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僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。 | 僕らはいよいよ、壁にあるドアに目を向けた。この部屋には、僕が起きてすぐ見つけたものとは別に、もう一つドアがある。こちらは高さも普通でレバーもついている。権田によれば、その奥にはまた別の部屋があったらしい。まず、僕らはそのドアの奥を調べることにした。謎のドアを後回しにしたのは、閉じ込められているという事実に向き合うのを、遅らせたかっただけかもしれなかったが。 | ||
<br> | <br> 普通のドアのところへ行き、レバーを下ろして引き開ける。滑らかで、何の変哲もない挙動。そこは、小さな部屋だった。何もない、ただの空間。その向こうには、同じようなドアがまたある。戸惑いながらも、部屋を渡ってそのドアを開ける。今度は向こうへと開いた。 | ||
<br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。 | <br> ドアの向こうは、今までより天井がぐっと低くなっていた。とはいえ、2メートル半くらいだから、普通の高さなのだが。どうやら、廊下のようだった。僕が先頭を切り、その後を権田が続く。 | ||
<br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。 | <br> 細長い廊下の中途。左右に向かい合うようにしてドアがあり、突き当たりにもう一つドアがある。僕は廊下を進み、右にあるドアを押し開いた。 | ||
112行目: | 112行目: | ||
廊下に出ると、風呂のドアが開いた音を聞きつけたのか、権田が小部屋から手招きしていた。小部屋を通り抜けるときは緊張したが、今度は何ともなく通過できた。着替えの服に鉄が織り込まれているようなことはないようだ。 | 廊下に出ると、風呂のドアが開いた音を聞きつけたのか、権田が小部屋から手招きしていた。小部屋を通り抜けるときは緊張したが、今度は何ともなく通過できた。着替えの服に鉄が織り込まれているようなことはないようだ。 | ||
<br> | <br> 最初の部屋に戻ると、権田はベッドの上に胡座をかいた。僕は固辞したが、結局権田の薦めを断れず、ベッドの反対端に向かい合って座る。 | ||
<br>「佐藤、状況の把握は終わった。だから、次は検討に移ろう」 | <br>「佐藤、状況の把握は終わった。だから、次は検討に移ろう」 | ||
<br>「検討、というと?」 | <br>「検討、というと?」 | ||
127行目: | 127行目: | ||
<br>「ドア以外のルート、たとえば壁や天井を破るというのも、あまり現実的な方法じゃないからな」 | <br>「ドア以外のルート、たとえば壁や天井を破るというのも、あまり現実的な方法じゃないからな」 | ||
<br>「換気口や排水溝はどうです?」 | <br>「換気口や排水溝はどうです?」 | ||
<br> | <br>「人が通るのはまず無理だな。他の何か、たとえばメッセージを書いた物を排水溝に流す、とかはどうだろう」 | ||
<br>「自分で提案しておいてなんですが、厳しいでしょうね。水道管に詰まらないサイズの物となると、だいぶ限られてきます。そもそもメッセージを書く筆記具なんて無いですし。服の切れ端とかの遺留品を流しても、見つかってここが特定される蓋然性はほぼゼロでしょう」 | <br>「自分で提案しておいてなんですが、厳しいでしょうね。水道管に詰まらないサイズの物となると、だいぶ限られてきます。そもそもメッセージを書く筆記具なんて無いですし。服の切れ端とかの遺留品を流しても、見つかってここが特定される蓋然性はほぼゼロでしょう」 | ||
<br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」 | <br>「なら、やはり脱出ルートはあのドアに限られるか」 | ||
139行目: | 139行目: | ||
<br> 次だ。ジャンプが駄目なら、地に足をつけてボタンに手を届かせればいい。 | <br> 次だ。ジャンプが駄目なら、地に足をつけてボタンに手を届かせればいい。 | ||
<br>「僕の両手に先輩の両足を乗せて、ウエイトリフティングみたく持ち上げる。そうすれば、4メートルくらいには達するんですけどね。幸い筋トレと練習をする時間はありそうですし」 | <br>「僕の両手に先輩の両足を乗せて、ウエイトリフティングみたく持ち上げる。そうすれば、4メートルくらいには達するんですけどね。幸い筋トレと練習をする時間はありそうですし」 | ||
<br> | <br>「あと、たった1メートルなんだがな……。まず浮かぶのは、踏み台を用意することだよな」 | ||
<br>「ええ。でも……」 | <br>「ええ。でも……」 | ||
<br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに難渋していない。 | <br> 1メートルの足場。それが簡単に用意できれば、今こんなふうに難渋していない。 | ||
179行目: | 179行目: | ||
<br> 棒作戦も、難しい。他の方法を考えてみよう。 | <br> 棒作戦も、難しい。他の方法を考えてみよう。 | ||
<br>「うーん……何かを投げてボタンを押すってのはどうです?」 | <br>「うーん……何かを投げてボタンを押すってのはどうです?」 | ||
<br> | <br>「順にボタンに当てるのは難易度が高すぎる。それに、プラスチックカバーがネックだ。あれを上げないとボタンを押せない」 | ||
<br>「真下から何かをぶつけてカバーを上げて、さらにタイミングよくボタンに物をぶつけるんです」 | <br>「真下から何かをぶつけてカバーを上げて、さらにタイミングよくボタンに物をぶつけるんです」 | ||
<br>「野球のピッチャーも真っ青な計画だな。食料が尽きる前に成功すればいいな」 | <br>「野球のピッチャーも真っ青な計画だな。食料が尽きる前に成功すればいいな」 | ||
