
<br> 当時の俺はわかったようなわからないような感じだったが、疑問は残った。
<br>「なんでそんなことするの?」
<br>「なんでそんなことするの?」
<br>「まあ、理由は大きく分けて2つだろうな。
<br>「まあ、理由は大きく分けて2つだろうな。
80行目: 80行目:
<br> 午前10時、僕たちは作られた商品をひたすら箱に詰める作業をしていた。コンベアーに乗った石鹸を片っ端から紙の箱に入れ、蓋を閉じる。ロボットでもできるだろと思うが、嘆いても詮方ない。単純作業ここに極まれりだ。まったく、暇で暇でしょうがない。
<br> 午前10時、僕たちは作られた商品をひたすら箱に詰める作業をしていた。コンベアーに乗った石鹸を片っ端から紙の箱に入れ、蓋を閉じる。ロボットでもできるだろと思うが、嘆いても詮方ない。単純作業ここに極まれりだ。まったく、暇で暇でしょうがない。
<br>「ねえ小島さん、朝の続きを話してくださいよ」
<br>「ねえ小島さん、朝の続きを話してくださいよ」
<br> そこで僕は、小島さんに話の続きをするよう催促した。少しでもこの時間を有意義に使いたいという思いが芽生えてしまったのだ。叙述トリックの説明はあらかた終わったと思うんだが、続きとは何だろう? 横の京極さんと三津田さんも、目を輝かせて小島さんを見つめている。この人たちホントに50代か? 目の輝きは小学生だぞ?
<br> そこで僕は、小島さんに話の続きをするよう催促した。少しでもこの時間を有意義に使いたいという思いが芽生えてしまったのだ。叙述トリックの説明はあらかた終わったと思うんだが、続きとは何だろう? 横の京極さんと三津田さんも、目を輝かせて小島さんを見つめている。この人たちホントに50代か? 目の輝きは小学生のそれだぞ?
<br> 小島さんは「しゃあねえなあ」と言いつつも、どこか楽しげに続きを話し始めた。
<br> 小島さんは「しゃあねえなあ」と言いつつも、どこか楽しげに続きを話し始めた。


90行目: 90行目:
<br>「せっかくケンちゃんが賞状貰ってきたのに、お父さんったら政治、政治ってそればっかり。少しは気にかけてやってくださいよ」
<br>「せっかくケンちゃんが賞状貰ってきたのに、お父さんったら政治、政治ってそればっかり。少しは気にかけてやってくださいよ」
<br>と嗜めた。だが親父は、
<br>と嗜めた。だが親父は、
<br>「気にかけてるよ。それに、弟ってのは兄の背を見て育つもんだ。だからトシも優秀に育ってるし、これからもそうだろう。な?」
<br>「気にかけてるよ。それに、弟ってのは兄の背を見て育つもんだ。だからお前も優秀に育ってるし、健児もそうなるだろう。な、健児?」
<br> 事実俺はそんなに気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。親父が言うように、兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ弟がそうじゃないことは、あんたらも知っての通りだ。
<br> 事実、親父が褒めるかどうかなんて俺は気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。親父が言うように、兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ弟がそうじゃないことは、あんたらも知っての通りだ。
<br> そしてその次の日の午後3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。さあ食べようと冷蔵庫を開け放ったんだが、確かに2段目に入れといたはずのプリンがない。中を隅から隅まで探したが、ない。そこで横のゴミ箱を見ると、なんとプリンの空容器が捨ててあったのさ!
<br> そしてその次の日の午後3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。さあ食べようと冷蔵庫を開け放ったんだが、確かに2段目に入れといたはずのプリンがない。中を隅から隅まで探したが、ない。そこで横のゴミ箱を見ると、なんとプリンの空容器が捨ててあったのさ!
<br> それを見て幼き俺は愕然として落涙、この世の不条理を嘆いた…わけじゃあない。正直あんまショックは受けなかった。プリン大好きってわけじゃないし、小遣いは十分貰ってたから惜しくもなかった。たかがプリン1個くらいで家族を詰るような、狭量な男じゃなかったんだ、俺は。
<br> それを見て幼き俺は愕然として落涙、この世の不条理を嘆いた…わけじゃあない。正直あんまショックは受けなかった。プリン大好きってわけじゃないし、小遣いは十分貰ってたから惜しくもなかった。たかがプリン1個くらいで家族を詰るような、狭量な男じゃなかったんだ、俺は。
108行目: 108行目:
<br>と顎をさすりながら言った。三津田さんも小指を立てて笑っている。まさかと思ったが、小島さんならあり得るかもしれない。なんてったって顔がいい。
<br>と顎をさすりながら言った。三津田さんも小指を立てて笑っている。まさかと思ったが、小島さんならあり得るかもしれない。なんてったって顔がいい。
<br>「もしそうなら、彼女さん、小島さんに相当入れ込んでるんすね」
<br>「もしそうなら、彼女さん、小島さんに相当入れ込んでるんすね」
<br>と言うと、2人のおじさんは揃って頷いた。この人らホントに中年か? ニヤケ面は中学生そのものだぞ?
