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__NOTOC__{{基礎情報 事件・事故|名称=酒谷市喫茶店殺傷事件|場所=古民家カフェ「道明庵」|日付=2023年4月2日|概要=喫茶店の開店祝いに集まっていた人々を殺傷した。|凶器=猟銃、日本刀|死者=18人(犯人を除く)|生存者=1人}}'''酒谷市喫茶店殺傷事件'''は、2023年4月2日に発生した無差別殺傷事件。
__NOTOC__{{基礎情報 事件・事故|名称=酒谷市喫茶店殺傷事件|場所=古民家カフェ「道明庵」|日付=2023年4月1日|概要=喫茶店の開店祝いに集まっていた人々を殺傷した。|凶器=猟銃、日本刀|死者=19人|生存者=1人}}'''酒谷市喫茶店殺傷事件'''は、2023年4月1日に発生した無差別殺傷事件。


その場所と被害者数から、'''古民家カフェの惨劇'''と言われることもある。
その場所と被害者数から、'''古民家カフェの惨劇'''と言われることもある。
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{{フェード}}
{{フェード}}
==獲物==
==獲物==
 細い吊り橋を、遥か下方を流れる川のせせらぎを聞きながら渡る。細いといえど、人が余裕を持ってすれ違える程度の幅はある。さすがに車は通れないから、橋の袂の駐車場に駐めないといけないが。新しいもののようで、吊り橋につきものなスリルは味わわずに済みそうだ。
 細い吊り橋を、遥か下方を流れる川のせせらぎを聞きながら渡る。木製の板が、微かに軋んでいる。細いといえど、人が余裕を持ってすれ違える程度の幅はある。さすがに車は通れないから、橋の袂の駐車場に駐めないといけないが。新しいもののようで、吊り橋につきものなスリルは味わわずに済みそうだ。
<br> 対岸に着くと、目の前に小洒落た建物が姿を現す。年季の入った茅葺きの屋根と木の壁。開放された玄関の前には幟が二本翻っており、「古民家カフェ 道明庵」「新規オープン」の文字が見てとれる。
<br> 対岸に着くと、目の前に小洒落た建物が姿を現す。年季の入った茅葺きの屋根と木の壁。開放された玄関の前には幟が二本翻っており、「古民家カフェ 道明庵」「新規オープン」の文字が見てとれる。
<br> 僕が一昨年までお世話になっていた大家さん、野坂さん夫妻がこのたび古民家カフェをオープンした。不動産業でこつこつ蓄えた彼らは、遂に夫婦で店を経営するという積年の夢を叶えたのだ。僕が大学時代を過ごした下宿も売り払われて、これからはここの経営に専念するらしい。四十路を越えた野崎夫婦にとって、かなり大きな決断だが、そのぶん夢が叶った充実感も大きいだろう。
<br> 僕が一昨年までお世話になっていた大家さん、野坂さん夫妻がこのたび古民家カフェをオープンした。不動産業でこつこつ蓄えた彼らは、遂に夫婦で店を経営するという積年の夢を叶えたのだ。僕が大学時代を過ごした下宿も売り払われて、これからはここの経営に専念するらしい。四十路を越えた野崎夫婦にとって、かなり大きな決断だが、そのぶん夢が叶った充実感も大きいだろう。
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<br>「綾子さん、お久しぶりです」
<br>「綾子さん、お久しぶりです」
<br> 夫妻の妻の方、綾子さんは割烹着に足袋という出で立ちだった。会うのは二年ぶりのはずだが、この衣裳が似合いすぎて、むしろ既視感すら覚えるほどだった。
<br> 夫妻の妻の方、綾子さんは割烹着に足袋という出で立ちだった。会うのは二年ぶりのはずだが、この衣裳が似合いすぎて、むしろ既視感すら覚えるほどだった。
<br> 軽く挨拶を交わしながら、綾子さんに先導されてまっすぐな廊下を奥へと向かう。並んだ襖は松の意匠が施されたもので、和の雰囲気を感じさせる。家屋は古民家を改装したとは思えないような綺麗さだった。
