「Sisters:WikiWikiオンラインノベル/スノータイムリミット」の版間の差分

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<br> 一瞬荷物を背負ってそのまま帰りたいという欲求に駆られたが、そんな事をしては今後何が起きるかわからない。溜息を吐いて、覚悟を決める。ここは一肌脱いで、講釈してやるしか無いのか……。  
<br> 一瞬荷物を背負ってそのまま帰りたいという欲求に駆られたが、そんな事をしては今後何が起きるかわからない。溜息を吐いて、覚悟を決める。ここは一肌脱いで、講釈してやるしか無いのか……。  
<br> 僕は席を立ってホワイトボードの前に立った。祐介は向かい側の椅子に座った。  
<br> 僕は席を立ってホワイトボードの前に立った。祐介は向かい側の椅子に座った。  
<br>「まず、「ミステリ」の意味は知ってるか?」
<br>「まず、『ミステリ』の意味は知ってるか?」
<br>「知ってる。mystery。不思議とか怪奇とかいう意味だ」  
<br>「知ってる。mystery。不思議とか怪奇とかいう意味だ」  
<br>「そう、その通りだ。そして、その言葉通り、不思議、神秘、怪奇等のフィクション作品を総じてミステリと呼ぶ。僕はその中のミステリ小説しか知らないから、それについて少し話そう」
<br>「そう、その通りだ。そして、その言葉通り、不思議、神秘、怪奇等のフィクション作品を総じてミステリと呼ぶ。僕はその中のミステリ小説しか知らないから、それについて少し話そう」
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<br> そうすると、締め切りは三月半ば。つまりあと一ヶ月程しかない。  
<br> そうすると、締め切りは三月半ば。つまりあと一ヶ月程しかない。  
<br> 僕は立ち止まって暫し一考した。  
<br> 僕は立ち止まって暫し一考した。  
<br> 僕がここで祐介の手伝いをすると、真っ正直な祐介のことだから必ず僕のことを話してくれるだろう。そうすれば彼からの評価も上がるかもしれない。勿論その場合出来が悪いのを作るわけにはいかない。うんといいものを作らなければ。メリットデメリットを考え、僕は有吾さんに良いところを見せたいと思った。
<br> ここで祐介のお手伝いをすると、素直な祐介のことだから必ず僕のことを話してくれるだろう。そうすれば彼からの評価も上がるかもしれない。勿論その場合出来が悪いのを作るわけにはいかない。うんといいものを作らなければ。メリットデメリットを考え、僕は有吾さんに良いところを見せたいと思った。
<br>「分かったよ。しょうがないな……」  
<br>「分かったよ。しょうがないな……」  
<br> そう言って振り向くとそこには鼻に掛かる笑みを湛えた祐介が立っていた。  
<br> そう言って振り向くとそこには鼻に掛かる笑みを湛えた祐介が立っていた。  
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<br>「まず、由紀さんって誰?」  
<br>「まず、由紀さんって誰?」  
<br> すると祐介が口を開いた。  
<br> すると祐介が口を開いた。  
<br>「1―Cの青崎由紀だよ。ほら、エルサって呼ばれてる人だ。光太も知ってるだろ?」  
<br>「1ーCの青崎由紀だよ。ほら、エルサって呼ばれてる人だ。光太も知ってるだろ?」  
<br> ああ、瞳に聞くより何倍もわかりやすい。青崎由紀、またの名を1のCのエルサ。この学校ではちょっとした有名人だ。整った容姿に良い成績。運動神経も抜群で、今目の前にいる瞳と同じように、一年生ながらも不動のレギュラーの座に着いている。そのうえ品行方正で、自分にも他人にも厳格なその姿は不思議と見る人に自然と『お嬢様』を思わせるのだ。何より目立つのはその白みがかったグレーの髪だろう。人より色彩が薄く目立つその髪は、その容姿と相まって素晴らしい造形を作り出しているのだ……ということらしい。僕の知っていることはどれも噂の域を出ないものだ。正直なところ何回か見かけた覚えがあるくらいで、殆ど知らないのだ。まあ、噂と明らかに違うようなところは無かったと思う。
