「アンモク共和国」の版間の差分
(ページの作成:「{{基礎情報 国 |日本語国名=アンモク共和国 |正式国名=The Republic of Angmogh |国旗ファイル名=アンモク共和国国旗.png{{!}}320x226px |国章ファイル名=アンモク共和国国章.png{{!}}169x226px |標語=雄弁は銀、沈黙は金、暗黙はプラチナと云えり。 |国歌=「主よ、我らは」 |国の位置ファイル名=アンモク共和国位置.jpeg |国の位置説明=国の位置。ただし南が上。 |公用…」) |
(相違点なし)
|
2年3月2日 (ヰ) 00:00時点における版
アンモク共和国 | |
The Republic of Angmogh | |
国の標語:雄弁は銀、沈黙は金、暗黙はプラチナと云えり。 | |
国歌:「主よ、我らは」 | |
公用語 | アンモク語 |
首都 | ヒュデロユイナ市 |
最大の都市 | ヒュデロユイナ市 |
政府 | |
元首等 | アガラップルリィヨ=ハフティクリ虚王 |
首相等 | 不在
(前首相ハヤカワは暗殺) |
面積 | |
総計 | 17.64㎢ |
水面積率 | 0.000% |
人口 | |
総計 | 42人 |
人口密度 | 0.42人/㎢ |
GDP(自国通貨表示) | |
合計 | 1764ハフリ |
一人当たり | 42ハフリ |
GDP(MER) | |
合計 | 2兆328億ドル |
一人当たり | 484億ドル |
GDP(PPP) | |
合計 | 1兆4809億ドル |
一人当たり | 352億6000万ドル |
建国 | 46億年前か |
通貨 | ANH (ハフリ) |
時間帯 | UTC+6~15 |
ISO 3361-1 | AH |
ccTLD | .ah |
国際電話番号 | 1764 |
アンモク共和国(アンモクきょうわこく、アンモク語: Republik Angmogh[† 1]、英語: The Republic of Angmogh、The Angmoghen Republic、Angmogh's Republic、ドイツ語: Republik Angmogh、管理者語: 亜武藻苦共和国、中国語: 俺孟共和国)とは、シズーカ州東部の一端の地帯・ピートロヘトにある共和制国家である。かつて「アンモク神国」と呼ばれた国家が起源である。本記事ではこの「アンモク神国」についても触れながら解説を進める。
概要
世界最古の国家・アンモク神国を前身とする、世界最古の共和制国家。共和国誕生の時からある「住民自治会議」を今でも守り続けるなど、伝統的な文化に対する保護意識が非常に高い。この性質は良く言えば保守的であり、悪く言えば保守的である。
人々はアンモク語を話す[語弊]。我々がその言語を学ぶことのできる機会は、本などの活字媒体においてのみである。[† 2]
その長い歴史と洗練された社会体制などにより、国民の100%が自国に誇りを持っている[1]。
非常に長いアンモク史にもかかわらず、内政外政を合わせて大きなトラブルが起こったのは一例のみであり、世界で最も政治の発達した国であると言われる。また、国民の自治意識はどの世代においても高く、その結果として2024年11月現在、成人した国民はみな政治家とであるとも言われている。
人類の知能発達の起源を探ることのできる資料が多く残っていることから、生物学や発達学研究の舞台として世界から注目されている。
名称
現地語では "Republik Angmogh[† 1]" である。日本語では "Angmogh" という文字列から推測される発音とドイツ語の "republik" の和訳とを合わせて「アンモク共和国」と呼ばれる。中国語に倣い、漢字表記は「俺孟共和国」で、略記は「俺国」である。
一般的には、「アンモク共和国」を上のような正式名称で呼ぶことはない。すなわち「共和国」にあたる部分を省略して、現地語でもドイツ語でも英語でも "Angmogh" のように表す。
