Sisters:WikiWikiオンラインノベル/汗だくなのに

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2年9月13日 (W) 13:32時点におけるキュアラプラプ (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「 確か……僕は都会っ子だった。新宿生まれ新宿育ちで、そのうえ家族や親戚もみんな東京に住んでる。だから地方に行く機会は夏休みの家族旅行くらいのもので、人生のほとんどを高層ビルの間に過ごしてきた。そして、当然のように、これからもこんな生活が続いていくと思っていたんだ。  そんなある日のことだった。塾での講座を終えて帰…」)
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 確か……僕は都会っ子だった。新宿生まれ新宿育ちで、そのうえ家族や親戚もみんな東京に住んでる。だから地方に行く機会は夏休みの家族旅行くらいのもので、人生のほとんどを高層ビルの間に過ごしてきた。そして、当然のように、これからもこんな生活が続いていくと思っていたんだ。

 そんなある日のことだった。塾での講座を終えて帰宅し、疲れた体を引きづってリビングのドアノブを回すと、神妙な面持ちの両親が待ち受けていた。妹は、悄然とした様子で、いつからか彼女の特等席となってしまった小さめのソファーに腰を下ろしている。何やら重大な話が、次は僕に向かって放たれるらしいことをすぐに察した。父は、このような意味のことを言っていたはずだと記憶している。

 「―――実はだな……お父さんちょっと会社でやらかしちゃって……地方に配属されることになったんだ。だから一家で……」

 話し終わらないうちに、心臓が冷えあがり、脈が叫び始めた。地方に左遷?転校?僕の人間関係は?やり直し?田舎でやり直しになるのか?僕の将来は?日本一の都市というアドバンテージは?高水準な生活は?僕の……僕の……

 非力で反抗の仕方も分からないような学生に親の判断を変えさせることなどできるはずもなく、実際、僕は家族が離れ離れになるのはもっと嫌だった。だから、それから二週間後、僕たち四人家族はそろって東京とは遠く離れた場所にある町へと移り住んだ。

 田舎の生活に、僕は想像を絶するほどの苦難を強いられた。通学に使える電車なんてないから、全然舗装されてない数キロメートルの山道を毎日往復しないといけないし、家に帰っても虫やら鳥やら動物どものかまびすしい鳴き声が僕の集中力をそぐ。おかげで成績も下がるかと思いきや、ここの授業は進むのがあまりにも遅くて話にならない。田舎の馬鹿どもの低レベルな知能に合わせた学習は退屈すぎるんだよ。だからいつも僕は寝るなり内職するなりしようとするんだけど、旧弊で古臭い教師どもに毎回厳しく怒鳴りつけられる。時代錯誤も甚だしいものだ。

 そう、時代錯誤。昭和時代に取り残されているんじゃないかと思えるほどに、旧態依然とした価値観にあふれた町なんだ、ここは。

 例えば、未だに結婚はお見合いが主流だし、働いてる女性なんて数えるほどしかいない。典型的な性別役割分業意識が深く根付いているっていうわけだ。それに、特に学校においては、非論理的な根性論が全てを支配している。

 最悪なのが体育の授業だ。僕はあまり活動的じゃないから、体力はせいぜい下の上、20回も腕立て伏せしたら音を上げるタイプの人間だ。もちろん僕以上に運動神経が悪い人もざらにいる。それなのに教師どもは毎回、ウォーミングアップだの根性だのなんだの言って、クソデカいグラウンドでのランニング十五周を要求しやがるんだよ。

 これだけでも十分すぎるほど最悪だけど、一番ヤバいのはそんなことじゃない。奴らはかたくなに、休憩はおろか、水分補給さえをも禁止するんだ。体育の授業中は、どんなに汗だくだって、水の一滴さえ飲むことも許されないんだよ。あのクソ教師が自慢げに語ったこといわく、身体を休ませずにやり抜く運動が一番効くらしい。とんだ戯言だ。僕はこれを聞かされたとき、思わず吹き出しそうになってしまった。ここは本当に令和の日本なのか?!

 それで、あの日の体育の授業でも、グラウンド三週目早々に僕は死にそうになっていた。しかもこの日は特に暑かったんだ。僕の視界に映るものは拡散しはじめ、頭は浮かぶような感じを覚え、汗はとめどなく皮膚から溢れ、平衡感覚は徐々に失われた。典型的な熱中症の初期症状だ。朦朧とする思考の中、僕は必死に這って近くの水道まで行き、日光の熱を帯びた蛇口に指をかけて、むさぼるように水を飲んだ。生き返った心地がしたのもつかの間、僕はぞっとした。

 その場にいた全員が僕のことをじいっと凝視していたんだ。

 最初は僕のことを心配してくれてるのかとも思ったけど、僕に対して固定されていたその視線は、どこか愕然としているようにも見え、異様で、明らかにそんな様子じゃなかった。このときまだ僕は東京から転校してきたばかりだったこともあって、周りにうまく馴染めてなかったから、学校でもどこか疎外されているように感じることは度々あったんだ。けど、この時に関しては、あまりにも異質すぎた。

