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にょーん
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(にょーん)
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飛行機大好き少女はゴマドレッシングを買いに、スーパーへと向かっていた。どうせならパパにねだって買ってもらった[https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 YS-11]の模型をあのお姉ちゃんに貸してあげたかったが、お姉ちゃんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。だいぶ綺麗になった道を自転車で走り、駐輪場に補助輪が取れたばかりの愛車を停める。足元に気をつけながら入店すると、慣れた足取りでゴマドレをゲットした。少女はおつかいを何度も経験している手練れであるゆえ、なんとセルフレジで会計を済ませ、自転車の籠にゴマドレを入れて公民館へと戻っていった。おつかいを済ませたら、ママとパパにあのお姉ちゃんが公民館で何かしているよって教えてあげようと思いながら。
飛行機大好き少女はゴマドレッシングを買いに、スーパーへと向かっていた。どうせならパパにねだって買ってもらった[https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11 YS-11]の模型をあのお姉ちゃんに貸してあげたかったが、お姉ちゃんがそこに集まった人々に適当に買うものを割り振ったので、仕方がない。だいぶ綺麗になった道を自転車で走り、駐輪場に補助輪が取れたばかりの愛車を停める。足元に気をつけながら入店すると、慣れた足取りでゴマドレをゲットした。少女はおつかいを何度も経験している手練れであるゆえ、なんとセルフレジで会計を済ませ、自転車の籠にゴマドレを入れて公民館へと戻っていった。おつかいを済ませたら、ママとパパにあのお姉ちゃんが公民館で何かしているよって教えてあげようと思いながら。


志仁田は水菜を買うのにめちゃくちゃ手間取った。別の八百屋に行っても売っておらず、そもそも土地鑑がないので店を探すのにも苦労し、あるスーパーでようやく水菜を購入できたときには、既に日はだいぶ傾いていた。最初に買った野菜の入ったレジ袋を担いで長時間歩き回り、志仁田はもうへとへとだった。どんなに酷暑の日に走り回ってもどんなに極寒の日に薄着で寝ても今まで体調不良にならなかった志仁田にとって、こんな経験は初めてだった。しかし、こんな状態は自殺にうってつけのコンディションだとポジティブ思考をして、志仁田は公民館へと歩を進めた。そして午後五時、志仁田は拠点たる公民館に帰還を果たした。他のメンバーは既に帰ってきていた。
志仁田は水菜を買うのにめちゃくちゃ手間取った。別の八百屋に行っても売っておらず、そもそも土地鑑がないので店を探すのにも苦労し、あるスーパーでようやく水菜を購入できたときには、既に日はだいぶ傾いていた。最初に買った野菜の入ったレジ袋を担いで長時間歩き回り、志仁田はもうへとへとだった。どんなに酷暑の日に走り回ってもどんなに極寒の日に薄着で寝ても今まで体調不良にならなかった志仁田にとって、こんな経験は初めてだった。しかし、こんな状態は自殺にうってつけのコンディションだと、ポジティブ思考で志仁田は公民館へと歩を進めた。そして午後五時、志仁田は拠点たる公民館に帰還を果たした。他のメンバーは既に帰ってきていた。


公民館には多くの人が見物に来ていた。前庭には人だかりができており、大道芸人すらもいてちょっとした祭りのようだった。それだけでなく、公民館の中にも少なくない人が物珍しげに辺りを見回していた。中にはカメラを構えて何かを話している者もいる。しかし、志仁田は気にせずキッチンに向かった。志仁田は観衆の目は気にならなかったが、冬の夕方とあって寒さがさすがに厳しくなってきたため、ドアと窓を閉めた。部屋には志仁田と何人かの買い物を手伝ってくれた人たち、それと数人の野次馬が残された。そこには大きな調理台と用具一式、小型発電機に繋がれた冷蔵・冷凍庫までもが用意されていた。手伝いを頼んだ人々が事前に準備を進めてくれていたのだ。
公民館には多くの人が見物に来ていた。前庭には人だかりができており、大道芸人すらもいてちょっとした祭りのようだった。それだけでなく、公民館の中にも少なくない人が物珍しげに辺りを見回していた。中にはカメラを構えて何かを話している者もいる。しかし、志仁田は気にせずキッチンに向かった。志仁田は観衆の目は気にならなかったが、冬の夕方とあって寒さがさすがに厳しくなってきたため、ドアと窓を閉めた。部屋には志仁田と何人かの買い物を手伝ってくれた人たち、それと数人の野次馬が残された。そこには大きな調理台と用具一式、小型発電機に繋がれた冷蔵・冷凍庫までもが用意されていた。手伝いを頼んだ人々が事前に準備を進めてくれていたのだ。


