利用者:Notorious/サンドボックス/コンテスト
当記事は、「最近全然書いてねえ! 連休を利用してなんか書かないと!」という焦燥の中、ほぼノーアイデアで書き始めている文章です。 |
いまさらとは、忌まわしきサラダである。
名称
ポテトサラダがポテサラになるのだから、忌まわしきサラダはいまさらになる。火を見るよりも、思慮深い体育教師が存在しないことよりも、事前に立てた夏休みの勉強計画が破綻することよりも、「やったか⁉︎」と言った直後に粉塵の中から相手が出てくることよりも、明らかなことである。
具材
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。 |
- レタス
- キャベツ
- 白菜
- 小松菜
- 水菜Long谷とかが野菜記事を量産した影響でことごとくリンクが貼れてびっくりしたけど、ついに記事の存在しない葉野菜を出せてちょっと嬉しい('
- ブロッコリー
悪魔の実トマト[1]- きゅうり
- ハム
- ウインナー
無味すぎる謎の海藻ひじき- トリカブト
- ミミイカの活け作り
- あん肝
- サンドバッグ[2]
- 和傘
- まきびし
- 50mm擲弾筒
- ゴールボール
- 自学帳
- 三階フロア
- YS-11
- ゴマドレッシング
歴史
誕生
いまさらは明治41年、矢場舌助男爵が考案した。
矢場舌助は、明治20年、紡績で財を成した名家・矢場一族の長男として生を享けた。二代目当主・杉夫と珠子は、長く子宝に恵まれず、舌助はそれぞれ42歳と37歳のときの子であった。年齢もあって、その後二人の間に子供が授かることはなかった。そのため夫婦は舌助を溺愛した。
舌助は健やかに成長した。体格は中肉中背で、丸っこい瞳が愛らしかったと伝えられている。九段小学校から東京第二中等学校へ進学・卒業する。当時の成績表によれば、勉学と運動のどちらにも優がつけられているが、特に蹴球の才は学級でも飛び抜けていたという。明治38年には第一帝国大学に入学。法学を専攻し、発布されたばかりの大日本帝国憲法を研究したという。
しかし、明治40年、矢場杉夫と珠子が自動車事故で亡くなる。舌助が二十歳のときであった。愛する両親の喪失により舌助は深い悲しみと世の不条理への怒りを覚える。その燃え滾る赫怒のあまり、舌助は遅れ気味の反抗期に突入してしまう。
舌助は裕福な両親に溺愛されて育ったため、幼少期より美味しいものばかり食べて育ってきた。反抗期の舌助は、その親の愛に逆らおうと、不味い料理を食べようとしたのである。舌助は、まずは料理の経験がないのに自炊をしてみた。しかし、舌助の作る料理は食えないわけではなく、それどころか回数を重ねるほどに美味しくなっていく。舌助は自らの調理の才能を嫌った。次に舌助は劣悪な食材を好んで食すようになった。ちょっと泥がついてるままの人参や、なんか生えてきているじゃがいも、賞味期限を三日過ぎている牛乳などを舌助は食べるようになった。しかし、普通にお腹を壊してめちゃくちゃ苦しかったので、すぐにやめた。舌助は玉の汗を浮かべて下痢しながら自分の胃腸の弱さを呪った。
そして明治41年、舌助は究極の“愛のない料理”の制作を目指す。自らの誕生日の宴会でそれを食すことを目論み、舌助は使用人に食材を買わせていった。厳選した食材が集まってくると、使用人の制止[3]を振り切って舌助は調理を開始した。そして翌日の3月2日、ついに料理は完成し、食卓に並んだ。これが後のいまさらである。
列席するゲストたちが萎縮する中、舌助は皿に盛られたサラダを嬉々として食べた。皿が空になると同時に、舌助は満面の笑みで「不味い」と言うと、血を吐いて倒れてしまう。懸命な救命活動も報われず、舌助は間もなく息を引き取った。享年21。
こうして舌助の作ったサラダは、舌助の不可解な死によって、呪われた歴史の最初の1ページを刻んだのである。[4]
多くの死
その後も、いまさらを食べた者に不幸が訪れるという事態が相次いだ。
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。 |
