Sisters:WikiWiki麻薬草子/『象は鼻が長い』備忘録

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 三上章『象は鼻が長い』を読んだ。浅学の芯は三上の主張を否定する術など持たず、読了の頃には三上文法の正当性をほとんど疑わなくなっていた。本草では、同書において私自身の理解もまだ危うくない前半部分を紹介し、記憶の言語化によって再整理を図るとともに、諸賢にもその正しさを味わっていただきたい。


 「象は鼻が長い」のような「Xは……xが……」型の文は、主に「どれが主語なのか」といった論点において、かねてより日本語文法界に激論をもたらしてきた。今日まで、さまざまな文法学者が説明を試みてきたものである。現行の学校教育文法の根幹となっている橋本文法では、「鼻が」は述語「長い」の主語、「象は」は述部「鼻が長い」の総主語であるとして説明されている。この説明は、学校文法漬けの生活を送ってきた我々にもなかなか膾炙するものではなかろうか。しかし、三上による説明はこうである:「象は」はその本務として述語「長い」の題目を提示し、かつ兼務として連体格「象の」を示す。また、その連体格「象の」は体言「鼻」に係り、主格「鼻が」は、用言「長-」に係る。

 いったいどういうわけなのか。まず、「ハ」には本務と兼務とがあるということである。以下の文例群Aをご覧いただきたい。

文例群A:

  1. ワタシハ、幹事デス。
  2. 象ハ鼻ガ長イ。
  3. 会場ハ、幕ガ張ッテアリマス。
  4. 花ハ、彼ガ折ッタニチガイナイ。
  5. 父ハ、コノ本ヲ買ッテクレマシタ。
  6. 彼女ハ、顔カラ血ガ引イタ。
  7. 会場ハ、余興ガ始マッテイル。
  8. 予算ハ、サキニ衆議院ニ提出シナケレバナラナイ。
  9. キノウハ、大風ガ吹イタ。

 上の文例では、二重線部すなわち「〜ハ」によって、文の題目が示されているという。「〜ハ、」は「〜について言えば、」の心持ちだ、と言われれば、母語話者の我々にも一応納得するところがある。助詞「ハ」の本務とは、この「題目を示す」はたらきのことである。なお、「〜ハ」は文末まで大きく係り、述語と呼応する。

 ここで、題目が示された文から、題目要素を取り去っ(=無題化し)た文について論じたい。「〜ハ」が題目を示すのだから、意味を変えずに助詞だけを変えればよい。三上はこの操作を、文末に koto (疑問詞のある疑問文では ka)を付すことで行った。すなわち、

文例群A':

  1. ワタシガ幹事デアル koto
  2. 象ノ鼻ガ長クアル koto
  3. 会場ニ幕ガ張ッテアル koto
  4. 彼ガ花ヲ折ッタニチガイナイ koto
  5. 父ガコノ本ヲ買ッテクレタ koto
  6. 彼女ノ顔カラ血ガ引イタ koto
  7. 会場デ余興ガ始マッテイル koto
  8. サキニ衆議院ニ予算ヲ提出シナケレバナラナイ koto
  9. キノウ 大風ガ吹イタ koto

といった具合である。なお、日本語として自然な形を取るために「デス」「アリマス」が「デアル」「アル」に置き換えられていたり、「キノウ」のあとに助詞ゼロがあることを示すためにスペースが挟まれていたりする。

 無題化し、すなわち「ハ」の本務を取り除いたときに顕在化するのは、それまで潜在していた「ハ」の兼務である。ずばり「ハ」は、その兼務として「ガ」「ノ」「ニ(デ)」「ヲ」(「ゼロ〔時のゼロ〕」)、まとめて「ガノニヲ」の代わりとなる。実際に、文例群A-1、A-5の「ワタシハ」「父ハ」は文例群A'-1、A'-5において主格項「ワタシガ」「父ガ」に、文例群A-2、A-6の「象ハ」「彼女ハ」は文例群A'-2、A'-6において連体格項「象ノ」「彼女ノ」に、文例群A-3、A-7の「会場ハ」(共通)は文例群A'-3、A'-7において処格項「会場ニ」「会場デ」に、文例群A-4、A-8の「花ハ」「予算ハ」は文例群A-4、A-8において対格項「花ヲ」「予算ヲ」に、そして文例群A-9の「キノウハ」は文例群A'-9において時格項「キノウ∅」になっているようである。ここで注意したいのは、「ガノニヲ」が係る範囲は小さく、「ガニヲ」類でせいぜい述語から付属語や用言の活用語尾を取り去った部分まで、「ノ」で直後の体言までである、ということだ。

 助詞「ハ」には、述語の項をひとつ取り立てて文の題目を示し、文末まではたらく本務と、「ガノニヲ」の代わりとなり、述語の語幹まではたらく兼務とがあるのである。

 三上は、概ね次のようなことを、同書のところどころでくどいほど述べている――多くの国文学者がさも当然のように掲げる「主語」の概念は、日本語文法においてまったくの野暮で、ほとんど意味をなさない。「象の鼻が長い」における「長-」の項「象の」「鼻が」は、助詞「ハ」を用いて、「象は鼻が長い」「象の鼻は長い」というように主題として同様に取り立てることができるのだから、「〜ガ」のみを特別視し、そのうえ「〜ハ」と一緒くたにして「主語」というレッテルを貼るのは、非常に不可解だと言わざるを得ない。このような論理は西洋文法の流用によるものであろうが、その無批判な輸入が、日本語独特の形式を無碍にしてしまっている。


 以上が共有すべき事項であった。ただし『象は鼻が長い』の真価とはこの程度のものではない。詳細を求める諸賢、あるいは正当性に疑問のある諸賢は、ぜひ一度同書を手にとり、熟読することでその欲求を満たしていただきたい。