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== 脚注 == | この戦争も、第一次腸詰国間戦争と同じような、かつ数百倍にも及び規模の腸力戦となり、各陣営ともに莫大な被害を被った。 | ||
西暦829年、オーストロェイリア=ハングリー帝国はこのとき、かつての盟邦だったフランクファウラ帝国に宣戦を受け、ウィンナー=フランク戦争が始まった。 | |||
さらに、その2か月と9日後、カルプヮス帝国にも宣戦を受け、ウィンナー=カルパス戦争も開始した。これにより、オーストロェイリア=ハングリー帝国は、 | |||
西部オーストロェイリアと東部オーストロェイリアにおける広大な戦線を維持しなければならなくなった。 | |||
危機感を感じた同帝国は、腸詰機構陣営への参加を申請するも、先の大戦の賠償金の支払いを終えていないという理由から却下された。 | |||
これは、腸詰機構陣営による「捨て石作戦」の一環だったとみられている。 | |||
=====腸詰団結自衛条約===== | |||
行き詰ったオーストロェイリア=ハングリー帝国は、独自の陣営である腸詰自衛陣営を創立し、チョリェソ王国などを招待することで腸詰同盟陣営の逆包囲を図った。 | |||
[[ファイル:World_War_2_2.png|代替文=|左|フレームなし]] | |||
{| class="wikitable" | |||
|'''腸詰同盟陣営''':<span style="color:red">■</span> | |||
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|'''腸詰機構陣営''':<span style="color:apua">■</span> | |||
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|'''腸詰自衛陣営''':<span style="color:yellow">■</span> | |||
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==脚注== | |||
<references /> |
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