<br> 軽く挨拶を交わしながら、綾子さんに先導されてまっすぐな廊下を奥へと向かう。並んだ襖は松の意匠が施されたもので、和の雰囲気を感じさせる。しかし天井には長い蛍光灯がはまっていて、現代設備はアンバランスさを感じさせた。まあ行灯を使うことなぞできようもないから、仕方のないことだ。概して、家屋は古民家を改装したとは思えないほど綺麗だった。
<br> 廊下を突き当たると、建物の横幅いっぱいを占める大部屋があった。襖を開けて、畳のへりを跨ぐ。そこでは、大勢の人たちが寛いでいた。横に長い大部屋の中央には、やはり横に長い木の大机がある。人々はそれを囲んで、陽気に語らいあったり何かをつまんだりしていた。机の上には、和菓子や小料理、ちょっとした酒類も並んでいるようだ。時刻は午後五時前だが、ちょっと早い酒宴を開いているのだろう。向かいの長辺は縁側になっており、庭に降りることができる。見晴らしがとても良く、谷川がどんどん太くなって地平線の果てまで伸びているのが見えた。
<br> 廊下を突き当たると、建物の横幅いっぱいを占める大部屋があった。襖を開けて、畳のへりを跨ぐ。そこでは、大勢の人たちが寛いでいた。横に長い大部屋の中央には、やはり横に長い木の大机がある。人々はそれを囲んで、陽気に語らいあったり何かをつまんだりしていた。机の上には、和菓子や小料理、ちょっとした酒類も並んでいるようだ。時刻は午後五時前だが、ちょっと早い酒宴を開いているのだろう。向かいの長辺は縁側になっており、庭に降りることができる。見晴らしがとても良く、谷川がどんどん太くなって地平線の果てまで伸びているのが見えた。
<br> 僕は見知った顔を見つけ、部屋の右隅に向かった。
<br> 僕は見知った顔を見つけ、部屋の右隅に向かった。
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<br>「先輩は東京で銀行員してるんですよね?」
<br>「先輩は東京で銀行員してるんですよね?」
<br>「ああ。だから今日は遅くなっちゃったよ」
<br>「ああ。だから今日は遅くなっちゃったよ」
<br> この会は昼から催されているのだが、僕は仕事の都合でこの時間からしか参加できなかった。でも、翌日は有給を取ってあるから、遅れたぶん遅くまで居て取り返そうと思っている。どうせ酒宴になって夜遅くまで続くのだから、近くの宿を既に手配済みだ。
<br> この会は昼から催されているのだが、僕は仕事の都合でこの時間からしか参加できなかった。でも、翌日は日曜だし、遅れたぶん遅くまで居て取り返そうと思っている。どうせ酒宴になって夜遅くまで続くのだから、近くの宿を既に手配済みだ。
<br> 従業員の方なのか、若い女の人が僕の前にお茶を持ってきた。会釈をして受け取りながら、この場にいる人数を数える。大部屋の客が自分たちを含めて15人、従業員らしい配膳をしている人が、綾子さん含め3人。キッチンに籠もってでもいるのか、夫の徹さんの姿は見えない。客は野崎さんと同年代の方々が多く、僕の知り合いは高島さん以外にいなかった。
<br> 従業員の方なのか、若い女の人が僕の前にお茶を持ってきた。会釈をして受け取りながら、この場にいる人数を数える。大部屋の客が自分たちを含めて15人、従業員らしい配膳をしている人が、綾子さん含め3人。キッチンに籠もってでもいるのか、夫の徹さんの姿は見えない。客は野崎さんと同年代の方々が多く、僕の知り合いは高島さん以外にいなかった。
<br> 僕と高島さんは、近況報告も兼ねて他愛もない話をした。
<br> 僕と高島さんは、近況報告も兼ねて他愛もない話をした。
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<br>「あ、その前に主人がちょっと話すから、合図があるまで部屋の外で待っていて頂戴」
<br>「あ、その前に主人がちょっと話すから、合図があるまで部屋の外で待っていて頂戴」
<br>「わかりました」
<br>「わかりました」
<br> 二人はまた厨房へと戻っていった。太陽は、中天から降りつつあった。
<br> 二人はまた厨房へと戻っていった。太陽は、中天から下りつつあった。


==狩人==
==狩人==
