Sisters:WikiWikiオンラインノベル/殺人を知らない探偵
第一章 めっちゃデカい屋敷と死体
──二月二十日・深夜──
二月二十日午前一時、めっちゃデカい屋敷に悲鳴が響き渡った。
八名しかいない屋敷の中で、その主人である実業家律家几帳男の遺体が発見されたのだ。
しかし、こういうミステリー小説にありがちな探偵は――いなかった。奇妙なことに、この屋敷での殺人劇には、事件の解決に乗り出すハッチ帽を被った紳士など終ぞ現れなかったのだ。
「えーっと、とりあえず自己紹介でもした方がいいんじゃないか? まあ、大抵みんな少なくとも顔見知りではあるだろうけど一応……」
この屋敷・律家館のダイニングルームの静寂を破ったのは、律家几帳男の実弟である威山横世哉の一言であった。この部屋には、被害者の律家几帳男と、週刊誌記者の此井江浩杉、および几帳男の十二歳になる実娘、律家ラレを除いた、事件発生時に屋敷にいた五人、そしてやってきた警察官一人の計六人が集合していた。
「まあ、まず俺からかな。俺は威山横世哉。……旧姓は律家世哉。知っての通り几帳男の弟だ。うう……兄貴い……」
「こっちは妻の威山横孔鱚屠。大切なお義兄さんを殺した奴は、ゴリゴリの私刑に処そうと思っているわ」
「……私は几帳男の妻、律家ノレよ。一応、この家のナースでもあるけど……とてもお喋りなんかできる気持ちじゃないわ。……あと、私の娘、ラレは今部屋で寝ているわ」
「俺ぁ有曾津王。本名はガリレオ・ガリレイだ。俺のことは信用していいぜ」
「……あー、もしもし? 聞こえてますか? 電話越しですけど、一応僕も。此井江浩杉です。今一応そっちに向かってるんですけど……あー、三回くらい同じ景色のところを通過してますね。ここは一体どこなんですかね? え、ちょっとこの家広すぎません?」
人々が順番に自己紹介をしていく中、突如として放たれた奇声は場の雰囲気を大きく変えた。
「じひいっ! ぎぁぁぁぁあじざざさざじじざじざじじぎぎぎぎかぎぎじざささぎいいいいいぃぃぃぃぃぃぃいぁぃぃぃぃぃぁあぁぁぁ」
困ったような顔をしたノレが、少し遅れてフォローを挟む。
「……一応私が代理ということで。彼は橘地凱。この館の使用人で……たまに発作でこうなっちゃうの」
事実、シャンデリアにぶら下がってブリッジをしながら肘と膝のそれぞれ片方を用いて次々に知恵の輪を粉々にしていく彼は、紛れもなくこの大豪邸の使用人であった。
「そっちの警察の人は挨拶しないのか? 失礼な奴だな。俺はアインシュタインだってのに」
「私は卦伊佐通署。犯人はさっさと自首した方がいいぞ」
「……あれ? えーと、もしもし? 聞こえます? あのお……通報したの僕なんですけど、なんで一人しか警察の人来てないんですか? 殺人ともなれば、普通結構な人数で来るもんですよね?」
「いやあ申し訳ない、パトカーがあまりに遅かったもんでな。我慢できなくて仲間を置いて走って来たんだ」
このあまりの荒唐無稽さに、アナーキストとキチガイ以外の全員が、彼が警察官であるというのを疑わしく思った。しかし、体からにじみ出る肉体の強靭さのオーラだけはまさしく本物であり、下手に刺激したら普通に殺される可能性があるので、みんな知らんぷりをしている。
「では、捜査に協力してもらおうか。分かっているとは思うが、お前ら全員が容疑者だ。一人一人、今までの状況を簡単に教えてくれ」
「……あーあー、もしもし? じゃあ、まあ第一発見者の僕から行きましょう。そもそもは週刊誌記者として、良い感じのゴシップとか持ってないかなあと思って几帳男氏に会いに来たんですよ。あ、もちろんアポは取ってますよ? んでまあ、大した情報も得られなかったんでそのまま帰ろうとしたら、どうにも玄関にたどり着けない。何時間も右往左往して、なんと結局几帳男さんに取材した書斎に戻ってきちゃったんですね。このままじゃ埒が明かないし、家主である几帳男さんに道を聞いて帰ろう、と思って部屋に入ったら……えーと、まあ……胸に包丁が刺さって死んでました。思わず悲鳴を上げちゃいましたよ。……で、警察に電話して、あとはまあ、はい、そうですね、アポ取りの時に電話した履歴が残ってたので、そこからラレさんにも電話して、今に至る、って感じですね」
「……その電話をもらった私が、几帳男の書斎に行って、それで……此伊江さんの言う通り……あ、う、本当に……本当に死んじゃってて……ううっ、それから……このダイニングルームに来た、の……。みんなにこのことを伝えるために。残りの四人はダイニングルームで各々くつろいでいたから。あ、娘のラレは既に自室で寝ていたわ。……ううっ」
漂う悲愴感の中、全く空気を読めない稀代の嘘つきは口角を上げ、続ける。
「いーや違うね。お前は嘘つきだ! なぜなら俺はダイニングルームで寛いでなんかいなかった。インドの人民を想い、瞑想をしてたからだ! なんてったって俺はガンジーだからな!」
――沈黙。
「宇曾都てめえ……私刑に処すぞ。そもそもお前瞑想なんてしてなかったろ。……てか、どう考えても殺したのお前だろ! 逆恨みで殺したんだろお前え! 私刑! 私刑!」
暴れる孔鱚屠を静止しながらも、卦伊佐はその言葉に食らいついた。
「ほう……! 詳しく聞かせてもらいたい」
「俺が代わりに説明しよう。何分血を分けた兄弟だからな、俺はこの家によく来るんだが……その度にこいつは兄貴に怪しいビジネスを持ちかけてた。ヘリウム水だのオーガニック水だの……だが、兄貴は人一倍優しい奴だったからな。こいつが家に来るのを断るようなことはしなかったんだ。……その結果が今日だ。大方こいつは遂に逆上し、兄貴を殺したんだろうな。うう……」
