「利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/戊」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
6行目: 6行目:


===統一国家の成立===
===統一国家の成立===
マガダ国の'''ナンダ朝'''がコーサラ国を破りガンジス川流域を統一したのも束の間、アレクサンドロス大王がインド西北部へ侵入した。この混乱をついて現れたのが、'''マウリヤ朝'''である。創始者の'''チャンドラグプタ王'''は、ナンダ朝やギリシア系勢力などを次々に打ち滅ぼし、マウリヤ朝はインド初の統一王朝となった。最盛期、'''アショーカ王'''の時代には、'''ダルマ(法)'''に基づく政治が行われ、仏典の結集やスリランカへの布教などが為された。マウリヤ朝の衰退後は、ギリシア人やイラン人の勢力の進出が始まり、'''イラン系クシャーン人'''によって西北インドに'''クシャーナ朝'''が開かれた。カニシカ王の時代には最盛期を迎え、中央アジアからガンジス川中流域を支配したほか、ローマとの交易も盛んに行われた。また、このとき'''菩薩信仰'''によって大衆の救済をめざした'''大乗仏教'''が成立し、ヘレニズム文化に影響された仏像の制作といった'''ガンダーラ芸術'''も盛んになった。一方南インドでは、ローマとの季節風貿易を行った'''サータヴァーハナ朝'''や、「海の道」で盛んに交易した'''チョーラ朝'''など、ドラヴィダ系住民の交易活動によって繁栄した。
マガダ国の'''ナンダ朝'''がコーサラ国を破りガンジス川流域を統一したのも束の間、アレクサンドロス大王がインド西北部へ侵入した。この混乱をついて現れたのが、'''マウリヤ朝'''である。創始者の'''チャンドラグプタ王'''は、ナンダ朝やギリシア系勢力などを次々に打ち滅ぼし、マウリヤ朝はインド初の統一王朝となった。最盛期、'''アショーカ王'''の時代には、'''ダルマ(法)'''に基づく政治が行われ、仏典の結集やスリランカへの布教などが為された。マウリヤ朝の衰退後は、ギリシア人やイラン人の勢力の進出が始まり、'''イラン系クシャーン人'''によって西北インドに'''クシャーナ朝'''が開かれた。カニシカ王の時代には最盛期を迎え、中央アジアからガンジス川中流域を支配したほか、ローマとの交易も盛んに行われた。また、このとき'''菩薩信仰'''によって大衆の救済をめざした'''大乗仏教'''が成立し、ヘレニズム文化に影響された仏像の制作といった'''ガンダーラ芸術'''も盛んになった。一方南インドでは、ローマとの季節風貿易を行った'''サータヴァーハナ朝'''や、「海の道」で盛んに交易した'''チョーラ朝'''など、ドラヴィダ系住民が盛んに交易活動を行い、経済的に繁栄した。
8,864

回編集

案内メニュー