<br>と言うと、2人のおじさんは揃って頷いた。この人らホントに中年か? ニヤケ面は中学生のそれそのものだぞ?


 小島さんは仕事が再開する直前に戻って来た。よっしゃ話の続きをせがもうと身構えた矢先、残念ながら京極さんと三津田さんは離れた場所に増援に向かわされてしまった。2人のいないところで続きを聞くのは忍びない。だが…。
 小島さんは仕事が再開する直前に戻って来た。よっしゃ話の続きをせがもうと身構えた矢先、残念ながら京極さんと三津田さんは離れた場所に増援に向かわされてしまった。2人のいないところで続きを聞くのは忍びない。だが…。
119行目: 119行目:
<br>「ん、さてはみっちゃんとゴクさんに入れ知恵されたな? あの爺さんたち、勘が鋭いからなぁ。すごいぜあの人らは」
<br>「ん、さてはみっちゃんとゴクさんに入れ知恵されたな? あの爺さんたち、勘が鋭いからなぁ。すごいぜあの人らは」
<br> ならなぜこんな底辺の暮らしをしてるんだ。もっとも、僕が言えたことじゃないが。
<br> ならなぜこんな底辺の暮らしをしてるんだ。もっとも、僕が言えたことじゃないが。
<br>「まあそれはさておき、叙述トリックの説明だ。小説とかで叙述トリックが仕掛けられているとする。問題は、なぜ仕掛けられたのか、だ。」
<br>「まあそれはさておき、叙述トリックの説明だ。小説とかで叙述トリックが仕掛けられているとする。問題は、なぜ仕掛けられたのか、だ」
<br> 何か小島さんのお兄さんが話の中で言ってた気がするな。
<br> 何か小島さんのお兄さんが話の中で言ってた気がするな。
<br>「もし読者を驚かせるためだけに仕掛けられたものなら、それは『意味なし叙述』だ。でも、犯人当てとかの要素として組み込まれたものならば、作品の成立に不可欠だから、『意味あり叙述』となる」
<br>「もし読者を驚かせるためだけに仕掛けられたものなら、それは『意味なし叙述』だ。でも、犯人当てとかの要素として組み込まれたものならば、作品の成立に不可欠だから、『意味あり叙述』となる」
162行目: 162行目:
<br>「まあまあ落ち着けって。出題者が解説するのもなんかヤだから、ゴクさんとみっちゃんに任せてもいいかい?」
<br>「まあまあ落ち着けって。出題者が解説するのもなんかヤだから、ゴクさんとみっちゃんに任せてもいいかい?」
<br> 呼ばれた2人は顔を見合わせると、同時に右の拳を突き出した。
<br> 呼ばれた2人は顔を見合わせると、同時に右の拳を突き出した。
<br>「じゃんけんほい!」
<br>「「じゃんけんほい!」」
<br> 勝者は三津田さん。頭を抱えて悔しがる京極さんを尻目に、得意そうに話し始めた。
<br> 勝者は三津田さん。頭を抱えて悔しがる京極さんを尻目に、得意そうに話し始めた。
<br>「タケくん、今までのケンくんの話には叙述トリックが仕掛けられていたんですよ」
<br>「タケくん、今までのケンくんの話には叙述トリックが仕掛けられていたんですよ」
177行目: 177行目:
<br> 僕は思わず叫んでしまった。なぜこんなことに気づかなかったんだろう? 小島さんは相変わらずニコニコしている。すると京極さんが口を挟んできた。
<br> 僕は思わず叫んでしまった。なぜこんなことに気づかなかったんだろう? 小島さんは相変わらずニコニコしている。すると京極さんが口を挟んできた。
<br>「どっちの場合も、部屋は兄の自室やと明言されとる。部屋に扉が二つもあるっちゅうのは考えづらいやろう」
<br>「どっちの場合も、部屋は兄の自室やと明言されとる。部屋に扉が二つもあるっちゅうのは考えづらいやろう」
<br> 三津田さんは京極さんを止めるのを諦めたらしい。
<br> 三津田さんは京極さんを止めるのを諦めたらしく、話を続行した。
<br>「ということは、導きやすい結論はこれです。{{傍点|文章=小島さんに兄は2人いるんです}}」
<br>「ということは、導きやすい結論はこれです。{{傍点|文章=小島さんに兄は2人いるんです}}」