日本語や中国語などでは原則「共和国」にあたる部分を省略せず、「アンモク共和国」「俺孟共和国」「俺国」のように表すのが普通である。ただし「歴史区分その他を超越した『アンモク』という概念一般であることを表したい場合[† 3]」「アンモク共和国の土地について言う場合[† 4]」「『アンモク共和国』という言葉そのものを、第四モーラ[† 5]まで言いかけてやめた、ということを描写したい場合[† 6]」を除く。
"Angmogh" という名称の由来は定かでない。ただ、このアルファベット表記も、そこから推測される発音も、実際にはドイツ人が民族的能力で「見出した」ものに過ぎないため、"Angmogh" という綴り及び発音に由来は無いと説明されることも多い。[† 7]
歴史
アンモクの偉大な歴史について説明するために通例使われる歴史区分は以下の通りである。
- 神話時代 - 「オー神(オーかみ)」という唯一神の兄弟[矛盾]が宇宙を支配していた時代。
- 建国時代 - 神話時代と神国時代の間にある、兄弟が「アンモク神国」建国のための行動を取っていた時代。
- 神国時代 - アンモクが「アンモク神国」という名の立憲君主制の国家であった時代。
- 共和国時代 - アンモクが「アンモク共和国」という名の共和制の国家である時代。現代もこの時代に当てはまる。
神話時代
アンモク国において神話時代とは、第一次宇宙消失以前の時代から、「アンモク神国」の建国の意思が示された時期までを指す時代区分である。
絶対神「オー神」
古来、絶対かつ唯一の神にオー神(オーかみ)兄弟という二人の兄弟がいた[矛盾]。兄のルピルラス=ハフティクリ(Lujirathas-Hafgjuyki)と、弟のティナディヨ=ハフティクリ(Innaghdjo-Hafgjuyki)である。当時、生命ある存在といえば兄弟の他には無かったため、兄弟は真に兄弟自身で暮らしていた。
兄弟は可愛らしいすがたをしていた。うす茶色の毛、すらりとした肢、短い耳に長い尻尾、大きくて重い頭などが特徴的であったが、その中でも特筆すべきは、その速い足と鋭い歯である。狩りの際の走るスピードは最高時速70キロメートルにもなり、捕まえた獲物はいとも簡単に、全部で42本ある歯を使って豪快に食いちぎる。このように、兄弟はとても可愛らしいすがたをしていた。[矛盾]
兄弟はそれぞれ寛大[† 8]でとても仲が良く、喧嘩なども滅多にしなかった。彼らが喧嘩したのは、ティナディヨのバタートーストをルビルラスが横取りしようとした時のみである(なお、このルビルラスの目論見は失敗に終わった。ティナディヨのバタートーストを釣り竿で釣り上げようと試みたのだが、引っ掛け方を間違えて「聖なる床」に落としてしまったためである[† 9])。
宇宙狭小化現象とゲブクス会議
ある段階で、宇宙は日に日に狭くなっていた(=宇宙狭小化現象)。したがって兄弟は頭を悩ませていた。「さて宇宙をどうしようか」、口を開くと出てくる言葉はそればかりであった。すでに42もの解決案が出ていた。しかし案の多いことは必ずしも良いことではない。最終的に実行する案を、一つに決めなければならないからである。互いに鋭い歯を軋らせながら話し合い、考えに考え、兄弟は計画を以下の三つまで絞った。
- 使用人を雇い、宇宙のいちばん外側の方に配置し、手で外向きに力を加えさせることで収縮を食い止めるという案
- 宇宙の真ん中で「アノ呪文」を唱え続けることで収縮の力の向きを反転させ、逆に膨張させてしまうという案
- もはや諦めてしまうという案
しかし、あろうことか兄弟は、ここへ来て怠け始めたのだ。「もう三つに決まったのだ」と言い、休息を欲したのである。
そうしておよそ12年が過ぎた頃、ティナディヨはふいに叫んだ。
「やっべ」
この叫びを端緒として兄弟は、この重大な話し合いにふたたび取り掛かる決意をした。とはいえ、今まで通りやるのではまたすぐに怠けてしまうだろう。よって兄弟は新しい手段を探さなければならなかった。難しい話である。兄弟は困った。そのうえ、どれほど困っていようが、兄弟は神頼みをすることさえ許されなかった。皮肉なことに、自身らが神だったからである。