<br> ああ、瞳に聞くより何倍もわかりやすい。青崎由紀、またの名を1のCのエルサ。この学校ではちょっとした有名人だ。整った容姿に良い成績。運動神経も抜群で、今目の前にいる瞳と同じように、一年生ながらも不動のレギュラーの座に着いている。そのうえ品行方正で、自分にも他人にも厳格なその姿は不思議と見る人に自然と『お嬢様』を思わせるのだ。何より目立つのはその白みがかったグレーの髪だろう。人より色彩が薄く目立つその髪は、その容姿と相まって素晴らしい造形を作り出しているのだ……ということらしい。僕の知っていることはどれも噂の域を出ないものだ。正直なところ何回か見かけた覚えがあるくらいで、殆ど知らないのだ。まあ、噂と明らかに違うようなところは無かったと思う。
<br> 彼女はそのハイスペックさと厳格な性格、そして何よりその髪色からだろうか、数年前に流行った児童向け映画に出てくる氷の女王の名前が冠され、嫉妬と尊敬の入り混じった視線を向けられている。
<br> 彼女はそのハイスペックさと厳格な性格、そして何よりその髪色からだろうか、数年前に流行った児童向け映画に出てくる氷の女王の名前が冠され、嫉妬と尊敬の入り混じった視線を向けられている。
<br>「それで、由紀さんがどうかしたの?」   
<br>「それで、由紀さんがどうかしたの?」   
145行目: 145行目:
<br> 彼女は空のティーカップを祐介に差し出す。祐介は軽やかな手つきでそれを受け取り、ポッドからもう一杯淹れ始めた。  
<br> 彼女は空のティーカップを祐介に差し出す。祐介は軽やかな手つきでそれを受け取り、ポッドからもう一杯淹れ始めた。  
<br>「どうぞどうぞ。茶葉は余ってるんだ。幾らでも飲んでくれたまえよ……」  
<br>「どうぞどうぞ。茶葉は余ってるんだ。幾らでも飲んでくれたまえよ……」  
<br> その間、僕は思案した。瞳は、気になり出すと解決するまで止まらない猪突猛進なタイプだ。僕が納得のいく回答をしない限り離してくれないだろう。これがまた面倒臭いのだ。もし万が一そうなれば、今日の読書は諦めるより他はない。だからどうにか納得してくれるような仮説を考え出すしかない。だが、この情報の量ではどうしても足りない……。
<br> その間、僕は思案した。瞳は、気になり出すと解決するまで止まらない猪突猛進タイプだ。納得のいく回答をしない限り離してくれないだろう。これがまた面倒臭いのだ。もし万が一そうなれば、今日の読書は諦めるより他ない。だからどうにか納得してくれるような仮説を考え出すしかない。だが、この情報の量ではどうしても足りない……。
<br>「なあ、瞳。他に何か気になることはなかった?」  
<br>「なあ、瞳。他に何か気になることはなかった?」  
<br> 彼女はいつのまにか、祐介が出したバームクーヘンを口いっぱいに頬張っていた。何とか飲み込んで答えた。  
<br> 彼女はいつのまにか、祐介が出したバームクーヘンを口いっぱいに頬張っていた。何とか飲み込んで答えた。  
161行目: 161行目:
<br>「あっ、そうそう。由紀ね。部活用の鞄を持って、制服で向かったのに、なぜかジャージに着替えて帰ってきたんだ。どうしてかな〜とは思ったけど、理由は聞かなかったなぁ」
<br>「あっ、そうそう。由紀ね。部活用の鞄を持って、制服で向かったのに、なぜかジャージに着替えて帰ってきたんだ。どうしてかな〜とは思ったけど、理由は聞かなかったなぁ」
<br> ほうほう。なかなか難解になって来たぞ。関係があるかどうかはわからないけど、置いといて続きを聞くか。  
<br> ほうほう。なかなか難解になって来たぞ。関係があるかどうかはわからないけど、置いといて続きを聞くか。  