大正元年、発明家の師田俊勝は、舌助の逸話を聞いて興味を持ち、いまさらを自作して食べてみた。その結果、猛烈な腹痛に苦しみ、四日後に死亡した。遺体を解剖してみると、腸に謎の大量の顆粒が詰まり、腸閉塞を起こしていた。[5]
昭和2年、料理研究家の佐藤一郎は、いまさらのレシピを再現して門弟に振る舞った。その結果、部屋が突如として謎の大爆発を起こし、佐藤を含む全員が死亡した。[6]
昭和22年、東京の基地に駐屯していた米兵のジョージ・カーターは、仲間との賭けビリヤードに負け、いまさらを食べさせられた。その結果、ジョージは謎の内臓破裂を起こして死亡した。[7]
昭和39年、長崎県在住のある主婦は、晩御飯の献立に困った挙句、いまさらを作って家族五人に食べさせた。その結果、夫婦は謎の大喧嘩の末に離婚して家族は離散した。[8]
昭和51年、ある会社員の男が宴会芸としていまさらを食べた翌日、休日の日課だったジムでベンチプレスをしている最中、謎の心臓発作を起こして亡くなった。[9]
平成18年、都立あきる野第二高校の家庭科部が、新入部員歓迎会でいまさらを作って振る舞った。その結果、その年の新入部員は全員謎の退部を果たし、更に向こう2年新入部員が現れず、家庭科部は廃部となった。[10]
平成30年、人気カップルYouTuber「コイコイ」が、動画の企画としていまさらを実食した。その結果、口に謎のまきびしが詰まって粘膜がズタズタになってひどく出血した。[11]
令和2年、ある老夫婦がレストランでいまさらを注文し、それを食べた。その結果、食べ切らないうちに猛烈な腹痛に襲われ、救急車で搬送されたが、翌日息を引き取った。[12]
令和2年、大学に通う男が幼馴染の女と帰宅する途中、にわか雨に降られてずぶ濡れになり、二人は慌てて男の家に転がり込んだ。このままでは風邪をひきそうだったため、まずは女がシャワーを浴びることになったが、女は「寒いからって入ってきたりすんなよ! 絶対だからな!」と言い残して脱衣所の扉を閉めた。その結果、男は衣擦れの音を極力聞かないようにして、寒さに必死に耐えながら愚直に女の言いつけを守った。[13]
令和3年、ある男が「35歳の誕生日に妻がこんなに豪華なごちそうを作ってくれました✨」と写真付きでSNSに投稿した。その結果、特定の界隈でめちゃくちゃ炎上して男はアカウントに鍵をかけた。[14]
令和4年、自称インフルエンサー「かのちゃん@新米ママ🦄」が、6歳の娘のためにいまさらを食べさせるという旨の投稿をした。その結果、全員から総バッシングを食らった。[15]
志仁田の登場
このように血塗られた歴史を歩んできたいまさらだったが、ある挑戦者の登場により、歴史は大きく動く。
志仁田少女風の挑戦
遍歴
志仁田少女風は、死にたがっていた。その理由は定かでない。親子関係の不和とも、学校でのいじめとも、ただ漠然とした将来への不安とも言われている。
他の「死にたい」と言っている多くの人とは異なり、志仁田は自殺を試みた。それも繰り返し。しかし、志仁田は死ななかった。それは土壇場で怖気づいたとか、他の人に助けられたとかが原因ではない。志仁田は不可抗力によって自殺に失敗したのである。
16歳の頃、志仁田は初めて自殺を試みた。手段は、オーソドックスな飛び降りであった。志仁田は近くの大型スーパーに赴き、駐車場となっている屋上にのぼった。そして、三階相当のそこから、アスファルトの路面へと落下した。叩きつけられた瞬間、志仁田は「これは死んだろ!」と内心快哉を叫んだが、快哉を叫べるということは生きているのだと気づき、落胆した。志仁田は見事飛び降りたが、しかし志仁田の身体は頑強すぎて傷ひとつ負っていなかった。念のため搬送された病院の13階相当の屋上から、翌日飛び降りてもみたが、結果は変わらなかった。
次に、志仁田は首吊りを試した。ホームセンターで買った麻縄を家の梁に結わえ、作った輪っかに首を通した。椅子を蹴ったはいいものの、一向に苦しくならないことに志仁田は気づいた。期待を込めて30分ほどその姿勢を維持してみたものの、帰宅した母に「あんた何してんの?」と言われただけだった。志仁田の首は堅固すぎて頸動脈も気道も締まらなかったのだ。仕方なく麻縄を取り、これどうしようか、捨てようかな、いやいつか使えそうだな、とっておくか、と思って縄は志仁田の家の片隅に置かれ、以来一度も使われていない。