199行目: | 199行目: | ||
<br>「……そうか、くそっ」 | <br>「……そうか、くそっ」 | ||
<br>「電力を落とせば、鍵を開けられなくなる可能性がある。そうなれば、今度こそ一生脱出不可です」 | <br>「電力を落とせば、鍵を開けられなくなる可能性がある。そうなれば、今度こそ一生脱出不可です」 | ||
<br> | <br>「だが、ドアの鍵ってのは大切な機関だから、配線を別にしているんじゃないか? いやそもそも、あのドアが電子ロックなら、電力を落とせばロックは解除されるかもしれない」 | ||
<br>「先輩は、リスクを考慮した上で、その可能性にベットできますか?」 | <br>「先輩は、リスクを考慮した上で、その可能性にベットできますか?」 | ||
<br> しばらく悩んだ後、 | <br> しばらく悩んだ後、 | ||
<br>「いや、無理だな」 | <br>「いや、無理だな」 | ||
<br> | <br> と権田は力なく言った。思ったより深く消沈しているので、慌てて僕は言葉を継ぐ。 | ||
<br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」 | <br>「でも、アイデア自体はとても良かったですよ! 今までにない発想でしたし、もっと考えてみましょう!」 | ||
<br>「はは……フォローありがとな、佐藤」 | <br>「はは……フォローありがとな、佐藤」 | ||
249行目: | 249行目: | ||
<br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。 | <br> 疑問の奔流はとどまるところを知らず、このままだと到底眠れそうになかったので、僕は必死に気を逸らせた。 | ||
<br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。 | <br> いつもなら、勤務を終えて寮に帰っている頃だろうか。いかんせん時計が無いため、今何時なのか全くわからない。ひょっとしたら、体内時計を狂わせるタイプの実験かもしれない。建物の構造や鍵の掛け方に疑問は残るが。 | ||
<br> | <br> つらつらと思惟していると、連想は連想を呼び、だんだんと気分が落ち着いてきた。全く無関係なことを考えていると、ゆっくりと眠気に侵食されていく。もうしばらくすれば眠れる。そう思って意識を再び思索に飛ばした、その時だった。 | ||
はっとした。まさか。 | はっとした。まさか。 | ||
286行目: | 286行目: | ||
<br>「ここから脱出する方法が、一つだけあるんです。奴らは、{{傍点|文章=僕らにその唯一の手段を取ってほしい}}んです」 | <br>「ここから脱出する方法が、一つだけあるんです。奴らは、{{傍点|文章=僕らにその唯一の手段を取ってほしい}}んです」 | ||
<br>「その、唯一の脱出方法ってのは、一体何なんだ?」 | <br>「その、唯一の脱出方法ってのは、一体何なんだ?」 | ||
<br> | <br> 権田の性急な問いを無視して、外堀を埋めていく。叶うなら、僕が口に出す前に、権田に気づいてほしい。僕が言わんとしている、残酷な真実に。 | ||
<br>「さっき、なぜ奴らは僕らにしばらく生きていてほしいのか、と言いましたね? その答えは、脱出には時間がかかるからです。1年、いや3年、もっとかかるかもしれない。その間僕らを生かすために、生きられると判断させて僕らにその脱出方法を取らせるために、これだけの設備を用意したんです」 | <br>「さっき、なぜ奴らは僕らにしばらく生きていてほしいのか、と言いましたね? その答えは、脱出には時間がかかるからです。1年、いや3年、もっとかかるかもしれない。その間僕らを生かすために、生きられると判断させて僕らにその脱出方法を取らせるために、これだけの設備を用意したんです」 | ||
<br>「その方法ってのは、何なんだ……?」 | <br>「その方法ってのは、何なんだ……?」 | ||
298行目: | 298行目: | ||
<br> きっと権田を睨むと、本気で戸惑っている顔が薄闇の中に浮かんでいた。思わず顔を伏せた。 | <br> きっと権田を睨むと、本気で戸惑っている顔が薄闇の中に浮かんでいた。思わず顔を伏せた。 | ||
<br>「……ごめんなさい。先輩にあたってもどうにもならないのに」 | <br>「……ごめんなさい。先輩にあたってもどうにもならないのに」 | ||
<br> | <br> 暗くてよかった。今の、今からの自分の顔を権田に見せる勇気は、僕にはない。 | ||
<br>「僕ら二人の体だけでは、テンキーには届きません」 | <br>「僕ら二人の体だけでは、テンキーには届きません」 | ||
<br>「そうだな」 | <br>「そうだな」 | ||
320行目: | 320行目: | ||
<br> 権田の整った顔が赤く染まったのが、闇の中でも見えた。思わず僕は権田の両肩を掴んで、マットレスに押し倒す。ボブカットの黒髪がふわりとシーツに広がり、ぱっちりした両眼が驚きに揺れる。いくら鍛え上げているとはいえ女の細腕では、同じく警察官の僕を押し退けることはできない。僕は、権田の腰にまたがった。マットレスが軋み、薄着の下の乳房が魅力的に揺れる。 | <br> 権田の整った顔が赤く染まったのが、闇の中でも見えた。思わず僕は権田の両肩を掴んで、マットレスに押し倒す。ボブカットの黒髪がふわりとシーツに広がり、ぱっちりした両眼が驚きに揺れる。いくら鍛え上げているとはいえ女の細腕では、同じく警察官の僕を押し退けることはできない。僕は、権田の腰にまたがった。マットレスが軋み、薄着の下の乳房が魅力的に揺れる。 | ||
<br>「これが、脱出する唯一の方法なんです。……先輩、いいですか?」 | <br>「これが、脱出する唯一の方法なんです。……先輩、いいですか?」 | ||
<br> | <br> ほのかな灯りの下、権田の目の奥が、微かに揺らいだ。 |
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