<br>「それからはまた、普通に午後の授業を受けて、帰りの会が終わった。そしたらね、その瞬間に私の前に来て、『ごめん。今日は部活行けない』ってだけ言って、走って教室を出ていっちゃったの」
<br>「それからはまた、普通に午後の授業を受けて、帰りの会が終わった。そしたらね、その瞬間に私の前に来て、『ごめん。今日は部活行けない』ってだけ言って、走って教室を出ていっちゃった」
<br>「出ていったと言ったけど、由紀さんが帰った事はしっかり確認したの?」  
<br>「出ていったと言ったけど、由紀さんが帰った事はしっかり確認したの?」  
<br>「うん。窓から校門に走って帰ってく由紀を見たの」  
<br>「うん。窓から校門に走って帰ってく由紀を見たの」  
187行目: 187行目:
<br> そうだった。こいつはこういう奴だ。  
<br> そうだった。こいつはこういう奴だ。  
<br>「それで、どうだったんだ? その時の由紀さんの様子は」  
<br>「それで、どうだったんだ? その時の由紀さんの様子は」  
<br>「青崎は俺とクラスが一緒だからな、普通なら二人で西棟に行けば良かったんだが。俺は職員棟に用があったからそこに寄ってから西棟の第二生徒会室へ向かったんだ。そこで昼休みに会計の仕事をするはずだった」
<br>「青崎は俺とクラスが一緒だからな、普通なら二人で西棟に行けば良かったんだが。俺は職員棟に用があったからそこに寄ってから西棟の生徒会室へ向かったんだ。そこで昼休みに会計の仕事をするはずだった」
<br>「はず? やらなかったのか?」  
<br>「はず? やらなかったのか?」  
<br>「ああ、そうだ。実はこの作業、会計係の俺と青崎、二人でやる仕事だったんだ。しかし、青崎が来なくてね。結局一人でやる事になったから、終わらせる事ができなかった」  
<br>「ああ、そうだ。実はこの作業、会計係の俺と青崎、二人でやる仕事だったんだ。しかし、青崎が来なくてね。結局一人でやる事になったから、終わらせる事ができなかった」  
204行目: 204行目:
<br>「それは違うよ! 確かに勉強も運動もすごく出来るけど……。まあ、コータは由紀のことあんまり知らないものね。由紀も人とはあんまり関わらないタイプだし、誤解されてるのかなぁ……」
<br>「それは違うよ! 確かに勉強も運動もすごく出来るけど……。まあ、コータは由紀のことあんまり知らないものね。由紀も人とはあんまり関わらないタイプだし、誤解されてるのかなぁ……」
<br> どうやら重大な僕は勘違いをしていたらしい。青崎由紀の人柄を、噂ばかりの情報で考えていた。これは完全な失態だ。初歩的な過ちを恥じる心と、これで解決に近づくかもしれないと期待する心、それぞれ半々の状態で瞳に聞く。  
<br> どうやら重大な僕は勘違いをしていたらしい。青崎由紀の人柄を、噂ばかりの情報で考えていた。これは完全な失態だ。初歩的な過ちを恥じる心と、これで解決に近づくかもしれないと期待する心、それぞれ半々の状態で瞳に聞く。  
<br>「じゃあ……由紀さんはどんな人なの?」
<br>「じゃあ由紀さんはどんな人なの?」
<br>「由紀はね。簡単に言うと真面目でかわいいドジっ子だよ」  
<br>「由紀はね。簡単に言うと真面目でかわいいドジっ子だよ」  
<br> 瞳は破顔した。  
<br> 瞳は破顔した。  
217行目: 217行目:
<br> 私は、幼馴染のコータのお遣いで、今生徒用玄関に向かっている。  
<br> 私は、幼馴染のコータのお遣いで、今生徒用玄関に向かっている。  
<br> お遣いの内容はこうだ。  
<br> お遣いの内容はこうだ。  
<br>『靴箱に行き、そして着いたらメールしてくれ。それから指示を出すよ』  
<br>『靴箱に行き、そして着いたらメールしてくれ。それから指示を出すよ。』  
<br> 最後の階段を駆け降り、玄関に着いた私は、早速スマホを取り出し、コータとのチャット欄に文字を打ち込んで送信した。  