その後、志仁田はカッターナイフで手首を切ろうとした。風呂に入るついでにカッターを持ち込み、浴槽の上に掲げた手首に刃を当てた。しかし、志仁田の手首は頑丈で刃は通らなかった。押し引きしたり叩きつけたり数分格闘してみたが、どうしようもなさそうなので、ついでとばかりにカッターで腕の産毛を剃って、志仁田は風呂を出た。出るのが遅いと母に言われ、少し申し訳なく思った。
17歳の夏、志仁田は溺死を試みた。近所の川に出かけ、両手両足を紐で結んだのち、芋虫みたいに身をよじってどうにかこうにか橋の欄干を乗り越えた。水中に体が沈み、じきに息が持たなくなる。数分のうちにたまらず水を吸い込んでしまい、志仁田は「これは逝ける!」と思った。しかし、鼻が異物を排除しようと反射的に咳を行い、ものすごい勢いで水を噴出した。すると一帯の水が吹き飛び、息ができるようになってしまった。数十秒待つと川の上流からまた水が流れてくるが、強靭な肺機能のせいで同じことしか起こらなかった。なお、周辺の家の洗濯物が多く濡れ、志仁田は母に痛烈に叱られた。
その次は、オーバードーズを試してみた。志仁田は父がかつて使っていた睡眠薬をこっそり持ち出し、食卓にて二瓶を一気に飲み下した。しばらくして猛烈な嘔気と睡魔に襲われ、志仁田は「今度こそ逝っただろ」と朦朧とする意識のなか思った。しかし、近所に住む幼馴染・品瀬琢内が謎の虫の知らせを感じ、志仁田宅へ飛び込んできて、催吐、胃洗浄、迅速な通報など、超絶適切な処置を施した結果、志仁田はことなきを得た。病院で意識を回復したあと、品瀬から何か色々言われたが、志仁田は次の自殺方法に思いを巡らせていた。
これ以降も、志仁田は幾度も幾度も自殺に挑戦した。トラックの前に飛び込んだが車体がひしゃげて運転手が病院送りになり、包丁で喉と目を突いたが刃が欠けたので母に小言を言われる前に研ぎ、目張りして練炭を焚いたが飛んできた品瀬に窓をぶち割られ、高層ビルの屋上から飛んでみるも地面に小さなクレーターができただけに終わり、はしか患者が集まる隔離病棟に乱入し深呼吸を繰り返すも激つよ免疫が病原体を抹殺して発病に至らず、海へと飛び込んでみるも川同様に水を吹き飛ばしてしまいモーセの海割りならぬ志仁田の海穿ち(間欠的)を披露してしまい、近所の爺さんの物置からパクった農薬を飲むも一秒も経たないうちに品瀬が窓を砕いて現れ最強手当てをし、その窓ガラスの破片で太腿の動脈を切ろうとするも硬い皮膚に阻まれ、そのまま病院へと速やかに送られた。このように、志仁田は自殺に失敗し続けた。しかし、やがて転機が訪れる。
長径11km、短径9kmの紡錘型をした小惑星89112E。それがまもなく地球に衝突するというニュースを志仁田がテレビで見たのは、志仁田が17歳の冬だった。人々の混乱を予防するため、各国政府は衝突一時間前にその知らせを発表したという。衝突予測地点は、ちょうど志仁田の家の近所だった。志仁田は喜び勇んで衝突地点へと向かう。その途中、向かいの家から出てきた品瀬が涙ながらに何か話しかけてきたが、自分は志仁田の替え玉であり志仁田本人は隣町の川辺で毒を飲んでいるという旨の嘘をつくと、品瀬はあっという間に隣町へとすっ飛んでいった。志仁田は万全の構えで衝突地点に仁王立ちし、上空の煌めく光点が落ちてくるのを待った。そして二十分後、耳をつんざく轟音と目を潰すほどの閃光とすべてを灼くような熱とともに隕石が落ちてきた。志仁田は注意深く隕石の真下に立ち、衝突の直前には念のためちょっとジャンプまでしてみた。
小惑星は志仁田に衝突した。そのエネルギーの莫大なあまり、無数の破片に小惑星は砕かれて飛び散った。破片は360°全方位に四散したが、そのどれもが第一宇宙速度に達し、すべての破片は高度2mのところをぐるぐると回り始め、ダイソン球みたいになった。一方の志仁田は頭が痛くクラクラし、「これはもうちょっとで逝ける!」と心が昂った。そんな中、ダイソン球のごとく破片が上空を飛び回っているので、志仁田は次々とジャンプして頭をぶつけ、その衝撃で破片は粉微塵になり、志仁田は衝撃の微細さに不満を覚えた。結局破片がすべて志仁田によって粉にされるまで丸2日かかり、それまで地球の人々は腰をかがめて過ごすことを余儀なくされた。志仁田は最初の衝突と二日寝ずにいたことによって頭がめちゃくちゃ痛み、「死ねる!」と思いながら意識を失ったが、約13時間後に目を覚まし、その時には多少首が痛む程度だった。なお、その間中、品瀬はずっと志仁田を探して隣町を彷徨していた。やがてテレビニュースで隕石衝突を阻止したヒーローとして志仁田が映っているのを見、目を覚ましたばかりの志仁田を号泣しながら手当てした。
