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夜食ノベル
(夜食ノベル)
(夜食ノベル)
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 盛大な腹の虫で目が覚めてしまった。瞼を閉じたまま、ヴァレンチーナは考えを巡らせる。<br>
 盛大な腹の虫で目が覚めてしまった。瞼を閉じたまま、ヴァレンチーナは考えを巡らせる。<br>
 こんなにお腹が空いているのは、糖質を摂らないダイエット中だから。私だけじゃなくて、きっと皆お腹を空かせている。誰だっけ、シェアハウスの住人全員でダイエットしようなんて言い出したのは。ジュリア? それともボランデだっけ?<br>
 こんなにお腹が空いているのは、糖質を摂らないダイエット中だから。私だけじゃなくて、きっと皆お腹を空かせている。誰だっけ、シェアハウスの住人全員でダイエットしようなんて言い出したのは。ジュリア? それともボランデだっけ?<br>
 しかし、考えは自然と食べ物に向かってしまう。祖国ブラジルのシュラスコ料理が食べたい。日本ではなかなか食べられないし。あの、ジューシーな食感と、溢れ出す肉の旨味と──。<br>
 しかし、考えは自然と食べ物に向かってしまう。故郷ブラジルのシュラスコ料理が食べたい。日本ではなかなか食べられないし。あの、ジューシーな食感と、溢れ出す肉の旨味と──。<br>
 ぐうううう。<br>
 ぐうううう。<br>
 2度目の腹の虫で、我に返った。5人でダイエットするにあたり、夜食は禁止というルールが設けられている。ベッドに寝転がったまま、薄目を開けて夜光時計を見た。1時51分。まだまだ深夜。早く寝ないと、食欲に勝てなくなってしまいそうだ。<br>
 2度目の腹の虫で、我に返った。5人でダイエットするにあたり、夜食は禁止というルールが設けられている。ベッドに寝転がったまま、薄目を開けて夜光時計を見た。1時51分。まだまだ深夜。早く寝ないと、食欲に勝てなくなってしまいそうだ。<br>
 ヴァレンチーナは、固く目をつぶった。大好きなシャーロック・ホームズのことでも考えよう。お気に入りの話を反芻するんだ。今日は『踊る人形』にしよう……。<br>
 ヴァレンチーナは、固く目をつぶった。大好きなシャーロック・ホームズのことでも考えよう。お気に入りの話を反芻するんだ。今日は『踊る人形』にしよう……。<br>
 その時、耳が微かな音を拾った。ズズズ、ズルズル。これは、麺を啜る音……? お腹が空きすぎて、夢の中でラーメンでも食べ始めたのか?<br>
 その時、耳が微かな音を拾った。ズズズ、ズルズル。これは、麺を啜る音……? お腹が空きすぎて、夢の中で夜食を食べ始めたのか?<br>
 ……いや、違う。確かに聞こえる。ヴァレンチーナの意識が、不意に覚醒した。階下、ダイニングの方から、麺を啜る音がする。幻聴じゃない。つまり、誰かが夜食を食べてるってことだ!<br>
 ……いや、違う。確かに聞こえる。ヴァレンチーナの意識が、不意に覚醒した。階下、ダイニングの方から、麺を啜る音がする。幻聴じゃない。つまり、誰かが夜食を食べてるってことだ!<br>
 ヴァレンチーナは、ガバリと上体を起こし、そのままベッドを飛び降りた。自室のドアを開け、勢いよく階段を駆け下る。ダイニングの方から、ドタドタと足音が聞こえてきた。<br>
 ヴァレンチーナは、ガバリと上体を起こし、そのままベッドを飛び降りた。自室のドアを開け、勢いよく階段を駆け下る。ダイニングの方から、ドタドタと足音が聞こえてきた。<br>
 逃がすもんですか。ヴァレンチーナは、トップスピードのまま、ダイニングへと突入した。<br>
 逃がすもんですか。ヴァレンチーナは、トップスピードのまま、ダイニングへと突入した。<br>
 電灯は点いており、人影は無い。左手にはキッチンがあり、コンロに置かれたヤカンが見える。カウンターを挟んだ正面の奥には、大きな食卓がある。そして、その上に、何かが乗っている。<br>
 電灯は点いており、人影は無い。左手にはキッチンがあり、コンロに置かれたヤカンが見える。カウンターを挟んだ正面の奥には、大きな食卓がある。そして、その上に、何かが乗っている。<br>