「イエス! 私刑! 私刑! 準備は良いかてめえら!」
しかし宇曾津は、声を荒らげて反論する。
「おいおい待て待て待ちやがれ絶世の馬鹿ども、このエジソンに向かってなんて口の利き方だ。動機の話をするんならお前らにもデケえのがあるだろうが!」
「続けてくれ」
「ああ、ああ、そうだよ。ニュートンとしてこれだけは言わなくちゃいけねえ。律家几帳男が死んだとき……実弟である威山横世哉には莫大な額の遺産が相続される手筈になってんだよ! ……真実はいつも小説より平凡だ。そしてここは紛れもなく現実! これは現実の事件! 金持ちの殺害動機に遺産ほどシンプルなものはねえだろう!?」
「じひじひひいっ!? うあうあああうあふさふあっしゅああさうさふさうああああ!!!!」
ダイニングルームには怒号と奇声が飛び交い、とても有意義とは思えない口論が白熱していく。しびれを切らした卦伊佐は、質問を変えることにした。
「じゃあ、事件発生までの被害者の行動を知ってる人はいるか?」
「几帳男は、今晩はずっと自室である書斎にいたわ。……あ、そうだ、もしかしたら……」
「何だ?」
「いや、夫はとても几帳面な人で、自分の書斎に来る人の順番まで決めちゃうほどだったの。だからもしかしたら、最後に書斎に行った人が分かれば、犯人が分かるんじゃないかな……って。確か今日は、ここにいたラレ以外の全員が書斎に行ってたわよね」
全員が頷く。うち一人は、ブリッジしながらヘドバンしていると形容する方が適切だが。
「なるほど……まあ取り敢えず、その書斎に案内してくれないか」
卦伊佐とノレが書斎に赴き、ダイニングルームには醜く言い争いをする三人と、シャンデリアを揺らしながら発狂するキチガイだけが残った。
第二章 几帳面すぎる男
「これは驚いた。書斎というからには、現代レトロ趣味で集めた紙製の本とか、インク入りのペン……確かボールペンとか言ったか。ああいうのが散らかったデスクがあるような部屋を想像していたが……」
大理石の白を基調とした書斎には、流し台や食器棚、ドリップ式コーヒーメーカーが据え付けられており、この部屋に初めて入った者にはキッチンだとしか思えない。
ただしこの部屋は、書斎だろうがキッチンだろうが紛う方なき殺人現場だ。部屋の中心にあるテーブルには向かい合わせに椅子が二脚。そして、奥の方の椅子から転げ落ちるようにして倒れていたのが、律家几帳男の遺体だった。激しく抵抗した痕跡が残っており、左胸にはナイフが刺さっている。直前まで彼が操作していたらしいタブレットには、軍事業界のニュースが表示されていた。
「っ……」
「あー、無理にここに居続ける必要はないからな」
「……いえ、大丈夫です」
「そうか。じゃあ、遺体の状態を確認させていただこう」
そう言って、卦伊佐は手早く検分を終わらせた。
「死因は外傷による心破裂。被害者はナイフを持った犯人を前に抵抗したものの、心臓を一突き、即死だ。凶器の指紋は拭き取られている。死後硬直が始まっているが、まだピークには達していない、死亡したのは十九日の午後、八~十時あたりだろうな。まあ、詳細は鑑識に任せるとしよう」
「あ、このナイフ……この書斎のキッチンのだ」
「なるほど、凶器は現地調達。衝動的犯行の線が強いか……あー、ところでさっきの話だが、この部屋に来る順番というのは?」
「ああ、そうね、スイッチー!」
ノレがそう呼ぶと、クソデカ屋敷に似つかわしいクソデカ大型犬、スイッチが書斎の隅の方から現れた。背の丈は、立ち上がれば、ガタイの良い卦伊佐にも迫るほどだ。
「書斎に行く順番が回ってくると、夫が派遣したスイッチがやって来て、それを教えてくれるの。スイッチったら頭が良いから、写真を見せられるだけでその人を識別できちゃうのよ」
「なるほど……。つまり容疑者らの部屋に来た順番を知っているのは、被害者とスイッチだけということか……だが、こいつに順番を聞くことはできないし……うーむ、容疑者全員、自分が書斎に行った時間を覚えていればいいんだがな。ちなみに、来る人の順番を決めることに何か理由はあったのか?」
「さあ……あ、でも、夫は書斎に来た人に、ホットミルクかアイスコーヒーか好きな方の飲み物を入れてくれるの。もしそれが知人の場合、彼は既に好みを把握しているから、あらかじめ順番を決めておけばその人が来る前に飲み物の準備を済ませられる、というのがあるかもしれないわね。彼、飲み物によってコップさえ変えるのよ。確か、ミルクはマグカップ、コーヒーはタンブラーね。まあでも……順番も結局は彼の気分だと思うわ。そんなに効率化したいなら、ミルクの人とコーヒーの人を前半後半に分けておけばいいけど、そんなことはやってなかったし」
「……なるほど」
「そうねえ……。うん……夫はね、本当に几帳面な人だったわ。起きたらまず20秒間顔を洗う、使った食器は流しに一つだけ残しておき、増え次第すぐに洗って交換する。ネクタイピンの位置は毎日10分くらいかけて調整してたし、お辞儀の角度だって完璧になるまで練習してた。ほんと、馬鹿げてるわ。几帳男……」
スイッチは、いつの間にか目を閉じて寝転んでいた。
――深夜二時、再び六人がダイニングルームに集まった。未だに電話越しの奴を含めると七人である。死体の状況を共有し、卦伊佐は続けた。
「えー、まあ、そういうわけで、各自書斎に行ったときのこと、特にその時間や部屋の状態を、今度は覚えているだけ精細に話してほしい」
そう言って、卦伊佐は内ポケットから何やら機械を取り出した。