<br> 最後の階段を駆け降り、玄関に着いた私は、早速スマホを取り出し、コータとのチャット欄に文字を打ち込んで送信した。  
<br>『靴箱着いたよ!私は何をしたらいいのかな?』  
<br>『靴箱着いたよ!私は何をしたらいいのかな?』  
236行目: 236行目:
<br> 私はそのメッセージを見ると急いで家庭科室へ駆け出した。  
<br> 私はそのメッセージを見ると急いで家庭科室へ駆け出した。  
<br> そう、早く乾かすには、テンパリングが大事なのだ。  
<br> そう、早く乾かすには、テンパリングが大事なのだ。  
<br> 全速力で家庭科室に着き、扉を開けるとジャージにエプロン姿の髪色の薄い少女が、所々にチョコレートを浴びながら、涙目でボウルに向き合っていた。彼女は扉が突然開いたことに驚き、ビクッとしてこちらを見た。  可愛いな。私はふふっと笑った。
<br> 全速力で家庭科室に着き、扉を開けるとジャージにエプロン姿の髪色の薄い少女が、所々にチョコレートを浴びながら、涙目でボウルに向き合っていた。彼女は扉が突然開いたことに驚き、ビクッとしてこちらを見た。不器用だけど一生懸命な彼女の姿に、私は思わず微笑んでしまう。
<br>「由紀。その混ぜ方だとダメだよ。乾くのに時間がかかって間に合わない」  
<br>「由紀。その混ぜ方だとダメだよ。乾くのに時間がかかって間に合わない」  
<br> 私は教卓に置かれていたエプロンを素早く着て、由紀に近づいていく。  
<br> 私は教卓に置かれていたエプロンを素早く着て、由紀に近づいていく。  
<br>「瞳ちゃん、助けて」  
<br>「瞳ちゃん、助けてくれる?」  
<br> 由紀が涙目で私に助けを求めてくる。彼女が混ぜるボウルの横には近くのスーパーの袋に入った複数枚の板チョコと、昼休みに壊してしまったであろう手作りのチョコレートが置いてある。手作りチョコの方は割れてしまうまでは綺麗なハート型だったのだろうが、今は無惨な形になってしまっている。でも……これなら。  
<br> 由紀が涙目で私に助けを求めてくる。彼女が混ぜるボウルの横には近くのスーパーの袋に入った複数枚の板チョコと、昼休みに壊してしまったであろう手作りのチョコレートが置いてある。手作りチョコの方は割れてしまうまでは綺麗なハート型だったのだろうが、今は無惨な形になってしまっている。でも……これなら。  
<br>「由紀、大丈夫。これなら間に合う。とびきり美味しいの作ろう!」  
<br>「由紀、大丈夫。これなら間に合う。とびきり美味しいの作ろう!」  
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<br> '''家に着くまで'''
<br> '''家に着くまで'''


<br> 僕は瞳を送り出した後、ミステリ映画の大まかな方向性について祐介と議論した。祐介はまるで瞳がここを訪れたことは忘れてしまったかのように、熱心に映画について話している。スマホを確認すると、瞳に最後に送ったメッセージには返信こそないが、しっかりと既読が付いている。これならもう心配することはないだろう。あとは瞳が上手くやってくれているはずだ。  
<br> 瞳を送り出した後、僕はミステリ映画の大まかな方向性について祐介と議論した。祐介はまるで瞳がここを訪れたことは忘れてしまったかのように、熱心に映画について話している。スマホを確認すると、瞳に最後に送ったメッセージには返信こそないが、しっかりと既読が付いている。これならもう心配することはないだろう。あとは瞳が上手くやってくれているはずだ。  
<br> その議論によって、最終的に今回の映画では“暗号解読”をメインテーマとして扱う事になった。僕は議論の流れから、『頭を使うのが好きな祐介のことだ、面白いものを作ってくるだろう』などと安易に考えていたが、どうやら祐介は脚本を書き、その根幹となる謎の作成は僕の担当らしい。やれやれ、また一つ仕事が増えてしまった。しかし、有吾さんの為だ。頑張ろう……。  
