「利用者:Notorious/サンドボックス/ぬいぐるみ」の版間の差分

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==8月13日23時19分 神代晃平==
==8月13日23時19分 神代晃平==
晃平は寝息を立てる葵を抱いて、椿と並んで歩いていた。国道58号を国場川沿いに南下し、大きなショッピングモールの横を通過した。少し先で川は本流と合流し、右手の海に注いでいる。周りには、同じ方向に歩く人々が大勢いた。皆うつむき、幽鬼のように黙して行進している。車道は自動車でぎゅうぎゅうに満ち、ほとんど動かない。3時間ほど前に戦場と化した場所。そこからとにかく離れようと、あてもなく彷徨っているのだ。もっとも、晃平たちの事情は少し異なっていたが。
寝息を立てる葵を抱いた椿と並んで、晃平は歩いていた。国道58号を国場川沿いに南下し、大きなショッピングモールの横を通過した。少し先で川は本流と合流し、右手の海に注いでいる。周りには、同じ方向に歩く人々が大勢いた。皆うつむき、幽鬼のように黙して行進している。車道は自動車でぎゅうぎゅうに満ち、ほとんど動かない。3時間ほど前に戦場と化した場所。そこからとにかく離れようと、あてもなく彷徨っているのだ。もっとも、晃平たちの事情は少し異なっていたが。


那覇の中でも都会といえるこの一帯は、この時間でも灯りは少なくなかった。コンビニやパチンコ店のネオンが踊り、街灯も多い。そしてさらに、警察や自衛隊のものものしい警戒態勢が、その明るさに拍車をかけていた。各所でサーチライトが焚かれ、目を細めることも多かった。日常と完全にかけ離れた風景で、ややもすれば、自分は夢を見ているのではないかという心持ちになるのだった。
那覇の中でも都会といえるこの一帯は、この時間でも灯りは少なくなかった。コンビニやパチンコ店のネオンが踊り、街灯も多い。そしてさらに、警察や自衛隊のものものしい警戒態勢が、その明るさに拍車をかけていた。各所でサーチライトが焚かれ、目を細めることも多かった。日常と完全にかけ離れた風景で、ややもすれば、自分は夢を見ているのではないかという心持ちになるのだった。
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また、パトカーや自衛隊の車両、果ては戦車までもが道路にいて、睨みを利かせているところもあった。そして、そんな場所を通るたびに、晃平はひどく緊張するのだった。今にも、迷彩服を着た男たちに捕まるのではないか、いや問答無用で撃ち殺されるのではないか、と不安になる。もはや、晃平は肉体的によりも精神的にずっと疲れていた。
また、パトカーや自衛隊の車両、果ては戦車までもが道路にいて、睨みを利かせているところもあった。そして、そんな場所を通るたびに、晃平はひどく緊張するのだった。今にも、迷彩服を着た男たちに捕まるのではないか、いや問答無用で撃ち殺されるのではないか、と不安になる。もはや、晃平は肉体的によりも精神的にずっと疲れていた。


唐突に、晃平の胸ポケットが震動した。葵を椿に一旦預け、マナーモードにしていた携帯電話を引っ張りだす。見覚えのある番号からの着信だった。
唐突に、晃平の胸ポケットが震動した。マナーモードにしていた携帯電話を引っ張りだす。見覚えのある番号からの着信だった。
<br>「もしもし?」
<br>「もしもし?」
<br>「やあ、夜分遅くにごめんね。僕さ、アンドレだよ」
<br>「やあ、夜分遅くにごめんね。僕さ、アンドレだよ」
<br> 5日前、晃平のもとにこの日本語が堪能な若者から連絡が来た。晃平をグラビティ持ちと看破し、自分たちの仲間になるよう要求してきたのだ。彼によれば、世界中の同様の能力者が集まり、組織を作っている。そして、諸国に宣戦布告しようとしているというのだ。これには、腰を抜かした。しかし、『仲間にならないのなら、君たちもろとも攻撃を開始する』と言われれば、要求に従わざるを得なかった。連れてきていいのは妻と息子のみ、5日後に沖縄に迎えを寄越す、と一方的に伝えられ、ここまで来たのだ。しかし、こんな事態になってしまうとは。
<br> 5日前、晃平のもとにこの日本語が堪能な若者から連絡が来た。晃平をグラビティ持ちと看破し、自分たちの仲間になるよう要求してきたのだ。彼によれば、世界中の同様の能力者が集まり、組織を作っている。そして、諸国に宣戦布告しようとしているというのだ。これには、腰を抜かした。しかし、『君が敵になるくらいなら、僕たちは君をまず殺す』と脅迫されれば、要求に従わざるを得なかった。連れてきていいのは妻と息子のみ、5日後に沖縄に迎えを寄越す、と一方的に伝えられ、ここまで来たのだ。しかし、こんな事態になってしまうとは。