「嘘の証言を防ぐために、まあ、なんだ、所謂ウソ発見器ってやつを持ってきた。もちろん23世紀の技術によって、大幅に性能は向上しているんだが、残念ながら機械科学捜査倫理法のせいで直接的な質問に使うことはできない――自発的に言ったことの真偽判定だけだ。あと、わざと何かをぼかしたり隠していることも感知できない。あくまでも与えられた言葉が嘘かどうかを発見するマシーンだからな」
「おいおい、なんだよ機械なんちゃら法って。『あなたは犯人ですか』って一人一人尋ねていって、それが嘘って判定されたやつを逮捕したら済む話じゃないのか?」
世哉の言葉に、卦伊佐は応える。
「機械科学捜査倫理法は、『機械・機械生体三原則』を基に作られたものだ。……流石に知っているだろう? 『一、機械または機械生体は、人間に危害を加えてはならない』――失礼、これはもう改訂されたんだったな。ここで言うのもなんだが、利権がらみの軍事転用推進はやはり恐ろしい。……『一、機械または機械生体は、年齢が十八に満たない人間の子供に危害を加えてはならない』『二、機械または機械生体は、その自発的知能・思考を立法、司法に活用してはならない』『三、機械または機械生体は、以上二つの事項を違反した際、すみやかに機能を停止しなければならない』――つまるところ、この第二項を警察はこう解釈したってわけだ。我々が行うのはあくまでも疑わしい人物を捕まえるだけ、犯行の事実を明らかにするのは司法の管轄だろう、とな」
一気に室内の緊張感が増す。これには橘地も、ブリッジしたまま硬直していた。
「じゃあ、まずは此井江からだ。声紋鑑定タイプなので、電話越しでも大丈夫だぞ」
「……あーはい、分かりました。えー、まあさっきも言った通り、僕は取材のために書斎に行きましたね。あ、そうそう、アポ取りの時にノレさんにミルクとコーヒーどっちが好きかって聞かれて、どういうことなんだろうと思ってたんですけど、飲み物出すための質問だったんですね。僕はコーヒーを飲みました。すいませんが、時間は覚えてませんね……えー、で、部屋の状態……部屋の状態ねえ……うーん、流しにマグカップがあったはずです。それ以外は全然注目してませんでしたね。あ! あと、部屋を出てから廊下の方で取材したことのメモを見返してたんですけど、その時に孔鱚屠さんが書斎に入っていくのを見ました。このくらいですかね」
「よし、反応は出なかったな、じゃあ次は弟さんの方から」
「うい。えー、俺はまあ、母の話をしたよ。そろそろ認知症がやばいから、施設に預けたほうがいいかもしれないってな。飲み物は俺もコーヒーだったぜ。時間は知らん。俺はそういうの気にしないタイプなんでな。状態……うーん、流しは見てなかったけど、几帳男が洗ったらしいマグカップを拭いてたのは覚えてる。あーあと、コーヒーの粉を棚に戻してたっけか。こんなとこかな」
「よし、これも無反応。じゃあ続いてそっちの……孔鱚屠さんだっけ?」
「ええ。孔鱚屠よ。私は……その……せ、世間話をしに行ったのよ」
瞬間、ウソ発見器から警告音が放たれた。卦伊佐はニヤニヤしながら言う。
「おっと、あんた大丈夫か? なあに、誤作動ってこともあるかもしれない。どうなんだ?」
「ぐ……あー、正直に言うと、世哉の誕生日のサプライズパーティーの相談に行ってたの。……今の今で台無しになったけどね。私刑にしてやうろかてめえら」
「孔鱚屠……うう……」
世哉の目は潤い、卦伊佐をはじめ他の人たちはめっちゃ気まずくなった。橘地でさえもがあまりの気まずさに耐え兼ね、ブリッジを解除してトリプルアクセルした。
「……まあ、その話は今は良いわ。とにかくそれで書斎に行ったの。時間は……確か九時頃だったかしら。飲み物はミルクだったわ。あ、そうそう、確かに私も、部屋に入る前に廊下にいる記者の人を見たわ」
「なるほど。あー。うん。なるほどね。うん。じゃあ次は宇曾都さん」
「おう。まあ、コペルニクスである俺にしてみれば……」
ウソ発見器がけたたましく嘶いた。橘地は驚きのあまり、五回転アクセルを成功させた。
「何でバレた!? 何で嘘ってバレた!? ……まあいい。くっくっく……! そうだ! 俺はコペルニクスじゃない。本当はアリストテレスだからな!」
しかしこの時、憤怒の表情をたたえ、拳ひとつでウソ発見器を破壊した卦伊佐が放った殺気は、宇曾都のいたずら心をへし折ってしまったようだった。卦伊佐は彼にウソ発見器よりも大きな恐怖を与えたらしく、23世紀に入って人間の行動が科学技術のもたらした機能を超克したのは、これが初めてのことであるとみられている。
「はい……あの……はい……まあうまい事騙して金をむしり取ってやろうとしてました……時間……曖昧だけどまあ……十時前くらいでしたかね……飲み物はコーヒーっした……あと……はい……俺の時も律家さんはマグカップを拭いてました……はい……」
「よし。あー、じゃあ次は奥さんで」
卦伊佐はウソ発見器の予備を取り出し、ノレへの聞き取りを始めた。
「……あ、はい、えっと、私はまあ……なんというか、とりとめのないどうでもいいような話をしに行きました。今日は天気がいいね、とか。飲み物はミルクでした。時間は……覚えてないけど、そんなに遅くではなかったと思います。あ、あと、入るときに冷蔵庫からミルクを出してるところが見えたのは覚えてます。ちょっと来るのが早かったかな、って思って。あ、あと、私が出ていくときに氷を出してました。それくらい……ですね」
「よし、無反応。じゃあ次は……その……そちらの方は……」
調子に乗って五百六回転アクセルまで成功させてしまった橘地は、遂にその口を開いた。
「はい。そうですね。私もノレ様と同様、大した目的があったわけではありませんでしたが、ご主人様とお話でもさせていただきたいという事で、八時半ごろに書斎へ伺いました。いただいた飲み物はホットミルクでしたね。部屋の状態はあまり観察しておりませんでしたが、冷蔵庫から氷を出していたことは記憶しています」