 ヴァレンチーナは、食卓の方へ歩を進めた。机の上には、カップ麺とコップ、そして皿に乗った食べ物。これは確か、ちくわと言ったか。近づいてよく見てみる。蓋がめくられ、中身は半分ほどになり、ふわふわと湯気を立てているカップ麺。コップに少しだけ残っている、恐らく水道水であろう水。小皿に1本、端を齧られている以外は綺麗なちくわ。テーブルに乗っているのはこれだけだった。やはり誰かが夜食を食べていたのは間違いない。でも、その犯人はどこに……?<br>
 ヴァレンチーナは、食卓の方へ歩を進めた。机の上には、カップ麺とコップ、そして皿に乗った食べ物。これは確か、ちくわと言ったか。近づいてよく見てみる。蓋がめくられ、中身は半分ほどになり、ふわふわと湯気を立てているカップ麺。コップに少しだけ残っている、恐らく水道水であろう液体。小皿に1本だけある、端っこが齧られたちくわ。テーブルに乗っているのはこれだけだった。やはり誰かが夜食を食べていたのは間違いない。でも、その犯人はどこに……?<br>
 その時、階上からパタンという扉の閉まる音がした。刹那、何が起きたかを悟る。<br>
 その時、階上からパタンという扉の閉まる音がした。刹那、何が起きたかを悟る。<br>
 犯人は、ヴァレンチーナが来るのを察知し、キッチンの奥に隠れたのだ。そして、ヴァレンチーナが机の上を観察している隙に、後ろをこっそり通り抜け、自室へと帰ったのだ。<br>
 犯人は、ヴァレンチーナが来るのを察知し、キッチンの奥に隠れたのだ。そして、ヴァレンチーナが机の上を観察している隙に、後ろをこっそり通り抜け、自室へと帰ったのだ。さっき聞こえたのは、犯人が部屋へと戻り、扉を閉めた音に違いない。<br>
 ──しまった。<br>
 ──しまった。<br>
 ヴァレンチーナは歯がみした。みすみす犯人に逃げられてしまった。ホームズなら、こんなミスはしなかっただろうに。<br>
 ヴァレンチーナは歯がみした。みすみす犯人に逃げられてしまった。ホームズなら、こんなミスはしなかっただろうに。<br>
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「──で、全員を叩き起こしたっていうの? 今は2時よ? 2時」<br>
「──で、全員を叩き起こしたっていうの? 今は2時よ? 2時」<br>
 寝起きでボサボサの銀髪に手櫛をいれながら、スヴェトラーナがぼやいた。他の皆――ジュリア、ボランデ、ナオミ、そしてヴァレンチーナ自身――も同じような格好だった。全員寝間着のままだし、化粧はおろか寝癖すら直していない。そして、眠そうに目を擦っている。但し、ヴァレンチーナの目は冴えていた。なぜなら、この中に一人、さっきまで起きていて夜食を食べていた者がいるからである。<br>
 寝起きでボサボサの銀髪に手櫛をいれながら、スヴェトラーナがぼやいた。他の皆――ジュリア、ボランデ、ナオミ、そしてヴァレンチーナ自身――も同じような格好だった。全員寝間着のままだし、化粧はおろか寝癖すら直していない。そして、眠そうに目を擦っている。但し、ヴァレンチーナの目は冴えていた。なぜなら、この中に一人、さっきまで起きていて夜食を食べていた者がいるからである。<br>
 ここは、日本国、京都にあるシェアハウス。住人5名は皆、近くの大学に通う一回生だ。入居する時、「国際性豊かな方がいい」と皆が思った結果、女5人の国籍は完全にばらけた。ロシア、アメリカ、南アフリカ、日本、そしてブラジル。もちろん不便なことも多かったが、どうにか現在8月までやってきた。日本語でのコミュニケーションも、ほぼ問題なくできるようになっている。<br>
 ここは日本国、京都にあるシェアハウス。住人5名は皆、近くの大学に通う一回生だ。入居する時、「国際性豊かな方がいい」と皆が思った結果、女5人の祖国は完全にばらけた。ロシア、アメリカ、南アフリカ、日本、そしてブラジル。もちろん不便なことも多かったが、どうにか現在8月までやってきた。日本語でのコミュニケーションも、ほぼ問題なくできるようになっている。<br>
「今から犯人を突き止めるんですか?」<br>
「今から犯人を突き止めるんですか?」<br>
「そうよ!」<br>
「そうよ!」<br>
 ボランデの質問に、ヴァレンチーナは力強く応えた。ナオミが苦笑する。<br>
 ボランデの質問に、ヴァレンチーナは力強く答えた。ナオミが苦笑する。<br>
「名探偵ヴァレンチーナってことね。いいわ、付き合ってあげる」<br>
「名探偵ヴァレンチーナってことね。いいわ、付き合ってあげる」<br>