新しい手段はなかなか見つからなかった。兄弟にとって探し物とは、原始そういうものであった。兄弟は二人とも部屋が汚く、少なくとも探し物をする環境ではなかった為である。
それから28日が経ち、ついに兄弟は一つの手段を見つけ出した[† 10]。ルビルラスはこの手段をひょいと持ち上げ、目前でよく観察してからこう言い放った。
「なるほどぼくたちの仲が良すぎるのがいけないようだ。そうかそうか、たしかに話し合いにおいては他人として接するべきだ。かつよそよそしく、かつ礼儀正しく」
彼らは見つかった新しい手段に従って静粛に話し合いを始めた。これがゲブクス会議[† 11]である。
兄弟はこの思いつきを得て仕事に取り掛かったのだが、三つのうちのどの案も、非常に魅力的に思えるものだった。そのため兄弟は実に42ヶ月の月日を費やして頭を悩ませ、そしてようやく二つの自明な真理に気づいた。
- (その当時は)宇宙の収縮を抑えこむことのできる者はいないため、そのような仕事をする使用人を雇うことは不可能である。
- 「アノ呪文」の話は幼少の頃、祖父・ボレクシュナット(Bodghchjuenagjtt-Hafgjuyki)から聞かされたものだが、よく考えてみればその内容も文言も知らないので、そのような呪文を唱えることは不可能である。
この気づき[† 12]によって兄弟は決意を固めた。すなわち消去法で、
- もはや諦めてしまう。
を選んだのであった。
第一次宇宙消失
兄弟の選択により、当時の宇宙狭小化現象がついに止まることはなかった。宇宙はすさまじいスピードで狭まっていき、ついに「ただの一点」[† 13]となった。これを宇宙消失(第一次宇宙消失)と呼ぶ。[† 14]
再興
第一次宇宙消失の6.481秒後、宇宙は膨張を始めた。宇宙は再び形づくられ、すべては元の通りとなった。これを再興という。 再興の後、兄弟は何事もなかったかのように息を吹き返し、勢いそのまま「アンモク神国」の建国を始めた。
建国時代
アンモク共和国において建国時代とは、「アンモク神国」の建国に係る具体的な手続きがなされた時期を指す時代区分である。約15年ほど。
兄弟は「再興」のあと、「アンモク神国」の建国を決意し、実行に移した。
建国準備期
誰が決めたわけでもないが、国が国であるためには以下の三要素が必須とされた。[† 15]
- 一定の面積を持った領地
- その領地に住む住民
- その住民を代表する政府
兄弟は、これらの要素を順に創造していった。
1. 領地の宣言 |
15年の建国時代のほとんどは、領地を置く場所の決定に費やされた。
兄弟にとって領地とは、全宇宙を指し得たのだが、それを宣言するのはあまりにもナンセンスだと考えた。やはり特定の土地を指して領地とするのがよい、としたのである。 「ではどこを領地としようか?[† 16]」と言って兄弟は、宇宙のあらゆる場所を調査した。兄弟の結論は、地球という惑星のシズーカ州の東端にある、「紫なる山」に囲まれた部分「ピートロヘト」が我々の領地としてふさわしい、というものであった。 理由はただ一つ。兄弟は「その惑星の他の土地には昇る『オヒサマ[† 17]』が、唯一昇らない」「その惑星の他の土地からは沈む『オヒサマ』が、唯一沈まない」という条件に当てはまる土地を探していたのである。最初に兄弟が見つけたのは南極や北極であったが、以下の理由で決定は見送られた。
他方、次に兄弟が見つけた地、ピートロヘトは実に完璧であった。すなわち、
をすべて備えていたのである。 ――ヒジュダス『損益とアンモク人』挿話「彼らの領地獲得における哲学的課題を示す第四挿話――これも氷山の一角に過ぎないのだ」より |
2. 住民の創造 |
宇宙最強の神にとって、ヒトを創り出すことなど造作もないことだった。わずか7秒で47人の人間を創り、次の7秒で6人を殺害した。これをもってアンモク神国に人類が誕生した。
――英シンボル社公式サイト「企業概覧」より |
3. 政府の決定 |
政権の在り処をどこにすべきか――この3番目の問題は、より簡単なものであった。政府にだれを置くかなど、わざわざ議論するものではなかった。