<br>「コーヘイ、やってくれたねえ」
<br>「コーヘイ、やってくれたねえ」
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<br>「ちょ、ちょっと待ってくれ。あれは、アクシデントだったんだ。その、攻撃に加担しようとしたわけじゃない。それに、大きな誤解があるよ……」
<br>「ちょ、ちょっと待ってくれ。あれは、アクシデントだったんだ。その、攻撃に加担しようとしたわけじゃない。それに、大きな誤解があるよ……」
<br>周りの人に聞こえないよう、声を潜めて反論しようとするが、ハイな声に遮られる。
<br>周りの人に聞こえないよう、声を潜めて反論しようとするが、ハイな声に遮られる。
<br>「いいんだよ、言い訳は。君の精神の安定には必要かもしれないが、僕らにそれを言う必要は無いぜ? だって、君のパフォーマンスは最高だったんだから。いいかい? 僕らグラビティ使いは、選ばれし存在なんだ。常人の命なんて、気にすることはない。選ばれた存在が、権力を握るべきだ。これから僕らがやることは、その偉大なる一歩目なんだ! その本当に最初の栄えある嚆矢を、君が放ったってわけさ」
<br>「いいんだよ、言い訳は。だって、君のしたことは正しいことなんだから。いいかい? 僕らグラビティ使いは、選ばれし存在なんだ。常人の命なんて、気にすることはない。選ばれた存在が、そうでない存在を統べるべきだ。これから僕らがやることは、その偉大なる一歩目なんだ! その本当に最初の栄えある嚆矢を、君が放ったってわけさ」
<br>晃平には、アンドレの主張は理解できないし、危険なものだとも思う。しかし、家族の安全のためには、この男に保護されないといけないのだ。たとえ他の全人類を見放しても。
<br>「そうだそうだ、本題を忘れてた。今、世界中の軍が目を皿のようにして君を探し回っている。そうだろ?」
<br>あちらこちらに見える自衛隊の隊員たちが、全員俺を捕らえようと、いや殺そうとしている。わかっていたことだが、改めて他人からその事実を突きつけられると、やはり恐ろしい。
<br>「僕らとしては、捕まったり殺されたりする前に、君をピックアップしたいわけだ。そこで、僕らは今、急いでそっちに向かっている。約束の時間を、何時間か早める。朝の6時だ。場所は変わらず。いいね?」
<br>「……わかった。6時だな」
<br>「じゃ、頑張って生き延びてね!」
 
電話は切られた。ひどく疲れたような気分になる。椿が物問いたげに見てくるので、耳元に口を寄せ、予定が変わったことをそっと囁いた。もともと曇っていた椿の顔が、さらに沈痛に歪む。仕方のなかったこととはいえ、結果として多くの人の命が奪われてしまった。そのことに、椿は心を痛めているのだ。
 
しかし、当局に出頭したとて、アンドレたちの組織の追跡と攻撃から逃げられる気はしなかった。葵を守るには、こうするしかなかったのだ。それに、今となっては引き返すことができない。トロッコは走り出してしまった。もう、このレールを最後まで走り切るしか、助かる道はないのだ。
 
明らかに憔悴している椿の腕から、葵を抱き上げる。幼子の熱い体温が胸に伝わってきた。朝6時までに、約束の場所へと辿り着かなくてはならない。どこか道路が機能している場所まで歩いて、タクシーを拾わなければ。
 
心に湧き立つ暗雲を閉じ込め、前を向いたとき、橋の上で群衆に目を向けている自衛隊員が見えた。迷彩服に身を包んだ何人かが、こちらの方を見ている。うち一人は、スコープのようなものを目に当てている。
 
ふと、晃平は気づいた。あいつらはこちらに漠然と視線を向けているのではない。{{傍点|文章=俺}}を見ているのだ。{{傍点|文章=気づかれている}}。
 
スコープを取った男と、まともに目が合った。精悍な顔つきで、こちらを見つめている。彼は、目を逸らさぬまま横の隊員に何事か告げた。隊員は奥の方へと走っていく。
 
晃平は立ち止まった。椿が驚いて足を止める。周りの群衆は、一瞬迷惑そうな顔をするが、構わず横をすり抜けていく。
<br>「どうしたの?」
<br>「気づかれた」
<br>手短に答えると、椿は息を呑んだ。数十メートル先の隊員を見つめたまま、抱いていた葵を椿に突き出す。
<br>「今度は、瀬長島で待ち合わせだ。後ろに走って、大きく迂回して向かえ。2時までに俺が来なかったら、先に行っててくれ」
<br>「……でも!」
<br>「葵を頼む」
<br>目を合わせ、微笑んでみせる。何か言いたげだった椿も、覚悟を決めたように頷いた。葵を抱きしめ、人の流れに逆らって走り去っていく。
<br>晃平は前方へと視線を戻した。たくさんの人々の頭越しに、男と目が合う。
 
葵を守る。そのためなら、何にだってなってやろう。……巨人にだって。晃平は走り出す。
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