こうして志仁田は最良の機会を逸し、自殺成功の望みを失った。もはや自殺には希望が持てない。しかし、その時、ある呪われた料理の存在を知る。そう、いまさらである。志仁田は自殺の最後の望みを、いまさらに賭けたのである。
もはや一般的な手法では命を絶てないのは明らかだった。しかし、食したものに相次いで不幸が訪れるこの料理ならば、あるいは。もしこれでも死ねなかったら諦めようと覚悟を決め、志仁田少女風はいまさら自殺に挑んだ。
志仁田には勝算があった。今まで外傷系の自殺は己の体が阻んできたが、毒物系は結構いい線を行っている。ならなぜ死ねなかったのかといえば、品瀬の存在である。彼がなぜかめちゃくちゃ志仁田の危機を察知し、なぜかめちゃくちゃ上手い医療処置を施すため、志仁田は死ねなかった。しかし、今や志仁田は品瀬を遠ざける方法を知っていた。志仁田はいまさらの制作に向けて着々と準備を進めていった。そして、奇しくもいまさら誕生と同日である3月2日、18歳の誕生日。志仁田はいまさら自殺を敢行する。
「たっくん」
「あっ、ママ!」
「大きくなったわね」
「うん! ママ、しさしぶりだ!」
「ひさしぶり、だよ。ひさしぶりね、たっくん」
「しさしぶり!」
「ふふっ」
「あのねあのね! たっくんごさいになったの!」
「おめでとう、たっくん」
「えへへへ、そうだ! ママもいっしょに、けえきたべようよ! パパがかってきてくれるんだって!」
「そうね、でもそれはできないかもしれないわ」
「……そうなの?」
「うん。……でも、その代わり、プレゼントをあげましょうね」
「ぷれぜんと! やった! なになに?」
「たっくんは何がほしい?」
「うーん……」
「したいことでもいいわ」
「じゃあ、ママとしろくまこうえんであそびたい!」
「ごめんね、ママがなにかすることはできないわ」
「えーなんで? なんでよ?」
「……ごめんね」
「うーん……じゃあ、おとなになったら、がーりーちゃんとけっこんしたい!」
「へえ……いいわね。でも、それはその子が決めることよ」
「そっかあ……」
「でも、代わりに、その子を大人になるまで守ってあげるわ」
「まもる?」
「そう。その子を、元気な18歳に育ててあげる」
「そしたら、けっこんできる?」
「たっくんが頑張れば、できるかも」
「やったあ!」
「でも、守ってあげるのは18歳になるまでよ。18才の誕生日からは……」
「からは?」
「たっくんが守ってあげるんだよ、いいね?」
「わかった! ありがとうママ!」
「うん……。じゃあ、もう、行くわね」
「えっ、もういっちゃうの?」
「そろそろ時間みたい」
「そっかあ……」
「じゃあ、元気でね、たっくん」
「……ママ!」
「なあに?」
「もしけえきがたべられるようになったら、きてね!」
「……うん、そうするわ」
「ゆびきりげんまんだよ!」
「ええ。ゆびきりげんまん」
調達
3月2日当日、服毒自殺最大の障害・品瀬琢内を遠ざけるため、志仁田は一計を案じた。早朝、志仁田は品瀬に一通のメールを送った。そのメールには一枚の写真が添付されており、それはコルコバードの丘をバックに、丸々と肥えたフグを両手で掲げ持ち笑う、セーター姿の志仁田の写真であった。それを見た品瀬は15秒後にはタクシーを捕まえて空港へと急がせていた。しかし、その写真は、この前その辺のスタジオで撮った志仁田の写真にネットで拾ってきたリオの画像を合成したものだった。隕石騒動のとき品瀬を騙した経験から、志仁田は品瀬を遠ざける完璧な方法を思いついていたのだ。経由地のダラスからとんぼ返りしても、日本に帰ってくるまで二日近くかかる。今日の自殺は、品瀬のいないところで邪魔されることなく果たせるのだ。品瀬の乗った飛行機が羽田を発ったのを確認してから、志仁田はいまさらの制作に取り掛かった。志仁田は最大の障壁をさっさと除くことに成功したのである。
