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1938年5月20日、睦男は行動を開始する。夕方、まず電柱によじ登って送電線を切断した。集落は停電したが、それを気にする住民は殆どいなかった。睦男は一旦家に戻り、凶行の準備を整えた。物置には急拵えで用意した刀剣類や猟銃が保管してあった。
1938年5月20日、みつ代が郷里である貝尾に帰ってきた。彼女が感染する前に、禍根を根絶やしにする決意を睦男は既にしておった。睦男は行動を開始する。夕方、まず電柱によじ登って送電線を切断した。集落は停電したが、それを気にする住民は殆どおらんかった。睦男は一旦家に戻り、凶行の準備を整えた。物置には急拵えで用意した刀剣類や猟銃が保管してあった。


翌21日の未明、睦男はまず横たわる祖母の許へと歩み寄った。手には、斧を持って。鏖殺の対象は肉親も例外ではなかった。荒い呼吸をして眠っているかも判らぬ祖母の首を、睦男は刎ねた。
翌21日の未明、睦男はまず横たわる祖母の許へと歩み寄った。手には、斧を持って。鏖殺の対象は肉親も例外ではなかった。荒い呼吸をして眠っているかも判らぬ祖母の首を、睦男は刎ねた。


暫く後、睦男は自宅から出てきた。学生服と地下足袋、軍用の脚絆を身に着け、頭には鉢巻を締めた。明かりと日本刀を提げ、猟銃も担いでおった。それから、睦男はまず隣家に侵入した。田舎の村ゆえ、固い戸締まりをしている家など無かったんじゃ。そして、租唖に苦しんでいた母親と3人の子供を斬り殺した。
暫く後、睦男は自宅から出てきた。学生服と地下足袋、軍用の脚絆を身に着け、頭には鉢巻を締めた。明かりと日本刀を提げ、猟銃も担いでおった。手始めに、睦男はまず隣家に侵入した。田舎の村ゆえ、固い戸締まりをしている家など無かったんじゃ。そして、租唖に苦しんでいた母親と3人の子供を斬り殺した。
 
症状が出ておらんかった主人は、なんとか逃げ出す。構わず睦男は集落の家々に侵入し、動けぬ罹患者を中心に殺戮を繰り返した。或る家では、虫の息で横たわる母親を泣きながら纏わり付く子供ごと撃ち殺した。或る家では、妻の死体を見て逃げ出す夫を後ろから射殺した。猟銃を主に使い、睦男は租唖の病人が居る家の人々を殺して回った。
 
明かり一つ無い闇夜に、怒号と悲鳴と銃声が響く。何処に殺人者が居るのか判らぬまま息を殺して怯えている人々の家の戸を蹴破って、鬼が現れるんじゃ。恐怖は、想像を絶する。
 
約一刻、惨劇は続いた。租唖の罹患者が居る家の住人、計三十三名が睦男の手に掛かった。
 
しかし、一人で殺せる人間には限りがある。睦男も根は心優しい男じゃったから、どうやら精神の限界が来たようじゃった。隣の集落へ歩いていった睦男は、旧知の友の家を訪れる。この集落では租唖は出ておらんかった。睦男は鉛筆と紙を貰い、山へと歩いていった。日が昇る頃、睦男は山の頂で遺書を書き、猟銃で自らの心臓を撃ち抜いた。享年、二十一。
 
 
結局、租唖の罹患者を含む三十人が命を奪われた。鏖殺とはいかぬまでも、十二分に多い数じゃ。この事件は大きな話題となり、租唖という大病の存在を全国に知らしめた。更に、行重の者達にとっては、租唖に罹れば殺されるかもしれぬという恐怖を植え付けた。延いては租唖自体への恐怖にも繋がり、租唖の悪魔を強くせしめたのじゃが、これは関係あるまい。
 
しかし、この後すぐに、件の租唖の悪魔が<span style="color:#ff0000">あやつ</span>に喰われてしまう。これによって、租唖は消滅してしもうた。租唖の患者がどうなったかは先に話した通りじゃが、この事件はどうなったか。動機となる租唖が消滅してしまい、代わりにありきたりな嫉妬・妄執・怨恨といったものが核に据えられ、都井睦男事件は'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/津山事件 津山事件]'''として知られるようになった。なんとも俗世的で淋しいものじゃのう。
 
 
とまあ、こんな具合じゃ。今回はここまでにしよう。また、何かあればの。ほいじゃあ。
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