小籠包

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小籠包とは、清王朝が欧米列強に対抗するために開発した小型武器である。

誕生[編集 | ソースを編集]

1895年、日清戦争に敗れた。清は弱体化し、1896~1899年には列強各国に分割・租借され、半植民地化されていった。1899年には義和団事件が起き、翌1900年には国家間戦争となったため列強に兵を送られ、更に半植民地化が進んだ。

国民の不満・不安が高まっているのを受け、清朝は内政改革に着手した。政治体制を近代化するため、1905年に科挙を廃止、1908年憲法制定と議院開設を約束、1911年には内閣を設置した。

しかし清朝12代皇帝愛新覚羅溥儀は、清朝の力を再び増すため、対外的な軍備増強も密かに進めていた。だが既存の兵器では他国に勝てないことは自明、日清戦争の賠償金が圧迫している清の財政には大量の兵器を購入する余裕も当然なかった。そのため愛新覚羅溥儀は安価で強力な兵器の開発を推し進めた。

そして1910年、清の技術者が小型肉汁爆弾「小籠包」を完成させた。

構造[編集 | ソースを編集]

小籠包の特徴と言えば、なんといっても可食性であろう。外殻は小麦粉の薄い皮、内部は豚の挽肉とその他の具、そして爆薬である肉汁でできている。材料はすべて一般に流通している食べ物であり、これにより低コストでの大量生産を実現した。構造は、爆薬さえ無ければ伝統的な中華料理「点心」に酷似している。そして、驚くべきことに、美味しいのである!

作り方も非常に簡単で、具を皮で包み、蒸籠で蒸すだけである。ただし、蒸すときに温度を可能な限り上げ、内部の爆薬の温度を高くする。更に配膳する際、これも高温のスープに浸しておくことで、小籠包を熱く保つ。それに加え、匙を添えて出すことで、ターゲットは高温のスープとともに小籠包を口に入れるよう誘導される。

そうすることで、目の前の料理が危険物であることを知る由もない者は、熱々の小籠包を頬張ってしまう。そして歯が皮を破った瞬間、高熱の肉汁がターゲットの口腔を灼き尽くす。これによりほとんどのターゲットはⅢ度熱傷を負い、死に至る。小籠包の致死率は7割に上ったという。更に、小籠包の美味さゆえ、運良く生存した者ももう一度小籠包を食べたくなってしまい、犠牲になるというなんとも悪魔的な兵器であった。

使用[編集 | ソースを編集]

小籠包で敵国民を蹂躙する極秘作戦が、1911年から列強の人々が多い上海を中心に始まった。小籠包は各地の飲食店に出され、犠牲者は着実に増えていった。

しかし作戦は間に合わず、1912年1月1日、辛亥革命により清国は滅亡してしまう。統率者がいなくなったことで小籠包を出す店はひとりでに拡大していき、国内外問わず犠牲者は増えていった。

レシピの簡単さが仇となって外国の家庭でも作られるようになり、犠牲者は指数関数的に増えていった。これが俗に言う世界小籠包危機である。

小籠包革命[編集 | ソースを編集]

この危機に世界中の料理人が立ち上がった。危険な実験を重ね、幾多の犠牲を乗り越え、遂に中華民国のある主婦が安全な小籠包を作り出した。材料は変わらないが、サイズを小さく、皮を薄くすることで有り余る肉汁を逃がした。スープも使わないで温度を安全圏まで下げることに成功した。

この料理はたちまち世界中で大ヒット。小籠包のニーズに取って代わることに成功し、小籠包危機から人類を救ったのである。この料理は、今も「焼売」という名で愛されている。

献辞[編集 | ソースを編集]

着想をくれた姉に惜しみない感謝を捧ぐ。返品は例の如く不可。 WikiWiki