<br> その議論によって、最終的に今回の映画では『暗号解読』をメインテーマとして扱う事になった。僕は議論の流れから、『頭を使うのが好きな祐介のことだ、面白いものを作ってくるだろう』などと安易に考えていたが、どうやら祐介は脚本を書き、その根幹となる謎の作成は僕の担当らしい。やれやれ、また一つ仕事が増えてしまった。しかし、有吾さんの為だ。頑張ろう……。  
<br> 六時二十分を回った頃に、僕らは部室を後にした。職員棟に鍵を返却し、校門へ向かう。上手くいっていたのなら、きっと校門に二人が居るはずだ。しかし、校庭には彼女たちの姿は見当たらなかった。  
<br> 六時二十分を回った頃に、僕らは部室を後にした。職員棟に鍵を返却し、校門へ向かう。上手くいっていたのなら、きっと校門に二人が居るはずだ。しかし、校庭には彼女たちの姿は見当たらなかった。  
<br> 間に合わなかったのかな……。そう思いながら僕と祐介がちょうど校門を潜り、外へ出ようとしたら時だった。  
<br> 間に合わなかったのかな……。そう思いながら僕と祐介がちょうど校門を潜り、外へ出ようとしたら時だった。  
<br> 校舎の方から祐介を呼ぶ声が聞こえた。そう思うのと同時に髪色の薄い可憐な美少女がこちらは走ってくれではないか。  
<br> 校舎の方から祐介を呼ぶ声が聞こえた。そう思うのと同時に髪色の薄い可憐な少女がこちらは走って来るではないか。  
<br> 僕は途端にホッとした。良かった。間に合ったんだ。
<br> 僕は途端に安堵した。良かった。間に合ったんだ。
<br>「祐介くんっ!」  
<br>「祐介くんっ!」  
<br> 全速力で駆けてきた由紀さんは姿勢を正すと、聡明そうな瞳で祐介を見つめた。  
<br> 全速力で駆けてきた由紀さんは姿勢を正すと、聡明そうな瞳で祐介を見つめた。  
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<br>「ねえ、どうしてあの時点で全部わかったの?」  
<br>「ねえ、どうしてあの時点で全部わかったの?」  
<br> 通学路。粉のような雪が降りしきる中、真っ白な息を吐きながら瞳が聞いてくる。僕は少し考えてから答えた。  
<br> 通学路。粉のような雪が降りしきる中、真っ白な息を吐きながら瞳が聞いてくる。僕は少し考えてから答えた。  
<br>「瞳の話と祐介の話、それぞれ聞いて整理すると、まず最初に、由紀さんと祐介と二人きりの状況が生まれるはずだったことが分かる。そこでまず『バレンタインチョコをあげる』という可能性を考えたんだ。そして、西棟へ行くまでのに何らかの事件があって、生徒会活動ができなくなったんだ、って思ったんだ。他にもたくさん考えつく事はあるけど、情報がなかったから検証のしようがなかった。それにバレンタインデーに特別二人きりという状況において、そう考えるのが妥当だと思ったからね。でも、その時は上手に仮説を立てることができなかった。由紀さんが副生徒会室に行かなかったという事実と、ジャージ着替えていたという事実、それぞれにしっかりとした整合性を持った仮説が考えつかなかったんだ。でもそれは、僕が由紀さんの人柄について誤解していたからだったんだよ。瞳が由紀さんの人物像を教えて、僕の視野が狭窄してしまっていたのを気づかせてくれたおかげでこの謎は解決したんだ。由紀さんを瞳から聞いたような人であると考えることで、中庭を通って西棟に行くまでの間に転倒し、そのうえチョコを壊して制服を汚してしまった、という仮説を思いつくことができたんだ。それによって昼休みにジャージに着替えて生徒会活動を休み、そして放課後部活を休んで学校を出て行ってしまったことにそれぞれ納得のいく説明ができる」