アンモク神国には兄弟がいる。このことに疑う余地は無い。誰が何と言おうと、そのとき兄弟は存在していた。明らかに存在していた。存在していたのである。何度でも言わせていただく。兄弟は存在していた。兄弟は、どのような議論を運ぼうと、疑念の隙の微塵もなしに、事象の点在を繋ぎとめる規則と華麗な因縁とによって、また断々乎とした支持と心ある正義とによって、あるいは稀有なる奇跡と明瞭なるレゾンデートルとによって、確かに、まさしく、断じて、必ず存在していた。 これを根拠にして、「政府は兄弟が務めればよい」という決定が、不自然なほど自然に下されたのであった。 ――ヒジュダス『レゾンデートルとアンモク神国』第238章「アンモッシュ思想信条の根源」より、一部改変 |
このようにして建国時代は終わりを迎えた。世界最初の国家、アンモク神国が誕生したのである。
神国時代
アンモクの偉大な歴史のうち、最初の6時間は兄弟によって成り立っていた。この時代を神国時代という。アンモク神国は、神が絶対的地位に君臨し、なおかつその権力が近代的な法律によって制限された、立憲君主制の国である。
アンモク神国は#ナチュラライゲン化によって、創立から6時間で事実上崩壊し、共和制国家になった。
共和国時代
アンモク神国誕生の6時間後、場所を同じくして「アンモク共和国」が誕生した。これは現在のものとほぼ同一の国家である。アンモク共和国が出来てから消滅するまでの時代を共和国時代という[† 18]。
ナチュラライゲン化現象
「アンモク神国」が共和制の国家になり「アンモク共和国」に変化したこと、またその瞬間を、ナチュラライゲン化現象またはナテュラライゲン化現象という。
前述したが、アンモク神国はわずか6時間で壊れてしまった。実はアンモク神国には当初から不穏な空気があったのである。具体的にどのような空気だったのかははっきりしていない(ただし、首都ヒュデロユイナ市から2209キロメートル離れたところにある洞窟で、「アンモク神国の不穏な空気」とのラベルが貼られた缶詰が発見されたという。現在ドイツの研究者チームによって分析が進められており、新たな発見が期待されている。[2])。少なくとも、その不穏な空気によってナチュラライゲン化現象は起こったのである。
同現象の起こりは次のようなものである。神国時代、兄弟神の連立皇帝就任式の日、兄弟は二人とも体調を崩して欠席してしまった。これを受けて住民41人の97%、すなわち39.77人が「彼らは不信任である」してデモを始めた。けが人が出るほどのデモである。狭い場所を好む国民性がある彼らはわざわざ狭い道を選んでデモ行進をしたのだが、その圧迫感に気を失った男、声を張り上げすぎて貧血症状が出た女、デモの参加者に勢い余って杖を蹴飛ばされ、どこかに行ってしまったので帰れなくなった老人、騒ぎに紛れてポケットに入っていたクッキーが割れてしまって喚く子供、冬眠から覚めたら何やらめんどくさいことになっていたので二度寝を決意したモグラ……これらのように、このデモは多くの犠牲者を生んだという。
そしてこの騒動を受けて兄弟は「んね、これどうする?」「まあ良いんじゃない?」等、厳粛な話し合いのもとにその権力を住民に明け渡すことにしたのである[3]。一般に「ナチュラライゲン化」と言った場合、この瞬間のことを指すことが多い。
ちなみに、このときに出来た住民自治会議(ウズ・ユハーゲル)によってすぐにシハヤタ会議[† 19]が開かれ、「やはり彼女じゃないか」「うむ、彼女こそふさわしい」「そうだ、どう考えても彼女が適任だ」等、厳粛な話し合いのもとに新しい代表として選ばれたのがレイシゴ・ハヤカワである[† 20]。なお、この「住民自治会議」は当時からほとんど変化の無い状態で現在も残っている。
言語の表記法の誕生
住民自治会議によってシハヤタ会議が開かれた直後、人々が気付いたことがあった。議会には議事録が無くてはならないということである。人々はすでに共和国式アンモク語(現代アンモク語)を話していたが、言語を表記するための文字が無いことについては古アンモク語と同様であった。仕事の早い彼らは早速、自分たちが持っている音素を満遍なく表すことができるような、以下のアンモク語アルファベットを編み出した。アンモク語アルファベットは、ラテンアルファベットの起源の一つとなった。