実は、志仁田はこの日、あまり調子が良くなかった。遍く外力を弾き飛ばす無敵コンディションみたいな今までの体調ではなく、なぜか自分が急に脆弱になったような心地を覚えていた。その理由はわからなかったが、なんにせよ好機であった。今日なら、いまさらの力を借りて、死ねる気がする。志仁田は全身全霊をもっていまさらを作り、最後の、きっと最期の、自殺を成し遂げようと決意した。
まず、志仁田は場所を確保した。電車に乗って東京まで出ていき、少し歩いていると広い河川敷を見つけたので、ここなら調理もしやすいだろうと思い、志仁田はそこを拠点に定めた。近くを通りがかった歩行者に聞いてみると、その大きい川は隅田川だという。志仁田はそこで行われる花火大会のことを思い出し、爆死も悪くないなと思ったが、いまさらに集中せねばとすぐに思い直した。
せせらぎや散歩に訪れる人々の心地良い喧騒が優しく響いており、そこはとても気分が良かった。時刻は正午に近づいていたので、志仁田は弁当を土手に座って食べた。朝は対品瀬工作などで忙しかったが、いつも自分でお弁当を作って学校に行っていたから、ちゃっちゃと弁当を一つ用意する程度のことは志仁田にとって朝飯前だった。夕食はいまさらにするので、これが最後の昼餐になると思うと、冷めた唐揚げもいつもより美味しく感じるのであった。
腹ごしらえのあと、すぐ近くのなんか人が多くいる広場に行くと、志仁田はそこにいた人々になぜかめちゃめちゃ歓待された。志仁田が大きな机と皿を借りたい旨を話すと、なぜかめちゃめちゃ快く貸してくれ、あまつさえ手伝いを申し出てくれもした。志仁田はありがたく河川敷に机と皿を用意してもらい、いまさらの材料集めをお願いした。人々の歓迎ぶりには、先の小惑星事変の際、超人的な強靭さで次々と隕石を砕き割っていく少女の姿が世界中で広く伝えられたという背景があったのだが、そのときの志仁田には知る由もない。
午後1時、13人の人々が志仁田から買い物を仰せつかった。志仁田が適当に順番に指を差していき、買うものを割り当てていった。志仁田自身ももちろん買い出しに行くので、総勢14名が手分けしていまさらの材料を買いに出かけた。今日中にいまさらを作り終えるために、午後5時にはこの河川敷に帰ってくることを確認し、14人は散開した。人々は「サラダを作る」とだけ説明を受けていて、中には到底サラダの具材とは思えないものを買いに行かされる人も少なくなかったが、そこは地球を救った英雄、何か深いわけがあるのだろうと思い、誇らしげに自らの任務に就いた。
志仁田は野菜を買いに八百屋に向かった。華の都・東京に商店は少ないのではないかと思っていたが、近隣住民に聞いた道を辿ると、あっさりと八百屋に行き当たり、さすがは東京だべ……と出身地でもない東北訛りを心中で披露してしまう志仁田であった。かくして八百屋に到着した志仁田は、難なくレタス・キャベツ・白菜・小松菜・ブロッコリー・トマト・きゅうりをゲットした。隕石騒動のあと、志仁田は偉い人になぜかめちゃめちゃ感謝されて、無敵クレジットカードみたいなカードをいっぱい貰ったので、購入資金には困らなかった。なお、おつかいに行ってくれている人々にも、そのカードを渡している。大体の野菜を調達した志仁田だったが、ただ一つ、八百屋には水菜がなかった。旬はそう外れていないのになあ困ったなあと思いながら、志仁田は別の八百屋を探して歩いていった。
キャベツ農家のおじさんはハムとウインナーを買いに肉屋へと向かっていた。どうせなら専門領域である野菜を買い、新鮮で美味しいサラダをあの少女に食べさせてあげたかったが、少女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おじさんは近くの商店街へと出かけ、肉屋を訪ねた。そこで豚のハムとウインナーを購入し、火を通すためのカセットボンベを用意しなくちゃな、などと考えながらゆっくりと河川敷へ戻っていった。