 皆眠たげではあるが、異を唱える者はいなかった。ヴァレンチーナのシャーロッキアンぶりは皆知っている。それに、夜食したくらいで今更罅が入るような仲でもない。犯人ともども、ヴァレンチーナに花を持たせようと担いでくれているのだ。なら、担がれた分は思い切りやらせてもらう。<br>
 皆眠たげではあるが、異を唱える者はいなかった。ヴァレンチーナのシャーロッキアンぶりは皆知っている。それに、夜食したくらいで今更罅が入るような仲でもない。犯人ともども、ヴァレンチーナに花を持たせようと担いでくれているのだ。なら、担がれた分は思い切りやらせてもらう。<br>
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 なら、その証拠をどうやって見つけようか。ヴァレンチーナの頭に、この前読んだ日本の推理小説に出てきた1つの言葉が浮かんだ。<br>
 なら、その証拠をどうやって見つけようか。ヴァレンチーナの頭に、この前読んだ日本の推理小説に出てきた1つの言葉が浮かんだ。<br>
「現場百遍、だわ! 現場であるこのダイニングをよく見て、証拠を見つけ出すのよ!」<br>
「現場百遍、だわ! 現場であるこのダイニングをよく見て、証拠を見つけ出すのよ!」<br>
 そう言うと、ヴァレンチーナは残された食べ物を凝視した。熱意に押され、他の皆も机の上や下を、何かないか探し始める。ヴァレンチーナは目の前の遺留品に集中した。<br>
 そう言うと、ヴァレンチーナは残された食べ物を凝視した。熱意に感化されたのか異様な行動に気圧されたのか、他の皆も机の上や下を、何かないか探し始める。ナオミはキッチンに向かった。ヴァレンチーナは目の前の遺留品に集中する。<br>
 カップ麺から湯気はもう出ておらず、のびて体積を増した麺が、汁から少し顔を出している。めくられた蓋では、水蒸気が当たってできた水滴が集まり、1つの大きな水滴が今にも落ちそうになっていた。<br>
 カップ麺から湯気はもう出ておらず、のびて体積を増した麺が、汁から少し顔を出している。めくられた蓋では、水蒸気が当たってできた水滴が集まり、1つの大きな水滴が今にも落ちそうになっていた。<br>
 その右には、陶器の小皿に乗った食べかけのちくわ。真ん中は茶色く焦げ、白い端は2つあったはずだが、こちら側の1つは食べられて既に無い。2口分ほど齧られているだろうか。その断面以外は、綺麗なままだ。<br>
 その右には、陶器の小皿に乗った食べかけのちくわ。真ん中は茶色く焦げ、白い端は2つあったはずだが、こちら側の1つは食べられて既に無い。2口分ほど齧られているだろうか。その断面以外は、綺麗なままだ。<br>
 2つの奥には、赤いプラスチックのコップ。中の水は半分以下で、結露がないことから、やはり中身は常温の水道水だろう。<br>
 さらに奥には、赤いプラスチックのコップがある。入っている水の嵩は半分以下で、結露がないことから、やはり中身は常温の水道水だろう。<br>
 ふと思いついて、ヴァレンチーナは尻ポケットから虫眼鏡を取り出した。ジュリアが少し呆れたような声で言う。<br>
 ふと思いついて、ヴァレンチーナは尻ポケットから虫眼鏡を取り出した。ジュリアが少し呆れたような声で言う。<br>
「そんなもの持ってるの?」<br>
「そんなもの持ってるの?」<br>
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「{{傍点|文章=フォークが無いですね}}」
「{{傍点|文章=フォークが無いですね}}」


 衝撃が走った。弾かれたように机の上に顔を向ける。皿の陰も覗くが、無い。床も慌てて見てみるが、落ちていない。キッチンも探してみたが、何も無かった。{{傍点|文章=フォークは}}、{{傍点|文章=どこかに消えてしまっていた}}。<br>
 衝撃が走った。弾かれたように机の上に顔を向ける。皿の陰も覗くが、無い。床も慌てて見てみるが、落ちていない。キッチンにも駆け込んで見渡したが、何も無かった。{{傍点|文章=フォークは}}、{{傍点|文章=どこかに消えてしまっていた}}。<br>
 カップ麺を手で食べるわけもない。フォークでないにしろ、何かしらのカトラリーは使われたはず。それがどこにも無いということは。<br>
 カップ麺を手で食べるわけもない。フォークでないにしろ、何かしらのカトラリーは使われたはず。それがどこにも無いということは……。<br>