アンモク語アルファベットが出来たことで、議事録を作ることがようやく可能になった。例えば、以下は住民自治会議第五の会議の議事録である。
エドワードによる侵略
時代は移って1313年、アンモク共和国は、エドワード(Oedvort、ファミリーネームなし、1288年8月12日 - 1352年12月31日)という外国人に侵略を受けた。
エドワードは旅人だった。服装や持ち物、あるいは生への執念やフットワークの軽さなどは他の旅人と何ら変わりはなかったのだが、唯一決定的な違いがあった。思想である。彼は「アンモク共和国の存在は本来的に邪悪である。征服できるものなら征服して、正義に導いてやりたい」というようなことを普段から平気で考えていた。その思想に自ら危険意識tを持っていた彼は、アンモク共和国のあるピートロヘトには足を踏み入れないよう、厳重に注意していた。
普通の旅人生活を送っていたエドワードだが、彼の25歳の誕生日、すなわち1313年8月12日、友人のサプライズで目隠しをされ、ピートロヘトに作られたパーティー会場[† 21]に連れてこられてしまう。目隠しは会場に着いてから室内で外されたため、しばらくはその地がピートロヘトであることは意識されなかった。しかし、会話の流れでエドワードにそれが明かされると、不意に立ち上がり[† 22]、会場を飛び出して、アンモク共和国の議事堂まで突っ走り、議事堂の庭から木の枝をせっせとかき集め、持っていた3つの百円ライターで火をつけ、建物にそれを投げ込んで放火した。議事堂は59日かけて全焼し、そのときの気温マイナス8度は、アンモク中を震え上がらせた。
ほどなくしてエドワードは議事堂の跡地にもう一度議事堂を作り、議員を自分のみにしてほぼ思い通りの議決を出したり[† 23]、人々を集めて何度か演説をしたりした。この独裁は、1352年に彼が死ぬまで続いた。
39年間にも及んだこの独裁体制下での出来事のうち最も印象的なのは、恐らく1329年の41アパーラ令発布・施行である。41の「アパーラ」(エドワードの国の言語で「してはならないこと」の意)を定めた法令で、この体制においては強力な拘束力を持つものとされた。違反者は死刑が原則だった。ただ、アンモク共和国で正義を実現するためとも、あるいは独裁者として堂々と私欲を満たすためとも思えない、いわば「中途半端な」規則が目立つ。具体的には、以下の事項が禁止された。
|
この法令の施行直後、エドワードは行政に法務部を設置し、自ら長官となった。[† 32]
部下が一人も居なかったのにもかかわらず、業務は甚だ楽であった。アンモク共和国が当時から人口の少なかったこともあってか、41アパーラ令違反は2年か3年に一度くらいしか発生しなかったからである。
41アパーラ令の第3、4、27条は「老人三法」と総称されていたが、幸か不幸か、人々は老人に危害を加えてばかりいたので、法務部の仕事はほとんど老人三法に関するものに限定されていた[† 33]。エドワードは幼いころから目の前の人間が老人に危害を加えたかどうかを判別する能力に長けていたようだが、さらに法務部長官として経験を積むことでその技量は上達し、業務はより迅速に、より容易になっていった。
41アパーラ令施行からおよそ23年後の1352年12月30日、エドワードは、机の引き出しに枕を7つ入れていた529歳の女性を第30条を根拠に逮捕・処刑した。その日の晩、眠りにつく直前に彼が気づいたこととは、自分が老人を殺してしまったということである。律儀で愚鈍なエドワードは翌日の正午ごろ、第27条を根拠に自らを逮捕し、絞首刑の代わりとして服毒自殺した。
彼が自殺したことはその日のうちに国民全員に知れ渡り、人々は前議長のミトシ・ハヤカワを議長に再任させ、これがエドワード独裁体制の事実上の崩壊となった。
独裁体制のその後
エドワード独裁体制崩壊の翌月13日、議長をミトシ・ハヤカワとする住民自治会議は、侵略の再発防止のための特別決を出した。その骨子は以下の通りである。