「え……!? え、あ、うん。はい。よし、無反応。無反応だったな。……うーむ、証言は集まったが……順番の特定は難しそうだな。ヒントがあまりにも少なすぎる」
「……もしもし? あの……流石に他の警察の人来るの遅すぎませんかね? もっと捜査する人がいたらだいぶ進展すると思うんですけど……」
「あー、それなんだが……俺がパトカーを飛び出して地面に着陸したとき、そのあまりの衝撃で地盤が崩落してしまったんだ。おそらく今で救助が完了したくらいだろう。もう少しでみんな来るんじゃないか?」
このあまりの荒唐無稽さに、アナーキストとキチガイ以外の全員が、彼に対して疑念というより恐怖を抱いた。しかし、超合金でできたウソ発見器をベコベコにへこますその剛力は銃砲の何倍も強力なものであり、下手に刺激したら普通に殺される可能性があるので、みんな知らんぷりを維持した。
「あー、最後に書斎に招かれた人はいったい誰だったんだ!?」
文章だと分かりづらいが、卦伊佐は今、めちゃくちゃ深夜なのにも関わらずめちゃくちゃデカい声を出した。しかし誰も彼を注意することはできない。もしこれを指摘したら、腕力によって鼓膜を破壊されてしまうかもしれないからだ。そう思わせるほどの気迫が、確かに彼にはあるのだから。
――探偵のいない事件は、ここに来て膠着状態に陥った。
第三章 ゴルディオスの結び目(使いたいだけ)を斬る
「何してるのー?」
止まったダイニングルームの時間を動かしたのは、律家ラレだった。どうやらウソ発見器の警告音やら卦伊佐の大声やらのせいで目を覚ましてしまったらしい。部屋に入って来た彼女を、ノレは優しく抱き上げる。
「ごめんね、起きちゃった? でも、明日も学校なんだから、もう寝ないとダメよ」
しかしラレは、この奇妙な状況が気になって仕方ないようだった。
「最後にパパの部屋に行った人を探してるって? なんで警察の人がいるの? どういうこと?」
「え、あ、そ、それは……あの、そう、そうよ。パパの部屋に忘れ物があって、そう、誰かがお金を落としちゃったみたいなの。で、えっと、パパは……もう寝ちゃったから、だからあの、来た人の順番を推理してるのよ。警察の人は……お客さん。ただのお客さんよ」
なかなかに無理やりな筋書きだが、ラレは納得してくれたらしい。ただし、これはより面倒な結果を招いた。
「面白そう! 私にもやらせてよ!」
「え、そんな……ダメよ。遊びじゃないんだから……え、あ、いや、そうじゃなくて……えーっと……」
「お、お嬢ちゃんもやってみるか?」
卦伊佐は謎に面白がって、聴取したばかりの証言のメモをラレに渡す。画面を数秒眺めたのち彼女は、自慢げに言い放った。
「ママ、コノイエさん、孔ちゃん、凱兄、ウソツさん、世哉おじさん。この順番ね」
一同、唖然とする。アイコンタクトでめっちゃ訴えかけられているのを感じたノレは、困惑しながらも口を開いた。
「えーとー……どうしてそう思ったの?」
「ふふ、仕方ないなあ。教えてあげよう」
ラレは超ドヤ顔で説明を始めた。
「私はヒントの多いママを軸に考えたわ。まず、入るときに冷蔵庫からミルクが出されていたことから、直前に出された飲み物がミルクではないことが分かる。直前の飲み物がミルクだった場合、次もミルクはホットミルクにしないといけないんだから、わざわざ一旦冷蔵庫に入れる意味なんてないもの。そして、帰り際に氷が出されていたことから、次に出る飲み物がコーヒーであることも分かるわね。うちのコーヒーメーカーはドリップ式だから、出てくるのはホットコーヒーになる。ここから急冷式のアイスコーヒーにするには、当然冷やすための氷が必要になるわ。
で、ママの直前の人でありうる人は、ミルクではなくコーヒーを飲んだ三人、つまりコノイエさん、世哉おじさん、ウソツさんになる。だけどコノイエさんは、次の人が孔ちゃんで確定してるから除外できるわね。ということで、まずはママの直前の人を世哉おじさんだと仮定するわ。
――ところで、世哉おじさんとウソツさんは、どっちもパパがマグカップを拭いていたのを見ている。このことから、二人のそれぞれ二つ前に出された飲み物はミルクだと分かるわ。『使った食器は流しに一つだけ残しておき、増え次第すぐに洗って交換する』。パパの変なトコの一つね。
このとき、ママの前の世哉おじさんには確実に二つ前の人までいるんだから、ママの前にいる人は少なくとも三人。けど、多くたって四人しかいないことになる。だって、ママの後には少なくとも一人『コーヒーを飲んだ人』がいて、そもそもパパのところに行った人は六人しかいないんだもの。このことから、ママの前に世哉おじさんがいる場合のウソツさんの順番は、二つにまで絞れるわ。一つは世哉おじさんの直前、もう一つは一番最後ね。だけど、その両方の場合で……」
「……もしもし? あの、ちょっと待ってくださいよ、全っ然分かりませんって」
此井江の言葉に全員が激しく頷く。
「もう、ちゃんと説明するってば。だからつまり、このときママの前の人と後の人の組み合わせは二通りしかないの。ママの前に四人、後に一人のときと、前に三人、後に二人のとき。そしてこの二つの場合で、ウソツさんの順番は取り敢えずそれぞれ一通りずつに定まるわ。