精肉店のおばさんはひじきを買いに、乾物屋さんへと向かっていた。どうせなら自分の店自慢のハムとウインナーをあの女の子に食べさせてあげたかったが、女の子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。おばさんは今が涼しい初春であることに感謝しながら、少し遠い乾物屋に歩いていった。到着すると、早速ひじきを購入し、ついでに同年代の女性である店主と四方山話を始めた。昨今の店商売の苦境や夫への愚痴などで話は大いに盛り上がり、彼女が河川敷に戻ってくるのはもう少し後になりそうである。
ひじきの妖精はトリカブトを入手するために、山へと向かっていた。どうせなら己のひじきパワーで新鮮なひじきをあの人間に食べさせてあげたかったが、あの人間がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。妖精はいつもは羽の生えた蝶々のような姿をしている。しかし今は人間の女の姿に化け、人の世に顕れていた。ひじきの妖精はもちろん海出身だったが、それゆえに山に強い憧れを抱いており、よく山に遊びに行っていた。その際、あのトリカブトとかいう植物を見たことがあり、妖精はそこへと向かっていた。ふと人通りが絶えたところで妖精はポンと姿を変化させ、せわしなく羽ばたいて山へと飛んでいった。
毒殺魔はミミイカとあん肝を買いに、鮮魚店へと向かっていた。どうせなら常備している毒物ストックからトリカブトをすぐに渡してあげたかったが、あの子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。毒殺魔は豊洲の方へ出張っていき、やがて青臭さに満ちた魚屋にたどり着いた。そこのおっちゃんに聞くと、ミミイカはないがアオリイカならあると熱弁され、結局押し切られて活きのいいアオリイカを買わされてしまった。それとアンコウも購入し、毒殺魔の習性でついついアカエイとかを探してしまったが、鮮度のいいうちに帰らねばと我に返って駅へと向かった。しかし、その背後を足音もなくついてくる影に、毒殺魔はまだ気づいていない。
漁師の息子はサンドバッグを入手するために、ジムへと向かっていた。どうせならお父さんの獲ってくるイカやアンコウをあのお姉さんに食べさせてあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。彼は、近くのスポーツジム跡へと足を向けた。そこにはかつては使われていたトレーニング器具が放置されており、たまに友達と遊んだりしていた。そこに黒くて彼くらいの大きさがあるサンドバッグが落ちていた。彼はそれを持っていこうとしたが、存外にそれは重くてなかなか運べない。彼は気合いを入れてサンドバッグの端を持ち上げ、引きずり始めた。筋力が鍛えられているのか、だんだん運ぶのが楽になっていくのに手応えを感じながら、彼は河川敷へと少しずつ少しずつ戻っていった。
サンドバッグマイスターは和傘を買いに、海外客向けの雑貨店へと向かっていた。どうせなら利きサンドバッグの技倆を存分に生かし最上級のサンドバッグをあのヒーローにあげたかったが、彼女がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。和傘なんて使っている日本人は舞妓さんくらいしかいないが、外国人には人気の土産になっているとサンドバッグマイスターは知っていた。果たせるかな、当たりをつけた雑貨店には鞠を回せそうな和傘が売っていた。サンドバッグマイスターは自らの慧眼に惚れ惚れとしながら、「雨に唄えば」みたいに軽く踊りつつ復路についた。
舞妓さんはまきびしを買いに、忍者の里へと向かっていた。どうせなら持っている和傘を志仁田はんにあげたかったが、志仁田はんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。どうやら近くに甲賀流忍者の里東京支部があるようなので、舞妓はそこを目指していた。それにしても、サラダを作りはるのにまきびしがなんの役に立つんでっしゃろ? と舞妓は思ったが、わからないものは仕方がない。やがて甲賀市東京支部に着くと、忍者グッズの売店に入った。手裏剣の横にまきびしコーナーはあり、さまざまな種類のまきびしが陳列されていた。店番のくの一から丁寧な説明を受けつつ、どのまきびしが最適か、舞妓は吟味し始めた。