- 現時点においてアンモク共和国国籍を持たない国内滞在者及びその国内不動産は、1352年2月15日をもって退去及び撤去させる。退去または撤去しないものは、事由を問わず、同年同月20日をもって処分するものとする。
- 原則として、アンモク共和国国籍を持たないいかなる個人及び法人も、1352年1月14日より本国領内に入ってはならない。
- アンモク共和国国籍を持たない個人または法人は、住民自治会議から特別の入国許可を受ける場合においてのみ、本国領内に入ることができるものとする。
地理
虚構の内容が含まれている可能性があります。1129年現在、このような国は存在していません。 |
チリ共和国(チリきょうわこく、スペイン語: República de Chile)、通称チリは、南アメリカ大陸南西部に位置する共和制国家である。
国土はアンデス山脈西側で南北に細長く、東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと隣接する。
西は南太平洋、南はフエゴ島を挟んでドレーク海峡に面している。首都はサンティアゴ。
地理
塵とは、「ジン」などの音読み、「ちり」や「ごみ」、「ウィキペディア」などの訓読みを持つ漢字である。部首の「土」に「鹿」を合わせて、鹿の群れが走って土埃が立つさまを表した、会意文字。一般的にはほこりや微小な砂などの、目に見えないくらいの大きさの粒子を指す。
1627年に出版された吉田光由の素晴らしい書『塵劫記』もこの字を含むことから、最も注目が集まる漢字の一つである。
地理
シズ―カ州のピートロヘトという地帯全域に位置している[4]。気候は温暖湿潤及び寒冷乾燥で、様々な作物がよく育つ。[† 34]
周りをすべて紫なる山に囲まれているため、地震、津波、豪雨、落雷などの自然災害は起きたことが無い。
政治
アンモク共和国のすべての成人は政治家であるといわれる。ただしアンモク共和国において成人とは、41歳以上の者を指す[5]。
文化
アンモク文化概要
アンモク文化については、数少ないアンモク文化研究の成果による経験値から、以下のようなことが言われている。
- 独自の神話を信仰し、珍しい種類の言語を話すなど、特異な文化が数多く存在する。世界のどの国家よりも飛び抜けて早く誕生した国家であり、また山に囲まれた場所に位置するため、他文化に影響を受ける前にさまざまな文化が定着したとの推測に基づく。
- 自国のビザや滞在許可証を滅多に発行しないなど、外部からの人をあまり受け入れない。かつてアンモク共和国に訪れた旅人によって少しばかり面倒くさい経験(#エドワードによる侵略)をしたことが原因だとされる。これについては、次節#外国との交流も参照されたい。
外国との交流
アンモク共和国の外交における最大の特徴は、他国を受け付けないことにある(#エドワードによる侵略節も参照)。この傾向は以下の事例にもみられる。
- 1353年以降アンモク共和国に入国できた外国人はほとんどいない。[† 35]
- 市輸庁という国家機関が外国人に滞在許可証を出す仕組みは存在するが、実行されたことは一度もない。
- 外国人差別思想の普及率がここ724年間ずっと100%である。[6][† 36]
容易に想像できるように、アンモク共和国と一度も交易をしたことがない他国も多い。アンモクという名前すら知らない他国の若者も多い。これがアンモクの外交の現状であるが、解決に向けた動きは特に無い。
衣食住
衣生活
通常の衣生活は日本での状況とさほど変わりは無いが、儀礼の際は「カデュエス」という六角形の衣服を纏う。通気性は悪いが、最も拍手がしやすい形状となっている。
食生活
古来より、ファストフードと呼ばれる味の薄い手軽な食事が親しまれている。この文化は、アメリカなどにおけるファストフードとは起源も品目も異なる。
住生活
この節の加筆が望まれています。
宗教
オー神教
アンモク共和国では、オー神教と呼ばれる、アンモク神話信仰を中心とする宗教が存在する。
言語
詳細は「アンモク語」を参照