各人が入手した具材は、低温保存が必要なら冷蔵・冷凍庫の中に、そうでなければ黒いクロスの敷かれた長机に置かれるシステムになっていた。様々な材料がテーブルの上に置いてある。志仁田はそれを確認すると、自らの戦利品を机の上に置いた。そして、家庭科の授業で作ったクマのキャラがプリントされたエプロンを着けると、セーターの袖をまくり、いまさらの制作に取り掛かった。
各人が入手した具材は、低温保存が必要なら冷蔵庫の中に、そうでなければ黒いクロスの敷かれた長机に置かれるシステムになっていた。様々な材料がテーブルの上に置いてある。志仁田はそれを確認すると、自らの戦利品を机の上に置いた。そして、家庭科の授業で作ったクマのキャラがプリントされたエプロンを着けると、セーターの袖をまくり、いまさらの制作に取り掛かった。


===調理===
===調理===
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当初、買い物を手伝っていた人々でさえ、志仁田が何を作ろうとしているのかわかっていなかった。しかし、一部の観衆がいまさらを知っておりそれに言及したため、志仁田の作るこの料理が何であるかを、もはやその場の皆が知っていた。人々は得体の知れない緊張に襲われたが、当の志仁田は意に介さない。
当初、買い物を手伝っていた人々でさえ、志仁田が何を作ろうとしているのかわかっていなかった。しかし、一部の観衆がいまさらを知っておりそれに言及したため、志仁田の作るこの料理が何であるかを、もはやその場の皆が知っていた。人々は得体の知れない緊張に襲われたが、当の志仁田は意に介さない。


出来上がったいまさらは大皿に盛られていた。志仁田は徐にエプロンを外すと、着席した。箸を取り、手を合わせる。そして志仁田はいまさらを食べ始めた。観衆は静まり返り、ただ志仁田がいまさらを咀嚼する音だけが響いた。誕生して一世紀余、無数の命を奪ってきた呪いの料理。それに、地球を救った英雄が挑んでいる。ここにきて、人々は志仁田の意図を悟った。彼女は、自らを以て、この忌まわしき死の連鎖を止めようとしているのだ。最強の人間の矜持を懸けて、凶悪な陋習を打ち破り、皆に希望を与えようとしているのだ! 人々は息を呑みながらも、ある者は両手を合わせ、ある者は口の中で呟き、ある者は固く目を瞑り、それぞれの形で志仁田の勝利を心から祈った。
出来上がったいまさらは大皿に盛られていた。志仁田は徐にエプロンを外すと、着席した。箸を取り、手を合わせる。そして志仁田はいまさらを食べ始めた。観衆は静まり返り、ただ志仁田がいまさらを咀嚼する音だけが響いた。誕生して一世紀余、無数の命を奪ってきた呪いの料理。それに、地球を救った英雄が挑んでいる。ここにきて、人々は志仁田の意図を悟った。彼女は、自らを以て、この忌まわしき死の連鎖を止めようとしているのだ。最強の人間の矜持を懸けて、凶悪な呪いを打ち破り、皆に希望を与えようとしているのだ! 人々は息を呑みながらも、ある者は両手を合わせ、ある者は口の中で呟き、ある者は固く目を瞑り、それぞれの形で志仁田の勝利を心から祈った。


ついに、その時が訪れた。皿が空になると同時に、志仁田は不機嫌そうな顔で「不味い」と言った。そして——
ついに、その時が訪れた。皿が空になると同時に、志仁田は不機嫌そうな顔で「不味い」と言った。そして——
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その頃、一人の掏摸が道を歩いていた。掏摸は何食わぬ顔で歩きながらも、ガードの緩い人がいないか虎視眈々と狙っていた。最近は火事場泥棒のような真似もして懐も温かかったから、掏摸は機嫌が良かった。その時、前方から子供が歩いてきた。目を伏せ、せかせかと歩を進めている。何か口の中で呟いていて、心ここにあらずである。掏摸にとって格好の標的である。すれ違う瞬間、掏摸は全く自然に肩をぶつけた。子供が驚いてこっちを見上げるより先に、掏摸の手は肩掛けバッグに差し込まれ、すでに抜かれていた。軽く声をかけてまた歩き出した掏摸は、手につかんだものを見て、落胆した。財布の類いを期待していたが、抜き取ったものは一冊のノートだった。大方さっきの子供の学習道具だろう。こんなものには一銭の価値もない。その辺に捨てようかと思ったが、人目が増えてきたので、掏摸はノートをしまうと素知らぬ顔で歩き続けた。
その頃、一人の掏摸が道を歩いていた。掏摸は何食わぬ顔で歩きながらも、ガードの緩い人がいないか虎視眈々と狙っていた。最近は火事場泥棒のような真似もして懐も温かかったから、掏摸は機嫌が良かった。その時、前方から子供が歩いてきた。目を伏せ、せかせかと歩を進めている。何か口の中で呟いていて、心ここにあらずである。掏摸にとって格好の標的である。すれ違う瞬間、掏摸は全く自然に肩をぶつけた。子供が驚いてこっちを見上げるより先に、掏摸の手は肩掛けバッグに差し込まれ、すでに抜かれていた。軽く声をかけてまた歩き出した掏摸は、手につかんだものを見て、落胆した。財布の類いを期待していたが、抜き取ったものは一冊のノートだった。大方さっきの子供の学習道具だろう。こんなものには一銭の価値もない。その辺に捨てようかと思ったが、人目が増えてきたので、掏摸はノートをしまうと素知らぬ顔で歩き続けた。