えーと、じゃあまず、ママの前に四人、後に一人のとき。ママの次に出される飲み物がコーヒーであること、ママの直前に来た世哉おじさんの二つ前に出された飲み物がミルクであること、そしてミルクとコーヒーは三回ずつ出されていることから、このとき、一番目の人は『ミルクかコーヒーを飲んだ誰か』、二番目の人は『ミルクを飲んだ誰か』、三番目の人は『ミルクかコーヒーを飲んだ誰か』、四番目の人は『コーヒーを飲んだ世哉おじさん』、五番目の人は『ミルクを飲んだママ』、そして六番目の人は『コーヒーを飲んだ誰か』だとわかる。ウソツさんはコーヒーを飲んだんだから、この中でウソツさんであり得る人は、一、三、六番目の人になるわね。
じゃあまず、ウソツさんが一番目だとしましょう。……あれ? でもウソツさんが一番最初の人なら、『ウソツさんの二つ前の人』が存在しなくなっちゃうわ。よってこの可能性はなくなる。次に、ウソツさんが六番目だとするわ。ここで、『ウソツさんの二つ前の人』である世哉おじさんは、『ミルクを飲んだ人』であるはずなのに、実際はコーヒーを飲んでいる。これもおかしいからあり得ない。
なら、ウソツさんが三番目なら? 三番目の二つ前、すなわち一番目の人は『ミルクを飲んだ人』で充分あり得る。よってこのとき、一番目の人は『ミルクを飲んだ誰か』、二番目の人は『ミルクを飲んだ別の誰か』、三番目の人は『コーヒーを飲んだウソツさん』、四番目の人は『コーヒーを飲んだ世哉おじさん』、五番目の人は『ミルクを飲んだママ』、六番目の人は『コーヒーを飲んだ誰か』といえるわね。
これはさっき挙げた三つの条件を全て満たしているわ。ちゃんとミルクとコーヒーの数もあってる。――だけど、この状況はあり得ない。なぜなら、コノイエさんと孔ちゃんの前後関係が成立しないから。思い出して。コノイエさんが飲んだのはコーヒー、孔ちゃんが飲んだのはミルク、そしてコノイエさんの次は孔ちゃんであることが確定している。だから、『コーヒーを飲んだ誰か』の次に『ミルクを飲んだ誰か』がいる、という状況が存在していないこれでは、条件の一つが成り立たなくなるのよ。
これで、ママの前に四人、後に一人のときの全ての場合が成立しないことが分かった。じゃあ次は、ママの前に三人、後に二人のときを考えてみましょう」
橘地の脳味噌は熱暴走し、コトコトという音を立て始めた。しかしラレは意に介さず続行する。
「さっきと同じように考えると、このとき、一番目の人は『ミルクを飲んだ誰か』、二番目の人は『ミルクかコーヒーを飲んだ誰か』、三番目の人は『コーヒーを飲んだ世哉おじさん』、四番目の人は『ミルクを飲んだママ』、五番目の人は『コーヒーを飲んだ誰か』、六番目の人は『ミルクかコーヒーを飲んだ誰か』となる。この中でウソツさんであり得る人は、二、五、六番目の人になるわ。
ウソツさんが二番目だとすると、『ウソツさんの二つ前の人』が存在しなくなるのであり得ない。五番目だとすると、『ウソツさんの二つ前の人』である世哉おじさんは、やっぱりミルクではなくコーヒーを飲んでいるのであり得ない。ウソツさんが六番目だとしても、さっきと同様にコノイエさんと孔ちゃんの前後関係が成り立たなくなるからあり得ない。
さて、これで、ママの直前の人が世哉おじさんであるときの全ての場合が成立しないことが分かった。ということで、今度はママの直前の人がウソツさんであるときだけど……覚えてる? 世哉おじさんとウソツさんの条件はほとんど同じなの。どっちもコーヒーを飲んでるし、どっちも二つ前の人がミルクを飲んでいる。――世哉おじさんの順番としてあり得るものは、この二つによって絞り込まれたわよね。当然、ママの条件は共通。だから、世哉おじさんさんの順番に関しても、ウソツさんの直前、それか一番最後、この二つにまで絞れるわ。すると結局、どちらの場合でもコノイエさんと孔ちゃんの前後関係が成立しなくなる」
「うむ……ん? でもこれだと……」
卦伊佐は首を傾げた。しかしその佇まいは完全に喧嘩の前に首の骨をパキパキするやべえ奴だったので、みんな普通にビビった。
「そ、そうよ。ママの直前に人がいるとき、全ての場合で矛盾が発生する。ということは必然的に、ママの直前には誰もいなかった……つまり、ママは一番最初の人だったということになる。『直前に出された飲み物がミルクではない』――これは『直前に出された飲み物がコーヒーである』というだけでなく、『直前に出された飲み物が無い』」という可能性も含んでいるもの。
ママが一番最初の人であることから、ママの直後の『コーヒーを飲んだ誰か』がコノイエさんで確定するわ。コーヒーを飲んだ人には、他にも世哉おじさんとウソツさんがいるけど、彼らには『二つ前の人がミルクを飲んでいる』という条件がある。さっきも言ったように、『二番目の人の二つ前』なんてあり得ないものね。
コノイエさんの直後は孔ちゃんだから、ドミノ倒しで最初の三人が確定するわね。一番目の人は『ミルクを飲んだママ』、二番目の人は『コーヒーを飲んだコノイエさん』、三番目の人は『ミルクを飲んだ孔ちゃん』。で、残っているのは世哉おじさん、ウソツさん、凱兄の三人。こうなると、四番目の人も確定できるわ。四番目の人の二つ前――つまり二番目の人は、『コーヒーを飲んだコノイエさん』。二つ前の人がミルクを飲んでいる世哉おじさんとウソツさんは、四番目の人ではあり得ないから、ここには凱兄が入るわね。
五、六番目の人の二つ前は、それぞれ『ミルクを飲んだ孔ちゃん』と『ミルクを飲んだ凱兄』となる。矛盾はないから、あとは世哉おじさんとウソツさんの順番ね。――さっきは直後の人がママで確定していたから考慮しなかったけど、世哉おじさんの帰り際に、パパはコーヒーの粉を片付けている。このことから、世哉おじさんの直後の人はコーヒーを飲んでいないことが分かるわね。粉はコーヒーを淹れるのに毎回必要になるんだから、次もコーヒーを淹れなきゃならないってときに片付けるなんて非合理的よ。パパはそこまでクレイジーな人じゃないわ。