「兄が、2人…?」
「兄が、2人…?」
<br> 一瞬思考が止まる。そんなことあり得るのか? 戸惑う僕を尻目に、2人は解説を続けた。
<br> 一瞬思考が止まる。そんなことあり得るのか? 戸惑う僕を尻目に、2人は解説を続けた。
<br>「始めに出てきた兄とその後の兄は別人なんです。厳密に言うと、『{{傍点|文章=幼いケンくんに叙述トリックの解説をした兄}}』{{傍点|文章=と}}『{{傍点|文章=ケンくんに怪我をさせ、笑った兄}}』{{傍点|文章=は別人}}ということですね。そして{{傍点|文章=プリンを好かないのは前者}}、{{傍点|文章=プリンを食べたのは後者}}というわけです」
<br>「始めに出てきた兄とその後の兄は別人なんです。厳密に言うと、『{{傍点|文章=幼いケンくんに叙述トリックの解説をした兄}}』{{傍点|文章=と}}『{{傍点|文章=ケンくんに怪我をさせ}}、{{傍点|文章=笑った兄}}』{{傍点|文章=は別人}}ということですね。そして{{傍点|文章=プリンを好かないのは前者}}、{{傍点|文章=プリンを食べたのは後者}}というわけです」
<br>「気いつけて聞いとると、『兄さん』と『兄貴』ちゅうて呼び分けとったで。{{傍点|文章=ケンは3兄弟}}だっちゅうことやないかな」
<br>「気いつけて聞いとると、『兄さん』と『兄貴』ちゅうて呼び分けとったで。{{傍点|文章=ケンは3兄弟}}だっちゅうことやないかな」
<br> 話の展開が急過ぎて理解が追いつかない。僕の頭には当然の疑問が生まれた。
<br> 話の展開が急過ぎて理解が追いつかない。僕の頭には当然の疑問が生まれた。
191行目: 191行目:
<br> なんでこの爺さんたちはそんなに細かいところまで覚えてるんだ。
<br> なんでこの爺さんたちはそんなに細かいところまで覚えてるんだ。
<br>「ふむ、それは気づきませんでした。ですが、私は次男の名前が分かりますよ。おそらく『<ruby>政治<rt>{{傍点|文章=せいじ}}</rt></ruby>』というんでしょう。どうです、ケンくん?」
<br>「ふむ、それは気づきませんでした。ですが、私は次男の名前が分かりますよ。おそらく『<ruby>政治<rt>{{傍点|文章=せいじ}}</rt></ruby>』というんでしょう。どうです、ケンくん?」
<br>「ああ、その通りだ。ちなみに漢字も、ちゃんとまつりごとだよ」
<br>「ああ、その通りだ。ちなみに漢字も、まんま専制政治の政治だよ」
<br> 小島さんも2人の洞察力に苦笑いしている。一方、僕は釈然としない。
<br> 小島さんも2人の洞察力に苦笑いしている。一方、僕は釈然としない。
<br>「じゃあ、最初の場面で小島さんとお兄さんが話してたのはどういうことです? 亮二お兄さんの部屋に2人ともいたじゃないですか」
<br>「じゃあ、最初の場面で小島さんとお兄さんが話してたのはどういうことです? 亮二お兄さんの部屋に2人ともいたじゃないですか」
<br> とここで、僕の脳裏にある仮説が閃いた。
<br> と、ここで僕の脳裏にある仮説が閃いた。
<br>「あ、もしかして、小島さんはお兄さんの家に遊びに行ったところだったってことですか?」
<br>「あ、もしかして、小島さんはお兄さんの家に遊びに行ったところだったってことですか?」
<br> しかし京極さんは渋い顔をした。
<br> しかし京極さんは渋い顔をした。
<br>「残念やが、『{{傍点|文章=我が家}}』ゆう記述がある。ケンは間違いなく自分の家におったんや」
<br>「残念やが、『{{傍点|文章=我が家}}』ゆう言及がある。ケンは間違いなく自分の家におったんや」
<br>「なら一人暮らししているお兄さんとどうやって話したんですか?」
<br>「なら一人暮らししているお兄さんとどうやって話したんですか?」
<br> 京極さんは頭を掻きながら事も無げに言った。
<br> 京極さんは頭を掻きながら事も無げに言った。
2,077

回編集