アンモク共和国では、アンモク語という言語が話されている。「アンモク語」という呼称の由来は定かでないが、アンモク共和国で話されていることから来ているのではないかと言われている。一見するともっともらしい説だが、断定するにはまだ不十分であり、慎重な議論が求められている。
アンモク語は、神国時代に兄弟が使っていた「天啓語[† 37]」または「大アンモク語」が、一般に広まって、あるいは一般に広めるために変化したものである。
いわゆる膠着語である。ただし、語順によって強調などの意味が厳格に決定されるため語順の自由度が低く、また、基本語順がSVOであるなど、他の膠着語とは類型的に異なる側面もある。
娯楽・芸能
この節は存在しません。
学問
政治学
人口がわずか47人のアンモク共和国は、政治家にとって「直感的に」政策を進めても大きな失敗に繋がらず、また政治を受ける側にとっても現在行われている政策がクリアに見え、その意図も分かりやすい、という環境があることから、政治学の分野に興味を持つ者は皆無である。それでもアンモクは、神国時代から外内政両方において平静が保たれており、さほど問題は無いように思われる。
しかし、アンモク人の政治学修学を求める議論があることも確かである。たとえば「文明国に『学ばれざる学問』があるのはいただけない」「外部者の口出しを拒む性質のあるアンモクでは、政治が倫理上誤った方向に一度でも進めば、人権が大きく阻害される危険がある」といった指摘は、もはや伝統的にと言えるほど大昔からなされているものである。また最近[いつ?]の例では、「アンモク共和国は確かな権威をもった国であるはずなのに、例えば国の現地語正式名称が未だに "Republik Angmogh" である[† 38]など、彼らは自覚に欠けているといえる。これを解消するには、政治学を修めて正式国名の決定法の要を覚え、独自の名称を定めるほかに道はなかろう」というヒジュダスの指摘もある。
脚注
注釈
- ↑ 1.0 1.1 この "Angmogh" はドイツ語としての "Angmogh" ではなく、あくまで「現地語の表記法が無いためにドイツ式の表記法を借用したにすぎない」ことに注意されたい。詳細は「アンモク語#独釈」を参照せよ。
- ↑ アンモク語はアンモクの言語であって、すなわち我々はその音声を体験することはできない。アンモク語が我々の前に姿を示す唯一の場所は活字媒体で、しかもアンモク語#独釈によるものである。
- ↑ 「アンモク民族」「アンモク語」「アンモクは本質的に素晴らしい国だ」などがこれにあたる。
- ↑ 「アンモクは面積広く人口少なし」などがこれにあたる。
- ↑ シラビーム方言では第三モーラである。
- ↑ (小説で)「『アンモク……、じゃなくてイラン・イスラム共和国だよ』と彼女はやや焦った様子だった。」などがこれにあたる。
- ↑ アンモク語#独釈も参照。
- ↑ 寛政大学とは異なる。
- ↑ このとき、パンがバターの付いた面を下にして落ちたことは宇宙の基礎定数として確定し、今日では「マーフィーの法則」との呼称で知られる。
- ↑ 絶対に無いと思っていたはずの引き出しから見つかったという。
- ↑ 「ゲブクス」とは古アンモク語で「1にまつわるもの」。従って「ゲブクス会議」は「最初に開かれた会議」の意味。
- ↑ これは世のあらゆる気づきのなかで最初のものであるため、現在では"o-ugrhvett' Fjdsughrk"「偉大なる気づき」と呼ばれ讃えられている。
- ↑ 「特異点」とも。
- ↑ ちなみに、大した事件ではない。
- ↑ この決まりは現在の国際法にもおおよそ引き継がれている。
- ↑ なお、これは世界で最も有名な問いである。
- ↑ 日本語の「太陽」とほぼ同義。
- ↑ もちろんアンモク共和国は現存するが、歴史学会によって「消滅した際には違う時代区分名で呼ぼう」ということが決まっているため、このような書き方をした。
- ↑ 「シハヤタ」とは古アンモク語で「2にまつわるもの」。従って「シハヤタ会議」は「(ゲブクスに次いで)二回目に開かれた会議」という意味。