とすると、世哉おじさんの直後にウソツさんが来るという順番はあり得ない。つまり世哉おじさんは、一番最後の人だと確定するわ。『直後に出された飲み物がコーヒーではない』――これは『直後に出された飲み物がミルクである』というだけでなく、『直後に出された飲み物が無い』」という可能性も含んでいる。さっきと同じような話よ。
――だから順番は、最初に言ったように『ママ、コノイエさん、孔ちゃん、凱兄、ウソツさん、世哉おじさん』の並びになるってわけ」
全員が、世哉の方を見つめる。口を開いたのは、卦伊佐だった。
「……ふむ、確かにこれが正解らしい。とすると、犯人はお前だな」
世哉は目を見開いた。
「ちょっ、待て! 俺は殺してねえよ! そもそも――」
「じゃあ、私は別の事件の現場に行かなくてはならんから、そろそろ失礼するぞ。容疑者をそのままにしておくのは危険だから、こいつは責任を持って私が預かっておく。警察が流石にそろそろ来るだろうから、それまで待機しておいてくれ」
喚く世哉を小指と薬指でつかんで、卦伊佐は勢いよく律家館を飛び出した。発生したソニックブームが、シャンデリアをコマみたいなことにしていった。
「ママ、容疑者ってどういうこと? 世哉おじさんは何か悪い事したの?」
「ラレ……ううん、何も無いわよ。もうこんなこと忘れて、早く寝ましょう」
ダイニングルームに残された五人の間に、沈黙が流れる。未だに電話越しの一人は、どこか安堵したようにため息をついた。
翌朝の新聞が──律家几帳男を含めて──死者六名を告げた。
第四章 殺人を知らない探偵
──二月二十日・深夜──
二月二十日午前三時、めっちゃデカい屋敷に悲鳴が響き渡った。
ダイニングルームに残っていた橘地と宇曾都は、慌てて声のする方へと駆け出した。さっき孔鱚屠は憔悴した様子で客室に帰っていったし、ノレも既にラレを連れて部屋に帰ってしまっている。此井江はというと、未だに家の中で迷っているらしい。
――悲鳴の主はラレだった。それもそのはず、部屋に包丁を持った女が侵入してきたのだから。
「あ、あ、孔ちゃん……?」
「おかしい……こんなのおかしい! 世哉がお義兄さんを殺した!? いったい何を根拠にそんなことが言えるの!」
孔鱚屠はヒステリックを起こしている。手に持っているのは、キッチンにあったナイフだ。
「ど、どういうこと? ころ……した、って? 世哉おじさんが……パパを?」
「そもそも最後に書斎に行った人が犯人だなんて、明らかに暴論だろうが! 世哉の後に誰かが入って殺したという可能性はちっとも考えないわけ!? 殺さなかった方の訪問のことだけ話せば、ウソ発見器に引っ掛かることもない……なのになぜそれを無視するの! それにあいつも……此井江もおかしい! この家は確かに豪邸だけど、道に迷うほど複雑な造りじゃない! ダイニングルームなんて、ちょっと廊下を歩けばすぐ見つかる! ……有曾津もきな臭い。あいつの証言の時、卦伊佐は示し合わせたようにウソ発見器を破壊した! 嘘をついてもバレないようにしたんだ! 普通だったらもし壊したとしてもすぐに予備を使うはずなのに、そうしなかった! ええ、ノレだっておかしい! あいつはお義兄さんのことが好きだったから結婚したんじゃない。金が好きだったから結婚したんだよ! 連れ子のてめえのことなんて微塵も良く思ってないわ!」
声を荒らげて震える孔鱚屠は、凶器の切っ先をラレに向ける。
「てめえも……てめえもだよ。べらべらべらべら自慢げに喋って世哉を陥れたんだ……父親が殺されてることにすら気づいてないのに! そんな探偵ごっこで真犯人が分かるわけない! ああ許せない許せない許せない! 私刑! 私刑! 私刑の時間よ!」
「や……いや! やめて!」
「殺人を知らない探偵だなんて笑えちゃうわ……。だから私が教えてあげる。殺人を!」
――ナイフが振り下ろされ、辺りに血が飛び散った。
「凱兄……! 大変! ち、血が!」
間一髪のところで、橘地がラレを庇って刺されたのだ。ラレは今にも泣きそうになっている。
「ぐ……ラレ様……。無事で……よかった。……ここは私が何とかしますから、ラレ様は……早く、早く屋敷の外にお逃げください……!」
「外……? で、でも、凱兄を置いていくだなんて――」
二人の会話を待たずして、孔鱚屠は再び包丁を振り回し襲い掛かってくる。
「いいから早く!」
ラレは無言で頷き、部屋を出ていった。
「このキチガイ野郎……! お前も私刑執行よ!」
何度も包丁を突き立てられる橘地だが、それでも孔鱚屠に必死にしがみつき、ラレを追うのを制止する。
「几帳男様は……こんな私を雇ってくれた大恩人……! 彼の忘れ形見を守るのは、私にとって命より重いことなんだ……!」
そう言って、橘地は仰向けになり、肘と膝を持ち上げた。孔鱚屠の額に冷や汗が流れる。
「まさかお前……その体勢は……!」
「ぎいっ! ぎじじじっ!」
奇声を上げ、体を弓のようにしならせて、橘地は俊敏に飛び回りはじめた――ラレを守るために。
「じっ! じっじじじぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃざあっざあっざざあざじじゃいじあじじあじあじあじじゃいじあじじじゃいじあじあああ!!!」
橘地が最悪の場合に備えて願った通り、ラレは律家館の玄関から外に飛び出していた。ちょうどいくつかのパトカーが到着した頃だった。
「まったく卦伊佐さんったら、ホント勘弁してほしいよ。あの人の一挙手一投足がどれだけの二次災害を及ぼすか……ってあれ? おい、子供がこっちに走ってくるぞ!」