公民館には、薔薇を咥えた雪女が帰ってきていた。彼女は忍者の里でまきびしを買ってきた。雪女が選んだのは、昔ながらの菱の実であった。鉄製のまきびしは珍しく、多くの忍者は菱の実を乾かしたものなど、植物由来のまきびしを使っていたという。雪女は雪山でオーガニックな暮らしをしているので、菱の実が気に入ったのだった。雪女は菱の実を机の上に置いた。ちょうど雨漏りの修繕が終わり、農家のおじさんはガスコンロの動作確認を始めた。
公民館には、薔薇を咥えた雪女が帰ってきていた。彼女は忍者の里でまきびしを買ってきた。雪女が選んだのは、昔ながらの菱の実であった。鉄製のまきびしは珍しく、多くの忍者は菱の実を乾かしたものなど、植物由来のまきびしを使っていたという。雪女は雪山でオーガニックな暮らしをしているので、菱の実が気に入ったのだった。雪女は菱の実を机の上に置いた。ちょうど雨漏りの修繕が終わり、農家のおじさんはガスコンロの動作確認を始めた。雪女は親近感が湧くのか、冷蔵庫をペタペタと撫でている。


掏摸は道端の文房具店に入ってみた。掏摸に失敗したから何か目ぼしいものを盗って埋め合わせたいという思いがあった。幸運にも、店主の老夫婦は奥にでも引っ込んでいるようだった。レジでも漁ろうかとカウンターに寄った時、外に人の気配を感じた。入ってきた女が白杖をついているのを見て、掏摸は驚いた。そこで、掏摸は悪戯を思いついた。掏摸は「いらっしゃいませえ」と声をかけてみた。すると女は完全にこちらを店員と思ったようで、ノートを買いたいと言い出した。掏摸はちょうどノートを持っていた。掏摸は女に先ほどの子供のノートを渡し、レジを勝手に拝借して、女の差し出したカードでノートを買わせた。女は丁寧に礼を言うと、全く気づかぬままに店を出ていった。掏摸は思わず笑い声を上げた。使用済みかつ訳ありのノートを買っていくとは。悪戯がものの見事に成功し、掏摸は心底可笑しく思った。すると笑い声が大きすぎたようで、店主の爺が奥から出てきて、掏摸は慌てて退散した。
掏摸は道端の文房具店に入ってみた。掏摸に失敗したから何か目ぼしいものを盗って埋め合わせたいという思いがあった。幸運にも、店主の老夫婦は奥にでも引っ込んでいるようだった。レジでも漁ろうかとカウンターに寄った時、外に人の気配を感じた。入ってきた女が白杖をついているのを見て、掏摸は驚いた。そこで、掏摸は悪戯を思いついた。掏摸は「いらっしゃいませえ」と声をかけてみた。すると女は完全にこちらを店員と思ったようで、ノートを買いたいと言い出した。掏摸はちょうどノートを持っていた。掏摸は女に先ほどの子供のノートを渡し、レジを勝手に拝借して、女の差し出したカードでノートを買わせた。女は丁寧に礼を言うと、全く気づかぬままに店を出ていった。掏摸は思わず笑い声を上げた。使用済みかつ訳ありのノートを買っていくとは。悪戯がものの見事に成功し、掏摸は心底可笑しく思った。すると笑い声が大きすぎたようで、店主の爺が奥から出てきて、掏摸は慌てて退散した。