伊賀流忍者は50mm擲弾筒を買いに、東急ハンズへと向かっていた。どうせなら帯びているまきびしを志仁田殿にあげたかったでござるが、志仁田殿がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、詮方ないでござる。しかし、「ごじふみりてきだんとう」とは、いかなるものでござろうか。通りすがりの男に訊ねてみると、「さあ? なんか武器っぽいけどね」との応えでござった。拙者、忍びが用いる暗器には詳しいものの、近頃の世事にはとんと疎い。そこで、大抵のものが売られているという大店、「とうきふはんず」に向かっているのでござる。ところが、駅前の店に着き、店員の娘に聞いてみたでござるが、目的の品は取り扱ってござらぬとのこと。天下の大店、とうきふはんずにも売ってござらぬならば、浮世で入手するのは至難の業、蓬莱の玉の枝ほどに希少な珍品でござろう。途方に暮れた伊賀流忍者は、ふとある品に目を留めた。
ミリオタの男はゴールボールを買いに、スポーツ用品店へと向かっていた。どうせなら界隈民御用達のミリタリー関係のセカンドショップをあの女子に紹介したかったが、あの女子がそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。ゴールボールを買ってこいと言われたときは「スポーツを⁈」と驚いたが、買えるからには使われるボールのことだろう。慣れない歩行で滝のように流れる汗を拭い拭い、到着した店ではしかし、ゴールボールは売っていなかった。まあそこまで一般人に膾炙した競技じゃないしなあと思いつつ、落胆を隠せなかった男に、店主は声をかけてきた。事情を知った老齢の店主は、男に孫の話をし始めた。
ゴールボール好きの女性は自学帳を買いに、文房具店へと向かっていた。どうせなら視覚障害者の仲間とやっているゴールボール同好会の備品を貸してあげたかったが、志仁田さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。白杖をつきながら、歩き慣れた歩道をゆっくりと進む。しかし近頃周りの景色がめっきり変わってしまったので、油断はできない。だがどうやら目当ての文房具店にたどり着いたようで、彼女は初めて店内に足を踏み入れた。すると店員らしき若い男性の声がし、ノートが一冊欲しいと話すと、一瞬奥に引っ込むとすぐに持ってきてくれた。女性は代金を払い丁重に礼を言うと、店を辞した。そして、来た道を往路と同様、慎重に戻っていった。その後、若い男性がどうも嫌な感じの笑い声を上げたが、彼女の耳には届いていない。
公立中学校に通う男子は、そこらへんを足速に歩き回っていた。どうせなら今も持っている自学帳をあのお姉さんにあげたかったが、お姉さんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。その日は休日だったが、口うるさい親にせっつかれ、図書館へと勉強しに出かけたのだ。スマホは親に預けさせられ、勉強用具と最低限の貴重品だけを入れた肩掛けバッグを持ち、しかしなんとも気が向かないので川辺をぶらぶらしていたところで、世界を救った有名人に会ったのだ。だが、買い物もせずせかせかと歩いては人と肩をぶつけてしまい小声で謝ることを繰り返しているのには、わけがあった。三階フロアは手に入らないが、でも仕方ない。時間を適当に潰して戻ろう。このカードさえ返せば大丈夫だよな。だって……
マンション王はYSー11を買いに、コンビニへと向かっていた。どうせなら自分が所有するマンションの三階フロアを少女風ちゃんに提供したかったが、そうはいかなかったので仕方がない。それにしてもYSなんとかってなんなんだろう。知らないがとりあえずコンビニに来たんだからどうにかなるだろう。自覚はないが、マンション王は不動産収入だけで生きてきたため、市井のことに疎かった。ともかく、早速レジの爺さんに聞いてみると「それはとっくのとうに生産終了しとるよ」と言われてしまった。生産終了しているならどうしようもない。中古品を手に入れられるだろうか、いや限られた時間では厳しいか、などと考えるマンション王の前に、一つの値札があるのに気づいた。それを見た瞬間、マンション王は確信した。なんとかかんとかは生産終了したが、後継商品が発売されていたのだ! これを買っていこう!
