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清二は腑に落ちなかった。いくらなんでも骨がこんなに容易く折れるだろうか。体調の異変は少し前から感じていた。手足が痺れるのだ。今日転んだのはその所為でもある。何かおかしい。何かが俺の体を蝕んでいる気がする。そんな怯えが渦巻いておった。 | 清二は腑に落ちなかった。いくらなんでも骨がこんなに容易く折れるだろうか。体調の異変は少し前から感じていた。手足が痺れるのだ。今日転んだのはその所為でもある。何かおかしい。何かが俺の体を蝕んでいる気がする。そんな怯えが渦巻いておった。 | ||
その後、清二の体調は悪化の一途を辿った。手足の痺れはますますひどくなり、体を動かすと痛むから寝床に臥しがちになっていった。清二の異変はすぐに村中に広まった。そんな中、2人目の患者が現れる。これも貝尾集落に住む老婆で、手足の痺れから始まり、囲炉裏に躓いて足を折ったという。同居する孫が懸命に面倒を見たが、病状は悪化するばかりじゃった。 | |||
3人目からは勢いがぐんと増した。あれよあれよという間に、同じような症状が出て寝込む者が相次いだ。皆、末端の痺れから始まり、骨が有り得ぬほど脆くなってゆく。2月に入る頃には、病人は10名ほどになっておった。 | |||
麓の町から医者が呼ばれたが、どうにも処置のしようが無い。見たことのない奇病に、できることは痛み止めを処方するくらいじゃった。そうしているうちに患者は少しずつ、じゃが確実に増えてゆく。そして3月下旬には、貝尾の隣の集落にも初の罹患者が出た。この病は、加茂町行重全体に勢力を広げ出したのじゃ。 | |||
医師は天手古舞じゃが、如何せん田舎の診療所、できることは少ない。そんな中、遂に清二が死んだ。小さい息子が巫山戯て蒲団の上から清二に飛び乗り、胸郭が潰れたのじゃ。恐怖は貝尾集落だけでなく、行重全体に充満した。様々な噂が飛び交った。曰く、流行り病。曰く、火の神の祟り。曰く、支那国の兵器。曰く、…。親戚の伝手を辿って行重を離れる者すら出て来た。しかし、ほとんどの者は家族に病人がいるなどして、脱出は叶わなかった。 | |||
5月には、患者は30人を超え、既に3人が命を落とした。行重を襲っている病の噂は徐々に広まり、新聞の記者さえ度々訪れるほどにまでなった。そして、記者はこの災禍を、貝尾の人が使った呼称を全国に広めた。曰く、租唖。 |
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