ゴールボール好きの女性は公民館に到着し、農家のおじさんに収穫物のノートを手渡した。おじさんは、食べ物でないことに一瞬当惑したが、食べ物以外のおつかいもあったなと思い出し、長机の上にそれを置いた。女性は外に出ると、ひなたぼっこをしていた妖精に躓きかけ、妖精と言葉を交わすうちに、女性もまたひなたぼっこを始めた。芝生に寝転がるのなんていつぶりかしらと思いながら、妖精とともに燦々と降り注ぐ暖かみを全身で受け取った。そんな折、毒殺魔が帰ってきた。毒殺魔は寝転んでいる二人の女性に軽く会釈して公民館へと入っていった。そのとき、ゴールボール好きの女性は盲目ゆえの鋭敏な聴覚で、妖精は小動物ゆえの勘の良さで、毒殺魔の後ろをついてきた者の存在に気づいた。それは一匹の黒猫だった。魚の匂いに釣られてか、黒猫は毒殺魔の後についてきたのだ。可愛らしい来客に女性陣は思わず顔を綻ばせた。女性が毒殺魔に頼んでイカの切れ端を投げてもらうと、黒猫は喜んで食べ、人懐っこく毒殺魔に体を擦り付けた。彼らは並んで芝生に腰掛けると、そろって黒猫を愛でた。
ゴールボール好きの女性は公民館に到着し、農家のおじさんに収穫物のノートを手渡した。おじさんは、食べ物でないことに一瞬当惑したが、食べ物以外のおつかいもあったなと思い出し、長机の上にそれを置いた。女性は外に出ると、ひなたぼっこをしていた妖精に躓きかけ、妖精と言葉を交わすうちに、女性もまたひなたぼっこを始めた。芝生に寝転がるのなんていつぶりかしらと思いながら、妖精とともに燦々と降り注ぐ暖かみを全身で受け取った。そんな折、毒殺魔が帰ってきた。毒殺魔は寝転んでいる二人の女性に軽く会釈して公民館へと入っていった。そのとき、ゴールボール好きの女性は盲目ゆえの鋭敏な聴覚で、妖精は小動物ゆえの勘の良さで、毒殺魔の後ろをついてきた者の存在に気づいた。それは一匹の黒猫だった。魚の匂いに釣られてか、黒猫は毒殺魔の後についてきたのだ。可愛らしい来客に女性陣は思わず顔を綻ばせた。女性が毒殺魔に頼んでイカの切れ端を投げてもらうと、黒猫は喜んで食べ、人懐っこく毒殺魔に体を擦り付けた。買った物を冷蔵庫にしまうと、彼らは並んで芝生に腰掛け、そろって黒猫を愛でた。


しばらく経ち、用もなくそこらを歩き回ることに限界を感じた公立中学校に通う男子が戻ってきた。彼は室内に入ると、農家のおじさんよりは怖くなさそうだったマンション王に話しかけた。「あの、えっと、三階フロアは用意できませんでした……」床の掃き掃除をしていたマンション王は、気さくに答えた。「そりゃそうだ。去年の隕石で、{{傍点|文章=2mより高いところは全て砕かれた}}からな」
しばらく経ち、用もなくそこらを歩き回ることに限界を感じた公立中学校に通う男子が戻ってきた。彼は室内に入ると、農家のおじさんよりは怖くなさそうだったマンション王に話しかけた。「あの、えっと、三階フロアは用意できませんでした……」床の掃き掃除をしていたマンション王は、気さくに答えた。「そりゃそうだ。去年の隕石で、{{傍点|文章=2mより高いところは全て砕かれた}}からな」
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マンション王は男子のおつかいの失敗を気にもしていないようだった。男子はほっと息をつくと、早々に退散することにした。その前に預かったカードを返そうと机に置いたところで、彼は自分の名前が書かれた自学帳が置いてあるのに気づいた。彼は驚いたが、バッグの中からノートがなくなっていることを確認すると、ノートを回収した。出発前にでも落として、誰かが拾ってくれていたのだろう。男子は今度こそ、そそくさと公民館を後にした。
マンション王は男子のおつかいの失敗を気にもしていないようだった。男子はほっと息をつくと、早々に退散することにした。その前に預かったカードを返そうと机に置いたところで、彼は自分の名前が書かれた自学帳が置いてあるのに気づいた。彼は驚いたが、バッグの中からノートがなくなっていることを確認すると、ノートを回収した。出発前にでも落として、誰かが拾ってくれていたのだろう。男子は今度こそ、そそくさと公民館を後にした。