飛行機大好き少女はゴマドレッシングを買いに、スーパーへと向かっていた。どうせならパパにねだって買ってもらったYS-11の模型をあのお姉ちゃんに貸してあげたかったが、お姉ちゃんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。だいぶ綺麗になった道を自転車で走り、駐輪場で愛車を停める。足元に気をつけながら入店すると、慣れた足取りでゴマドレをゲットした。少女はおつかいを何度も経験している手練れであるゆえ、なんとセルフレジで会計を済ませ、自転車の籠にゴマドレを入れて河川敷へと戻っていった。おつかいを済ませたら、ママとパパにあのお姉ちゃんが川辺で何かしているよって教えてあげようと思いながら。
志仁田は水菜を買うのにめちゃくちゃ手間取った。別の八百屋に行っても売っておらず、そもそも土地鑑がないので店を探すのにも苦労し、ようやくあるスーパーで水菜を購入できたときには、既に日はだいぶ傾いていた。最初に買った野菜の入ったレジ袋を担いで長時間歩き回り、志仁田はもうへとへとだった。どんなに酷暑の日に走り回ってもどんなに極寒の日に薄着で寝ていても、今まで体調不良にならなかった志仁田にとって、こんな経験は初めてだった。しかし、こんな状態は自殺にうってつけのコンディションだとポジティブ思考をして、志仁田は河川敷へと歩を進めた。そして午後五時、志仁田は拠点たる隅田川河川敷に帰還を果たした。他のメンバーは既に帰ってきていて、これにて具材の調達が完了した。
調理
河川敷には多くの人が見物に来ていた。中にはカメラを構えて何事か話している者もいる。しかし、志仁田は意に介することなく、堤防を下りていった。そこには大きな机と調理用具一式、小型発電機に繋がれた冷蔵庫までもが用意されていた。手伝いを頼んだ人々が事前に準備を進めてくれていたのだ。
各人が入手した具材は、冷蔵保存が必要なら冷蔵庫の中に、そうでなければ机に置かれるシステムになっていた。志仁田はそれを確認すると、自らの戦利品を机の上に置いた。そして、家庭科の授業で作ったエプロンを着けると、いまさらの制作に取り掛かった。
①材料を適当な大きさに千切る ②皿に盛り付ける ③完成!!!
わずか10分足らずで、忌まわしきサラダは完成した。周りに集まっていた人々からは、歓声ともどよめきともつかぬ声が上がった。
脚注
- ↑ なぜこんな代物が食材として市民権を得ているのか。
- ↑ さらさらした口触りに定評がある。
- ↑ 「おやめください! そのようなものを食すだなんて! その……その
おぞましい実トマトを召し上がるのですか⁈」 - ↑ なお、「舌助が死んだのは普通にトリカブトが入ってたからじゃね?」とか言ってる馬鹿もいる。
- ↑ なお、「普通にサンドバッグが入ってたからじゃね?」とか言ってる阿呆もいる。
- ↑ なお、「普通に50mm擲弾筒が入ってたからじゃね?」とか言ってる頓珍漢もいる。
- ↑ なお、「普通に三階フロアが入ってたからじゃね?」とか言ってる唐変木もいる。
- ↑ なお、「普通にそんな料理を晩御飯に出したからじゃね?」とか言ってる木偶坊もいる。
- ↑ なお、「普通にトレーニングが足りなかったんじゃね?」とか言ってる脳筋もいる。
- ↑ なお、「普通にそんな料理を新歓に出したからじゃね?」とか言ってる田吾作もいる。
- ↑ なお、「普通に入ってるからじゃね?」とか言ってる脳足りんもいる。
- ↑ なお、「普通にトマトが入ってたからじゃね?」とか言ってるトマト嫌いもいる。
- ↑ なお、「え⁈ だって入ってくるなって言ってたじゃん⁉︎ なんで怒ってるの⁈ え⁈」とか言ってる朴念仁もいる。
- ↑ なお、「自らのために女性に尽くさせるクソオスの典型💢」とか言ってるフェミニストもいる。
- ↑ なお、「これよ〜く見るとハムが入ってます❗️ 牛の命を奪う人間は見にくい、即刻辞めさせます🤬🤬🤬」とか言ってるヴィーガンもいる。