- ↑ 議事録は存在しないが、どのアンモク人に聞いても必ず「シハヤタ会議が最初に選んだ代表はレイシゴ・ハヤカワで、そのときの会議は厳粛に行われた」と返答されるので、恐らくそうなのだろう。
- ↑ 現在と違い、当時は外国人が勝手に領内に入って自由に経済活動をすることが許された。
- ↑ このとき、あまり勢いよく立ち上がったため、座っていた椅子は後方に吹き飛んで大破した。
- ↑ 「ほぼ」としたのは、国民に円周率314桁の暗記を強制させる旨の法案を1314年1月5日午前9時に可決するという洒落たことをやりたかったのに、当日に風邪をひいて議会を欠席してしまうなどの出来事があったためである。
- ↑ この規則によって人々の発話頻度は20分の1に減少した。
- ↑ エドワードはこの規則を字義以上に厳しく施行し、「兄弟」という言葉さえ使用禁止にした。
- ↑ 26.0 26.1 26.2 彼は自分のことを名前で呼んでいたようである。
- ↑ この「国歌」が古来からのアンモク共和国国歌を指さない可能性は高いが、エドワードが独自の国歌を作った痕跡は見つかっていない。
- ↑ この規則は理不尽な規則の代表格として知られた。人々はこれを皮肉って、「たとえ何一つ間違いのない行為でも、それが面倒を招くのなら慎みなさい」の意味で「スモモの下で冠を直すな」と言ったりした。これが「李下に冠を正さず」ということわざの由来である。
- ↑ 暴力を助長する恐れがあるためであったと考えられる。
- ↑ 「アーベーツェーデーエーエフゲー ハーイーヨットカーエレメノペー クーエルエスウントテーウーファオ ヴェーイクスユプシロンツェットエスツェット」となり、英語版には存在する脚韻が損なわれるためであったと考えられる。
- ↑ どうやらトンボのプライバシーを守るためらしい。
- ↑ それ以前から住民自治会議の管轄として同名の機関があったが、この法務部とは全く異なる。
- ↑ このことから、当時の法務部は「老人法務」と呼ばれていた。
- ↑ イネ、コムギ、トウモロコシ、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、ヨシ、イ、オモダカ、ヒツジグサ、ハチス、カワホネ、サギソウ、アカザ、イノコヅチ、ヒユ、スベリヒユ、シロツメクサ、ヒメジョオン、ツユクサ、ハギ、ススキ、フジバカマ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、キキョウ、ネギ、ハクサイ、ダイコン、シュンギク、ホウレンソウ、キャベツ、レタス、コマツナ、コマツナなど。
- ↑ なお、佐内竜之介が1418年、小鳥に変身して3時間ほど領空内を飛び回った記録がある。もちろん違法である。
- ↑ 2024年現在、ほとんどのアンモク共和国国民は外国人を見たことがないと思われる。
- ↑ 「天啓」とは神から人間に伝えられる言葉のことであるが、神国時代において兄弟が人間に何かを語ったわけではない。にもかかわらず兄弟の言語がこう呼ばれるのは、それがしばしば、現在のアンモク語文法、ひいては自然言語が共有する性質について知るためのヒントとなるからである。
- ↑ "Angmogh" という綴りは独釈であり、また "Republik" は「共和国」を意味するドイツ語である。このことはしばしば、「最古の歴史を誇るアンモクともあろうものが、愚国ドイツの言語を拝借している」と揶揄される(この議論は学術的には支持されていない)。
出典
- ↑ ハッピーランドヘルスセカンド社によって2024年1月に実施されたアンケート "Do you admire your country the best?" より。
- ↑ WikiWikiオンラインニュース「アンモク神国の不穏な空気、ついに発見か」(7月21日)より。
- ↑ アンモク議事録第一号「山の輝く夏にて 兄弟」より。
- ↑ 神話より。
- ↑ 大いなる民法より。
- ↑ ハッピーランドヘルスセカンド社によって毎年1月に実施されているアンケート "Do you admire your country the best?" より。