 ジュリアが呟く。<br>
 ジュリアが呟く。<br>
「犯人が持ち去ったってこと? でも、どうして?」<br>
「犯人が持ち去ったってこと? でも、どうして?」<br>
93行目: 93行目:
「家の中を探すこと」<br>
「家の中を探すこと」<br>
「おー、なるほどです」<br>
「おー、なるほどです」<br>
 最後に、スヴェトラーナがこう締めた。<br>
 とどめに、スヴェトラーナがこう言ってニヤリと笑った。<br>
「大体、ホームズさんがそんな強引な方法取っていいのかい? 名探偵ならスパッと、推理だけで解決しなくっちゃ」<br>
「大体、ホームズさんがそんな強引な方法取っていいのかい? 名探偵ならスパッと、推理だけで解決しなくっちゃ」<br>
 むむむ、そう言われると引き下がるしかない。<br>
 むむむ、そう言われると引き下がるしかない。<br>
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「違うの、ボランデ。その穴じゃなくて、{{傍点|文章=フォークで刺した穴よ}}」<br>
「違うの、ボランデ。その穴じゃなくて、{{傍点|文章=フォークで刺した穴よ}}」<br>
 また沈黙が流れたが、その意味は明確に変わっていた。<br>
 また沈黙が流れたが、その意味は明確に変わっていた。<br>
「フォークで刺した所は齧れないから、この残った部分に穴が残っているはずなのに、それが無い。ということは……」<br>
「フォークで刺した所は齧れないから、残った部分に穴が残ってないといけない。そうでしょ? でも、それが無い。ということは……」<br>
「{{傍点|文章=犯人はフォークを使ってちくわを食べたのではない}}」<br>
「{{傍点|文章=犯人はフォークを使ってちくわを食べたのではない}}」<br>
「その通りよ、ジュリア。これは、犯人はフォークを使っていないことと同義。わざわざ2種類のカトラリーを使う理由はないし、仮にそうしていたとしても、2つのカトラリーを持ったままキッチンに隠れるとは考えにくい。手に持っているのはどちらか1つだろうから。つまり、{{傍点|文章=犯人はフォークでない何かで}}、{{傍点|文章=夜食を食べたということ}}<br>
「その通りよ、ジュリア。これは、犯人はフォークを使っていないことと同義。わざわざ2種類のカトラリーを使う理由はないし、仮にそうしていたとしても、2つのカトラリーを持ったままキッチンに隠れるとは考えにくい。手に持っているのはどちらか1つだろうから。つまり、{{傍点|文章=犯人はフォークでない何かで}}、{{傍点|文章=夜食を食べた}}ということ」<br>
 皆が話に引き込まれているのを感じながら、ヴァレンチーナは解決を続けた。<br>
 皆が話に引き込まれているのを感じながら、ヴァレンチーナは解決を続けた。<br>
「そこで、私はちくわをよく見てみたの。そうしたら、ちくわの両側面にカップ麺の汁が僅かに付いているのが判ったわ。犯人はフォークを使わなかった。あるじゃない。フォークの代わりになる、ちくわを挟んで、丁度こんな汚れが付きそうな道具が」<br>
「そこで、私はちくわをよく見てみたの。そうしたら、ちくわの両側面にカップ麺の汁が僅かに付いているのが判ったわ。犯人はフォークを使わなかった。あるじゃない。フォークの代わりになる、ちくわを挟んで、丁度こんな汚れが付きそうな道具が」<br>
 ナオミが唇を歪めて言った。<br>
 ナオミが唇を歪めて言った。<br>
「……{{傍点|文章=箸}}ね」<br>
「……{{傍点|文章=箸}}ね」<br>
「そう。{{傍点|文章=持ち去られたのはフォークじゃなくて箸}}。{{傍点|文章=犯人は}}、{{傍点|文章=箸を使って夜食を食べたの}}」<br>
 ヴァレンチーナも日本に移り住んでから、見慣れるようになった。だが、あの細い2本の棒で食べ物を上手くつまむことはまだできない。そして、それは皆同じだろう。<br>
 ヴァレンチーナも日本に移り住んでから、見慣れるようになった。だが、あの細い2本の棒で食べ物を上手くつまむことはまだできない。そして、それは皆同じだろう。<br>
 {{傍点|文章=ただ1人を除いて}}。<br>
 {{傍点|文章=ただ1人を除いて}}。<br>
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