 僕はしばらく呆然としていた。すると、あの教師が近づいてきて、なぜ水を飲んだのかというようなことを聞いてきた。生徒たちの視線に困惑しながらも、このとき、僕は決心したんだ。我が論理武装をもってして、このクソ野郎の時代遅れの根性論を打ち倒してやろうとね。

 論理的に相手をやりこめることには自信があった。もしこいつが全くもって話の通じないような馬鹿だったとしても、そのときは別の教師どもを巻き込めばいい。万が一、殴られることになってもかまわない。むしろ心的外傷を訴えて騒ぎを拡大させられるので好都合だ。インターネット上でニュースにでもなれば、僕の勝利は確定するだろう。僕は笑みを抑えながら、ゆっくりと口を開いた。

 「なんで水を飲んじゃいけないんですか?水を飲まずに行う運動こそ効果的であるというあなたのその主張の論拠はいったいどこにあるんですか?」

 「だから、何度も言ってるだろ?水を飲まない方がいい運動になるもんだし……」

なるほど、どうやらこいつは会話が通じないタイプの馬鹿らしい。そう思った次の瞬間、僕は耳を疑った。

 「それに、屋外で、しかも人目もあるような状態で水を飲むなんて、うじがみさまがお怒りになるだろ。」

 ……は???うじがみ?氏神?何だそれは?土着信仰の類か?いやしかし、この町における民俗宗教的な話なんて何一つ聞いたことがないぞ?どういうことだ?混乱が混乱を助長する。確かに、考えてみれば、僕が水を飲むのはほとんど教室や家のような屋内だったし、外で水を飲むのも登下校中の水筒からくらいで、しかも誰かと一緒に歩くようなことはなかった。だから、この町において屋外かつ人に見られる状態で水を飲んだのはこれが初めてだ。しかしそれが何だというんだ。この町はそんな迷信に支配されていたとでもいうのか?

 まったく予想外の返答に、論理武装は目的を失ってしまった。視界は再びぼやけてきた。水を飲むことによる一時的な回復はしだいに遠のいていって、ついに僕は完全に意識を失った。

 気づいたら、既に辺りは暗くなっていた。そしてなぜか、僕は家の目の前にいた。電気はついておらず、戸締りもされていない。家族の身に何かあったのだろうか。恐る恐る入ってみると、中には誰もいなかった。しかし、リビングには何故か大きな水たまりが二つあって、新居にも運び込まれたあの小さめのソファーもびしょびしょになっていた。

 よく見てみると、その水たまりには大量のうじが湧いていた。自分の家の中のあまりにも異常な光景に、僕は警察への通報を試みたが、スマホはなぜか水に濡れていて、壊れているようだった。僕は徐々に徐々に、冷汗三斗の思いによって、稚拙なまでの恐怖によって、感情を支配され始めた。

 ずいぶん喉が渇いていることに気づいたから、冷蔵庫から2Lペットボトルを取り出し、コップに注いだ。水には、数匹のうじが浮かんでいた。じっとりと、僕の体が冷や汗を纏うのを感じた。

 泣き叫びたい気持ちを抑え、家の外に出ようと急ぎ足でテーブルを離れて、リビングから廊下に出るドアノブを掴んだ。しかし、いくら力を込めたところで、無慈悲にも、それは回ってくれなかった。

 息が荒くなるのを感じる。心臓が早鐘を打つ。脂汗がにじみ出る。喉が渇く。水が飲みたい。しかし水にはうじがいる。ああ、水が飲みたい。水が飲みたい。水が飲みたい。水が飲みたい。

 ここまで考えたところで、僕はついにコップからうじだけを捨てて、しばし躊躇った後に、中の水を勢いよく体内に流し込んだ。吐き気を催したが、ほんの少しだけ落ちついたような気がした。

 しばらくして、頭が浮かぶような感じを覚えた。しかしさっきとは違って、熱中症のような感じはしない。そんなことを考えているうちに、ふと、おそろしい事実にきがついた。

 自分の名前がわからない。

 自分の名前だけではない。両親の名前も、妹の名前も、この町の名前もわからない。なんとか覚えているものを確認するために、僕の人生におけるいままでのことをすべて、できるかぎり精細に回顧して、文章におこしつつ、今にいたる。

 僕は絶望している。僕はいままで十数年もの月日を生きてきたはずなのに、のこされた思いではこれだけしかないみたいだ。


 頭がどんどんうかんでいく。このいましがたかいた文章をよみかえしつづけないと、記憶がもたなくなってきてしまった。

 うじがみさまとやらのせいなのだろうか。うじがはいってたみずをのんだから?いや、そんなまさか。ああ、めのまえのみずがじゃまでよみづらい

いやだ、いやだ、もういやだ

あたまがうかんでいく


うじがたかってくる

かみころされる


いやだ



あたま



みずが

こぼれる




みず