「利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/乙」の版間の差分

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「祥子は子供じゃないんだぞ! 謝れ!」
「祥子は子供じゃないんだぞ! 謝れ!」


 娘夫婦は呆然として俺を見ていた。その表情の奥には、ある種の納得と、覚悟を感じさせるようなものがあった。心臓の音が一つ、大きく跳ねた。
 娘夫婦は呆然として俺を見ていた。その表情の奥には、ある種の納得と、覚悟を感じさせるようなものがあった。心臓の音が一つ、大きく跳ねた。呼吸が荒くなる。


「ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……」
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「もういい。帰ってくれ」
「もういい。帰ってくれ」


 そう言うと、すごすごとリビングを出ていく娘夫婦を尻目に、俺はあの治験薬について調べはじめた。辿り着いたのは、この治験薬の承認に反対する団体のホームページだった。俺は夢中でサイトを読み漁る。どうやら、あの治験薬が作用する仕組みは、医者が言っていた通り精神安定剤と同様のもので、脳の感情に関する部位の働きを抑制するところにあるらしい。ただ、その抑制の程度は、ほとんど破壊とさえいえる代物であるという。
 そう言うと、すごすごとリビングを出ていく娘夫婦を尻目に、俺は震える手であの治験薬について調べはじめた。辿り着いたのは、この治験薬の承認に反対する団体のホームページだった。俺は夢中でサイトを読み漁る。どうやら、あの治験薬が作用する仕組みは、医者が言っていた通り精神安定剤と同様のもので、脳の感情に関する部位の働きを抑制するところにあるらしい。ただ、その抑制の程度は、ほとんど破壊とさえいえる代物であるという。


 そのサイトでは、この治験薬の残忍さを、「ロボトミー」という手術になぞらえて批判していた。この手術は、精神障害への治療法として二十世紀に確立され、急速に広まったものであり、考案者はこの功績でノーベル生理学賞とノーベル医学賞を受賞したという。
 そのサイトは、この治験薬の残忍さを、「ロボトミー」という手術になぞらえて批判していた。この手術は、精神障害への治療法として二十世紀に確立され、世界各地で急速に広まったものらしい。ただし、その手術の内容は、脳のうち感情や人格を司る部分の神経を切除してしまうというものだった。これを受けた患者の人格は変化し、感覚は薄らいだという。「どうしてこんな手術が生まれたのか?」このサイトは読者に投げかける。いわくロボトミーは、考案者がその功績で二つのノーベル賞を受賞し、最も盛んに手術が行われていた時期でさえ、人道的観点からの批判が多くあったという。しかし、この手術が表舞台を去ったのは、これに代わる副作用の少ない薬品が発展してからのことだった。
 
 「看護が楽になること」――このサイトは、こう結論づけた。ロボトミーが生まれた時代、精神病院は患者で溢れかえっていた。中には暴力的で手に負えない患者も多くいただろう。実際、ロボトミーの先取りとなったある手術は、患者の攻撃性の緩和を目的にしていたという。ロボトミーは、患者から感情と知性を奪うことで、「楽な患者」を実現させていたのだ。俺はここでようやく、このサイトが何を言おうとしているのかを理解しはじめた。さらに読み進めると、話はやはりあの治験薬に戻る。これは新しいロボトミーに他ならない、という記述が、目に飛び込んでくる。
 
 ただし、単に外科手術で人格を破壊するのではない。あの治験薬が引き起こすのは、ここ数年の医学的技術の躍進によって可能になった、服薬による高度な人格の操作なのだという。この薬は服用するごとに認知症患者の本来の人格を変えていき、介護者にとって最も理想的とされる人格を植え替えてしまうのだ。このサイトの考察によれば、それは「幼児の人格」だという。拙い言葉を喋り、いつも笑顔で、愛くるしい。そんな「楽な患者」を、精神病院の医師たちではなく、今度は日本の何千万もの介護者たちが求めているのだ。
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