 俺は道明庵の見取り図をもう一度丹念に確認した。カフェがある平地は崖の中途にあり、北に崖を背負い、その他三方は30メートル下方を渓流が流れる崖。平地に出入りできる唯一のルートは、東にある吊り橋のみ。
 俺は道明庵の見取り図をもう一度丹念に確認した。カフェがある平地は崖の中途にあり、北に崖を背負い、その他三方は30メートル下方を渓流が流れる崖。平地に出入りできる唯一のルートは、東にある吊り橋のみ。
<br> 建物は、東西に長い長方形をしている。短辺10メートル、長辺50メートルほど。橋の正面に玄関。そこから伸びる廊下の一本は、建物はまっすぐ貫いている。
<br> 建物は、東西に長い長方形をしている。短辺10メートル、長辺30メートルほど。橋の正面に玄関。そこから伸びる廊下の一本は、建物はまっすぐ貫いている。もう二本の廊下は、それぞれ左右に分かれてぐるりと建物を囲み、中心の廊下に合流する。西の端には大部屋が一つ。三本の廊下に囲まれ、二つの島ができている。北の一つは四つの個室に、南の方は二つの個室と厨房になっている。玄関の横にある男女トイレを加えれば、これが全ての部屋だ。
<br> 古民家を改装しただけあって、内装も襖や畳が中心で、防犯性があるのはせいぜい雨戸くらいだ。厨房はさすがに近代化されているが、計画に支障は全くない。
<br> 見取り図を畳んで、今度は別の紙を取り出した。何度も頭に叩き込んで、もはや見ずとも諳んじることができるほどだが、もう一度読む。
 
*野崎徹(46)
*野崎綾子(44)
*今村晴未(21)
*藤崎亜李沙(21)
*中村悟(47)
*工藤健一(46)
*工藤愛子(42)
*福田浩二(48)
*斎藤健一郎(40)
*西尾司(33)
*西尾優香(33)
*西尾拓(9)
*望月健吾(52)
*園田龍一(60)
*山本紀子(45)
*日下部学(38)
*日下部直美(39)
*上原和希(23)
*高島千佳(22)
 
 開店祝いに招待された人々、つまりターゲットの一覧だ。特に恨みはない。ただ、立地が良かった。住宅地から離れており、簡単に孤立させられることができる。そんな場所で開かれる会に、自分も招待された。絶好の機会。今を逃せば、まず実現不可能な希望。内なる衝動を解放できる、最初で最後のチャンス。
<br> 目的は、19人の鏖殺。
<br> 手袋と靴紐、耳当てを三度ずつ確認した。装備、心身いずれも異状なし。やっと始められる。
<br> 後部座席にある装置のスイッチを入れると、俺は車を降りた。ギターケースとクーラーボックスを背負い、黙って吊り橋を渡る。眼下に広がる深い谷に、心がどうしようもなく高揚する。深呼吸をして、心拍を落とした。
<br> カフェから誰か出てくる様子はない。吊り橋を渡りきると、クーラーボックスを開いて中から箱を二つ取り出した。箱、手製の爆弾をガムテープで橋の板の左端にくっつける。もう一つは右に。
<br>「ここ、橋の端じゃないか。ヒヒッ」
<br> 橋の一番こちら側の足板が、二つの爆弾に挟まれた形だ。
<br>「さて、ここが最終ポイントだ。今ならまだ引き返せる。どうだ?」
<br> 一片の迷いもない。それが回答だった。
<br>「よし、始めようか」
<br> 箱のスイッチを押し、走って離れる。きっかり五秒後、爆音が鳴った。白い煙と木片が散り、少し遅れてギギイと断末魔の軋みが鳴り響く。煙の奥で、吊り橋が落ちていくのが見えた。
<br> 思わず快哉を叫んで、煙を払って橋の袂に駆け寄った。まだ熱い空気の中に飛び込み、谷を覗き込むと、巨大な振り子と化した橋が、対岸の崖にぶつかって砕け散るところだった。轟音が一瞬遅れて耳に届く。
<br> 壮観だった。心が多幸感に包まれる。これだ、と俺は気づいた。俺はこれがしたかったんだ。何かを、思いっきり壊したかったんだ。
<br> もっと余韻に包まれていたかったが、そうもいかない。すぐに獲物たちが様子を見にくるだろう。その前に準備を整えねば。名残惜しいが、俺は谷底から視線を切り、荷物を置いたところまで小走りで戻った。
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