「ここの事件と関係してるかもしれません! とりあえず保護しましょう!」
近づいてきた警察官を見るなり、ラレは涙をこらえながら大声で叫んだ。
「凱兄が……っ、凱兄が刺されて大変なの! 早く助けてあげて!」
――しかしその声は、突如鳴り響いた爆音にかき消された。
「消防に応援を要請しろ! これはヤバいぞ!」
律家館は内部からの圧力で大きくひしゃげ、崩落した隙間からは大きな火の手が上がっている。此井江浩杉、橘地凱、威山横孔鱚屠、有曾津王、律家ノレ――以上の五名が、律家几帳男に次いで死亡した。
第五章 なすりつける女
孔鱚屠がラレを襲う数分前、ノレはラレを部屋に残し、書斎へ向かっていた。部屋の隅から番犬としての役目を果たそうと出てきたスイッチは、しかし主人の姿をみとめると再び戻っていってしまう。
食器棚を動かすと、地下階への隠し階段が現れる。ノレは軽い足取りで階段を駆け下り、地下の一室に出た。そこには遠隔操作型のギロチンが備え付けられており、少し離れた場所に通話中のスマホが転がっている。台の上で手足を縛りあげられ、素朴な木の板に首を嵌められていたのは――此井江だった。
ノレが通話を解除したのを見て、此井江は喋り始めた。
「これで……解放してくれるんですよね?」
「ええ、そうね……あなたはいい仕事をしてくれた」
不気味に笑いながら、ノレは続ける。
「あの時は……本当にびっくりしたわ。まさか見られてしまうだなんて、迂闊だった。まあ、そもそも衝動的にやっちゃったものだから仕方ないけどね」
「……びっくりしたのは僕の方でしょう。道を聞こうとドアを開けた瞬間、あなたが几帳男さんを刺し殺していたんだから」
此井江は、ギロチン台の上で仰向けになり、どこか遠くを見つめている。
「大声で叫んで逃げようとしたけど、まさかあれが……スイッチでしたっけ? 邪魔してくるとは思いませんでしたよ。よくしつけられてますね。そのまま手足を縛られて、謎の扉から地下に投げ出されて……気づいたらこうですよ。おまけに無事に解放されたければ、口裏を合わせて世哉さんに罪をなすりつける手伝いをしろときた。もし電話で助けを呼んだりしたら、ギロチンが遠隔で作動するらしい……まったく想像通り、あなたはひどい人だった」
「……?」
「ハハ、なに、僕は記者ですよ。この家に来たのは、いいネタがあったからに決まってるじゃないですか。いわくこの家の地下で、あなたは――」
此井江の言葉が途切れた。――あえて視覚的に明瞭に説明するならば、ギロチンによって此井江の首が切断された、ということだ。ほぼ同時に、地上ではラレが悲鳴をあげているが、地下にはその声は届かなかった。
この屋敷のナース、律家ノレは、途方に暮れた。此井江を殺す羽目になったのは彼女にとって大きな誤算だったからだ。そもそも本来、几帳男を殺すはずでもなかったのだが。……とにかくノレは、自身の運を信じることにした。このままどうにか世哉が逮捕され、自身に追及の目が向けられなかったなら……もちろんその可能性は限りなく低いだろう。新たに此井江の死体も増えてしまったし、ノレは何か巧妙なトリックを仕掛けられるわけでもない。今は卦伊佐とやらが馬鹿だったおかげでたまたまうまく行っているが、捜査が本格的に始まれば疑いの目は必ず自分に伸びてくる。
――ノレはそう確信していてなお、まだハッピーエンドを信じていた。最早そうする他なかったからだ。几帳男を殺してしまった時点で、彼女の計画は破綻してしまっていたのだから。
ふと、階段の方から足音が聞こえた。ノレは咄嗟に、ギロチン台の後ろに身を隠す。
「おいおい、どうして隠れるんだ? このナイチンゲールが来てやったってのに……っておいおい、惨劇の真っ最中かよ」
階段を下り、ギロチン台に目を向けているこの男は――有曾津だ。ノレがそれを訝しむ間もなく、彼は滔々と語り始めた。
「警察が最初にその手の情報筋から得た情報はこうだった――律家几帳男、国内の軍需産業の第一人者である彼の住宅の地下で、秘密裏に大量の爆発物が製造されている。……几帳男は強い権力を持っている。それこそあの『機械・機械生体三原則』を変えてしまえるレベルにだ。真っ向から捜査しようとしたところで、握りつぶされてしまうかもしれない。だから警察は、この律家館に特殊機密捜査員を派遣することを選んだ」
「まさか……」
「そう、その捜査員こそ――俺だ」
全くのノーマークだった男の正体に、ノレは唖然とした。また嘘をついているのかもしれないが、こいつと卦伊佐が繋がっていると考えると、全ての辻褄が合ってしまう。世哉があっけなく連れていかれたことも……。
「そして詐欺師のフリをしてこの家の内情を捜査するにつれ……驚くべき事実が浮かび上がってきた。爆弾を製造していたのは几帳男ではなく、その妻、律家ノレだったんだ。その動機はつまるところ、几帳男の持つ莫大な富。……爆発物への造詣も深い几帳男には、この家全体を破壊する威力を持った爆破装置の脅威もすばらしく理解できるだろう。そう思ったお前は、これによって彼の豪邸と愛娘を人質にしてしまうことで、全く秘密裏に、いかなる第三者の介入も許さないまま、財産を強請ろうと考えていた……違うか?」
「……胸糞悪い質問ね。私の答えなんてどうでもいいでしょ」