<br>「瞳の話と祐介の話、それぞれ聞いて整理すると、まず最初に、由紀さんと祐介と二人きりの状況が生まれるはずだったことが分かる。そこでまず『バレンタインチョコをあげる』という可能性を考えたんだ。そして、西棟へ行くまでのに何らかの事件があって、生徒会活動ができなくなったんだ、って思ったんだ。他にもたくさん考えつく事はあるけど、情報がなかったから検証のしようがなかった。それに、バレンタインデーに特別二人きりという状況において、そう考えるのが妥当だと思ったからね。でも、その時は上手に仮説を立てることができなかった。由紀さんが生徒会室に行かなかったという事実と、ジャージ着替えていたという事実、それぞれにしっかりとした整合性を持った仮説が考えつかなかったんだ。でもそれは、僕が由紀さんの人柄について誤解していたからだったんだよ。瞳が由紀さんの人物像を教えて、僕の視野が狭窄してしまっていたのを気づかせてくれたおかげでこの謎は解決したんだ。由紀さんを瞳から聞いたような人であると考えることで、中庭を通って西棟に行くまでの間に転倒し、そのうえチョコを壊して制服を汚してしまった、という仮説を思いつくことができたんだ。それによって昼休みにジャージに着替えて生徒会活動を休み、そして放課後部活を休んで学校を出て行ってしまったことにそれぞれ納得のいく説明ができる」
<br>「でも、なぜ転んじゃった事がわかったの? そんなのわからないんじゃない?」  
<br>「でも、なぜ転んじゃった事がわかったの? そんなのわからないんじゃない?」  
<br>「まあ、確かにそう言いきることはできないかもね。でも制服を全身ジャージに着替えるなんて全身が濡れてしまう事くらいしか考えつかないし、それに昼頃まで……」  
<br>「まあ、確かにそう言いきることはできないかもね。でも制服を全身ジャージに着替えるなんて全身が濡れてしまう事くらいしか考えつかないし、それに昼頃まで……」  
<br> あっと瞳が声を上げる。  
<br> あっと瞳が声を上げる。  
<br>「……確かに昼頃まで中庭には雪が残ってたわ」
<br>「……確か昼頃まで中庭には雪が残ってたわ」
<br>「そうなんだ。でも、これでも正しいと言いきる根拠には足り得ない。そこで靴箱を確認してもらったんだ。由紀さんが本当に学校へ戻ってきているかどうかと、その靴が、この僕が今履いてるスノーブーツとかじゃなく、滑り易い靴かどうかを、……例えばローファーとか、ね」
<br>「そうなんだ。でも、これでも正しいと言いきる根拠には足り得ない。そこで靴箱を確認してもらったんだ。由紀さんが本当に学校へ戻ってきているかどうかと、その靴が、この僕が今履いてるスノーブーツとかじゃなく、滑り易い靴かどうかを、……例えば、ローファーとかね」
<br>「そうなのね……。じゃあなぜ由紀が学校に戻ってきていることがわかったの? そう推測した理由、教えてよ」  
<br>「そうなのね……。じゃあなぜ由紀が学校に戻ってきていることがわかったの? そう推測した理由、教えてよ」  
<br> なんだ、そんなことは簡単だ。僕は横にいる瞳を見て言った。  
<br> なんだ、そんなことは簡単だ。僕は横にいる瞳を見て言った。  
<br>「由紀さんの家は学校から遠いって、瞳が言ったんだ。チョコレートは今日のうちに渡したいでしょ? だからだ」
<br>「由紀さんの家は学校から遠いって、瞳が言ったんだ。チョコレートは今日のうちに渡したいでしょ? だからだよ」
<br>「……そうなんだ。コータ、凄いね」  
<br>「……そうなんだ。コータ、凄いね」  
<br> 数秒の間をあけて瞳が感心したようにポツリと言った。そして、気づくと僕らは見慣れた場所にいた。夢中になって話しているうちに、家に着いたのだ。
<br> 数秒の間をあけて瞳が感心したようにポツリと言った。そして、気づくと僕らは見慣れた場所にいた。夢中になって話しているうちに、家に着いたのだ。
300行目: 300行目:
<br>「ねえ、話。もうひとつあるの」  
<br>「ねえ、話。もうひとつあるの」  
<br>「何?」  
<br>「何?」  
<br> 振り向くと、瞳はハイっと言ってチョコレートを手渡してきた。