彼とすれ違うように戻ってきたのは、ミリオタの男だった。冬の冷涼な空気もなんとやら、運動不足な彼は汗をかきかき公民館に戻ってきた。彼はスポーツ用品店の爺さんに、孫の話を聞かされた。一年ほど前、彼の孫は唐突にゴールボールをしたいと言い始めたそうだ。その頃はパラリンピックを控えた時期で、テレビでゴールボールを知り、やりたいと言い始めたのかもしれない。しかし簡単に道具を集められるスポーツではない。そこで、父親は簡易的な球を作ることにした。空気を入れて膨らませる中くらいのビニールのボール。それに小さな鈴をいくつか入れて膨らませるだけだ。これで、転がすと音が鳴るゴールボールの完成だ。親子は家の中でボールを転がしてそれを止めるだけの手軽な遊びを楽しんだという。
彼とすれ違うように戻ってきたのは、ミリオタの男だった。冬の冷涼な空気もなんとやら、運動不足な彼は汗をかきかき公民館に戻ってきた。彼はスポーツ用品店の爺さんに、孫の話を聞かされた。一年ほど前、彼の孫は唐突にゴールボールをしたいと言い始めたそうだ。その頃はパラリンピックを控えた時期で、テレビでゴールボールを知り、やりたいと言い始めたのかもしれない。しかし簡単に道具を集められるスポーツではない。そこで、父親は簡易的な球を作ることにした。空気を入れて膨らませる中くらいのゴムのボール。それに小さな鈴をいくつか入れて膨らませるだけだ。これで、転がすと音が鳴るゴールボールの完成だ。親子は家の中でボールを転がしてそれを止めるだけの手軽な遊びを楽しんだという。ミリオタの男はその話に倣うことにした。店の子供向けグッズコーナーで緑色のボールを買い、ついで百均で極小の鈴をいくつか購入した。ボールの空気を入れる穴から鈴を入れ、付属の空気入れで球を膨らませば、一抱えほどの簡易ゴールボールの完成だ。それを抱えた男は、公民館の前で黒猫の出迎えにあった。鈴の音に惹かれたのか、前脚をくいくいとボールに伸ばす猫の姿に男は思わず破顔した。ボールを渡すと猫はそれに飛びつき、涼やかな音を立ててボールと戯れ始めた。男は芝生の上の一座に加わり、黒猫を愛ではじめた。
 
続いて戻ってきたのは精肉店のおばさんだった。長話を切り上げて、乾物店で買ったひじきをマイバッグに入れて歩いてきた彼女は、黒猫と遊ぶ一同と会って少し話をしたあと、公民館に入って机にひじきを置き、部屋の整備をしている男性陣と世間話を始めた。噂好きの彼女にマンション王は自らの半生を自信満々に聞かせ、今回も話は長引きそうである。
 
太陽が傾いて空が薄い橙に染まり出した頃、傘を持ったサンドバッグマイスターと軽機関銃を抱えた伊賀流忍者が公民館前でばったりと出くわした。本業はジムトレーナーであるサンドバッグマイスターは忍者の鍛え抜かれたしなやかな筋肉を賛美し、二人は室内の机に戦利品を置いた。部屋ではマンション王がおばさんの質問攻めに遭っていたため、二人はそそくさと退出した。そこでは、疲れたのかひじきの妖精と黒猫が並んで眠っており、毒殺魔とゴールボール好きの女性とミリオタの男が談笑していた。二人もその輪に加わったところで、忍者は芝生に転がっていた簡易ゴールボールに目を留めた。せっかくだからと、忍者はさすがの俊敏さで室内へ取って返し、サンドバッグマイスターが買ってきた和傘を手に戻ってきた。それを開いた忍者はゴールボールを投げ上げると、器用に傘を回してその上で球を転がし始めた。持ち前の身体能力でバランスを取る忍者の姿に、皆は歓声と拍手を送った。その物珍しい風景に通行人が立ち止まり、人は人を呼び、少しすると公民館前には小規模な人だかりができた。駆けつけたある二人組はスマホで忍者の傘回しを興奮気味に撮影していた。
 
そこへ一台のタクシーが乗りつけ、中からは舞妓さんが出てきた。運転手も降りて、トランクから液体窒素入りの重いボンベをなんとか下ろした。室内の整備を終えてちょうど外へと出てきた農家のおじさんが、自慢の腕っぷしでボンベを室内に運び込み、数輪の薔薇を持った舞妓さんが後に続いた。中では、おばさんの詮索の矛先が雪女に移っていた。「あなた、どうして薔薇を咥えてるの?」「あ、あの……好きなんです。狩野英孝」「そうなの⁉︎」
 
そして街が夕焼けに染まった午後五時、志仁田が公民館に戻ってきた。
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