「へっ、まあいい、とにかく……そう、さっきの事件だ。大方お前はついにあいつを脅迫し……そこで何があったは知らないが、お前は几帳男を殺害した。計画が台無しになって焦ったお前は、そこに転がってる此井江をも脅して加担させ、とにかく威山横世哉に罪を擦り付けることにしたんだろう。几帳男の財産を奪おうとしていたお前にとって、世哉に多額の遺産が渡ることを阻止するのに最もいい方法は、彼を殺人犯に仕立て上げて『相続欠格』を適用させることだったからな。それに運よく、お前を除けば世哉は最後の訪問者だった。だから最後に書斎に行った人物が犯人であるという流れを作り、彼を追い詰めようとした……尤も、卦伊佐のやつが世哉を保護した今となっちゃあ無理な話だが」
策に嵌められていたのはこちら側だった――ノレは唇を噛んだ。
「几帳男は死んだ。皮肉にも、これによって警察は律家館に入るためのまったく正当で潰しようのない理由を手に入れたんだ。……律家ノレ、お前を逮捕する」
ノレはギロチン台の陰から飛び出し、有曾津の前に躍り出て、叫んだ。
「――ま、待ちなさい! 私は爆破装置のスイッチを携帯している! 少しでも動いたら、起動させるわよ!」
「まあまあ、そんな物騒なこと言うなよ」
有曾津は余裕の表情でノレに近づいていく。
「聞こえないの!? 起動させるわよ! 止まりなさい!」
「お前は爆破装置のスイッチを携帯していない」
ノレは有曾津に組み伏せられ、手錠を掛けられた。
「どうして嘘だと……フフ、いや、違うわね。あなたはその在処を見破ってはいない」
「まだ観念しないのか……一応聞いておこう、何故そんなことが言える?」
ノレは笑いをこらえるようにして言った。
「あなたが私の喉を潰そうとしないからよ。スイッチはとっても従順――」
「まさか――あのロボット犬自体が――!」
「スイッチ――――――――――っっ!!!」
爆風は、たちまち家中を破壊していった。それはノレと有曾津のいる地下の一室も例外ではなく、部屋は崩落を始めた。当のノレも瓦礫に挟まれ、深い傷を負っている。しかし――
「油断しちまったよ……任務は大失敗だ」
有曾津は血を一滴も流さずして瓦礫から脱出しており、ノレに再び近づいていった。
「まさか……あなたって……!」
「特殊機密捜査員は、機械生体――アンドロイドによって構成されている。警察は行政機関だからな、『三原則』には抵触しない」
有曾津――正確には、SSI-1931――は、破けた表皮の内側にケーブルを覗かせながら続ける。
「律家ノレこそが犯人であると俺が確信したのは――俺にあのウソ発見器と同じシステムが搭載されているからだ。勿論、この判定結果を同僚の人間――例えば卦伊佐とかに言うことはできない。司法に影響を及ぼしちまうらしいからな。だが……俺の中だけで黙って捜査に役立てることなら許される。さっきお前がスイッチを持っていないということだけ分かったのも、これのおかげだ」
しばらく両者は沈黙した。地下の空間の崩壊は勢いを増していて、生き埋めも目前に迫ってきている。
「事件に巻き込まれて死んだりとかしたとき、アンドロイドでも俺みたいに特殊なやつは人間としてニュースに載るらしい。人間のフリして知り合った奴らの混乱を避けるためなんだとよ」
「うるさいわね、聞いてないわよそんな話」
「そうか……じゃあ、一つ聞かせてくれ。律家ラレについてだ」
ノレはそっけない態度で言う。
「あの推理はびっくりしたわ。あの子があんなことをするなんて、全く予想外だった。まあ、あれのせいで卦伊佐が世哉を連れていく口実を得てしまったといえば、それまでだけど」
今度は有曾津が、無表情のまま、しかしはっきりと話し始める。
「……爆発の前、俺は橘地に地下の爆破装置のことを話して、ラレを家の外へ出してくれるよう頼んだ。まあこれは可哀想だからとかじゃなく、お前がラレを人質にするようなことがあったときに、『三原則』第一項のせいで手出しできなくなるのを防ぐためだ。……その最中、おそらく激情に駆られた孔鱚屠が襲いかかってきたんだろう、ラレの悲鳴が聞こえてきた。橘地はすぐさま助けに向かい、その間に俺はここへ来たわけだ。それで……警察の無線では、たった今この家の外で少女を保護したとあった。要するに、律家ラレは無事だってことだ」
「それを私に言ってどうするの。私は……私はラレを、几帳男から金を巻き上げるための道具にしようとしていたのよ!?」
「……俺の中のウソ発見器システムは、お前が最初に口にした言葉に――その中の『私の娘、ラレ』という言葉に――ちっとも反応しなかったんだ」
ノレは深く息をつく。
「少なくともお前にとって……ラレは本当にお前の娘だったってことだ」
しばらくの静寂の後、ノレは、意を決したように喋り始めた。
「私にも……私にも分からないの。私が、ラレのことを、どう思っているのか……。最初は計画のための道具としか思っていなかった。でも今は、なぜだか……」
地下空間の酸素は薄くなっていき、瓦礫の落ちる音がやけに大きく響く。
「……几帳男を脅迫しに行った時ね、あいつは何を勘違いしたのか、私にこう謝ってきたの――『許してくれ、ほんの出来心だったんだ、ラレを犯してしまったのは!』って。その時……自分でも訳が分からないほど、頭に血が上っちゃって、それで……気づいたら、刺し殺していた」
有曾津は何も言わず、ただ息を呑んだ。
「その後ラレに聞いてみたけど……本当に酷かった。……ラレはとっても純粋で……もうすぐ中学生になるっていうのに殺人という概念さえよく分かっていないほどなの。それを……それをあんな風に最悪な形で使うっていうのが本当に許せなかった。卦伊佐を連れて死体を見に行った時にも反吐が出たわ。橘地も可哀想な奴ね。あんなクズに騙されて心酔しきってしまって。……とにかく、あの子を守ってあげたい、そう思ったの。でも……私にそんな資格なんてないから。だから……私には、もう……分からないの。」
――再び、沈黙。そしてそれは、ついに破られることがなかった。