<br> 振り向くと、瞳ははいっと言ってチョコレートを手渡してきた。
<br>「これ、あげる」  
<br>「これ、あげる」  
<br>「え? ありがとう」  
<br>「え? ありがとう」  
308行目: 308行目:
<br>「今日はありがとう。じゃあね。素敵なお返し、楽しみにしてるから」  
<br>「今日はありがとう。じゃあね。素敵なお返し、楽しみにしてるから」  
<br> そう言った瞳はくるりと振り向いてしまうと、足早に家に入っていってしまった。ガチャリとドアが閉まり彼女が視界から消えた後も僕はそこで呆然と立ち尽くして、しばらくの間、ひたすらに降り続ける雪を見ていた。  
<br> そう言った瞳はくるりと振り向いてしまうと、足早に家に入っていってしまった。ガチャリとドアが閉まり彼女が視界から消えた後も僕はそこで呆然と立ち尽くして、しばらくの間、ひたすらに降り続ける雪を見ていた。  
<br> そうしているうちに僕は、瞳が部活をサボって僕のところに来ていた理由が、なんとなくわかった気がした。そしてまた笑った。
<br> そうしているうちに僕は、瞳が部活をサボって僕のところに来ていた理由が、なんとなくわかった気がした。
<br> その日は家に帰っても、ページを捲る手は全く進まなかった。  
<br> その日は家に帰っても、ページを捲る手は全く進まなかった。  


314行目: 314行目:


<br> あの日、バレンタインデーから三日が経った土曜日。  
<br> あの日、バレンタインデーから三日が経った土曜日。  
<br> 瞳と由紀さんはバレーの大会で市民体育館へ赴いており、祐介も由紀さんの応援の為に同行しているそうだ。祐介はあの日から目に見えてデレデレしている。あれから毎日、映研に付き合わされているので、正直言って非常に不愉快である。   
<br> 瞳と由紀さんはバレーの大会で市民体育館へ赴いており、祐介も由紀さんの応援の為に同行しているそうだ。祐介はあの日から目に見えてデレデレしている。僕はあれから毎日映研に付き合わされているので、正直言って非常に不愉快である。   
<br> 映画制作の方は、今僕が有吾さんのためにせっせと映画の「謎」を考えている最中だ。これがなかなか楽しい作業でこれからは読書のようにはまってしまいそうだ。まだ脚本の状態で、一ヶ月後の締め切りに間に合うかどうかはわからないが、ベストを尽くそうと思う。久々に夢中になれることを見つけられた気がする。  
<br> 映画制作の方は、今僕が有吾さんのためにせっせと映画の「謎」を考えている最中だ。これがなかなか楽しい作業でこれからは読書のようにはまってしまいそうだ。まだ脚本の状態で、一ヶ月後の締め切りに間に合うかどうかはわからないが、ベストを尽くそうと思う。久々に夢中になれることを見つけられた気がする。  
<br> 一方瞳と僕はというもの、あれから何もない。正直どう接すればいいのか分からないのだ。自分には全く縁のない物だと思っていた世界に、たった一つのチョコで放り出されてしまったのだ。僕はまだ、自分の気持ちさえ掴めていない。まあ、これにも一ヶ月あまりの余裕がある。  
<br> 一方瞳と僕はというもの、あれから取り立てて言及すべきようなことは何もない。正直、どう接すればいいのか分からない。自分には全く縁のない物だと思っていた世界に、たった一つのチョコで放り出されてしまったのだ。僕はまだ、自分の気持ちさえ掴めていない。まあこれにも、一ヶ月あまりの余裕がある。  
<br> そう、僕のタイムリミットは約一カ月後、ホワイトデーのその日なのだ。  
<br> そう、僕のタイムリミットは約一カ月後、ホワイトデーのその日なのだ。
<br><br> だからそれまで、気長に考えようと思う。                    
<br><br> だからそれまで、気長に考えようと思う。                    
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