Sisters:WikiWiki麻薬草子/血迷った作品

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 寮のイベント当日の未明に、後先も考えず執筆を始めました。草子の執筆は初めてである上、WikiWiki関連の創作活動からは半年以上は離れていたように感じます。拙い文章になるでしょう。深夜テンションです。

 最近になって、夜の寝つきが悪くなりました。高2になってからというもの、寮生役員やHR役員など、後から考えるとやめておくべきだったと思うような責任を問われる役職に就くことが多くなりました。高校2年生という、1年よりも学校に慣れ、さらに3年よりも受験から時間的・精神的に離れているという特徴からすると至極真っ当な事態ではありますが、外進生とのクラスの混合によりもたらされた新たなストレスというものは私の情熱ややる気といった活力を削ぎ落とすのには十分すぎるものでした。

 自らが完璧主義者であることに気づいたのも最近のことです。「課されたタスクは常に100%の出来で完遂することが目標」という考え方は、あまりに多くの思考リソースを吸い上げていきます。責任の問われる役職に就いたことで、多くの人数をまとめ上げるというタスクの発生、そして完全には従ってくれないクラスや役員の人々により、100%で目標を達成できずだんだんと失われていく仕事への熱意の減衰、といった事態が起こっているのでしょう。確実に、自らの積極性は中学校の頃と比べて失われてしまっていることを実感しています。

 「自分がこんなに怠惰になってしまったのはみんなが言うことを聞いてくれないからだ!」と、外部に原因を見出そうとするのは、私がコロナ世代の一員であるからでしょうか。自分たちが中高生という最も多感な時期に青春を謳歌することができなかったのは、社会が大々的に行動を制限するという緊急事態宣言のもと、我々に強いられたものであったからです。これは揺るぎない事実ではありますが、長期間日常生活で禁じられる行為があった状況というのは、その期間中に特定の行動を取れない明確な理由が存在したということを意味します。修学旅行で関西に行けなかったこと、昼食時間に机を近づけ、話すようなこともなくひたすら前を向いて体育教師と向かい合いながら弁当を口に運ばなければならなかったこと、対人距離を制限され、物理的・精神的距離を取らざるをえなかったことは総じてコロナの蔓延に理由を見出すことができます。あらゆる緊急事態宣言下における享受可能であった権利と同じように、自らの権利の侵害に対し、何か自分以外のものに原因を見出す、つまるところ責任転嫁する思考の癖とでも言うべきものが、自分を含む周囲の人間関係において見られるように思えてなりません。

 欠点を認識しながら、それを改善する努力をしようとしない自分に対しても、嫌悪感を抱きます。今、執筆時点で隣にいるMapilaplapに文芸誌掲載作品の提出を急かしているように、仕事や課題の達成を周囲の人間に呼びかけておきながら自らはその努力をしないという、自分の心の弱さ、自己矛盾を正当化しようとする狡さを認められない。中島敦『山月記』を読んだ時の自己投影も、同じようなものでした。「善い人間でなければならない」という完璧主義的思考と、それができていない現実の自分の乖離に自信を失い、「自己肯定感は程々に高くあるべき」というまた別の完璧主義思考に一層自己嫌悪が加速するという負のスパイラルが延々とつづくように感じられます。

 低い自己肯定感は、自己愛の欠陥を意味します。たとえ褒められたとしても素直に受け取れない卑屈さ、自己嫌悪による希死念慮など、どう考えても精神的に鬱屈とするような考え方しかできなくなるのかもしれません。などと書きながらもその改善努力をしないことでまた自己嫌悪レベルが上がるとかいうスパイラル・・・。こんなこと考えてるから眠れないのかもしれません。

 その一方で、「同年代の人間は考えてないであろう高尚なこと考えてカッコいいとか考えてる自分がいるかもしれない」というめちゃくちゃイタい最悪のシナリオを思い浮かべると、自分ではそうでないことを信じているけれども、果たして周囲からはどう見られているのか、不安でしょうがなくなったりします。

 今後増えるかも