Sisters:WikiWiki麻薬草子

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WIKIWIKI TRIPILLOW BOOK

WikiWiki麻薬草子へようこそ
草子.jpeg

 WikiWiki麻薬草子は常習者どものイカれた随筆文です

選りすぐりの項目をあなたと


WikiWiki麻薬草子はあなたの命を救うために作られました。
あなたはよく、

「常習者のこの発言、めっちゃ面白い…!」

「いろんな形容詞に沿ったものを集めてみたいな!」

「湧き上がるこの気持ち、抑えられないよ!!」

「でも共有する場が無い…記事にするほどのことじゃないし…」

「この感覚を皆に紹介できないなんて、自分は生きてる価値ないよ…」

などと独り言を口にします。そしてこのままでは本当に死んでしまうでしょう。

しかし、この偉大な「ものづくし」を含む随筆集を使えば、そのような心配は無くなります――ここには、あらゆる系統立てられた物事が独立して掲載され得る環境があるのですから。

WikiWiki麻薬草子はあなたの命を救うために作られました。


箴言しいもの
常習者の輝かしい箴言。
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「あつめてはやしモガミガワ」

ケツアゴコロロによってヨーグレキ制定が1分足らずで可決されたとき、せうゆがWikiWiki同好会で発した一言。WikiWiki1周年記念コンテストのお題候補にもなった。

早いということを松尾芭蕉の1句に準えるワードセンスと、「最上川」という固有名詞を半角カタカナで表記する抜群のデザイン性が光っている。

「あゝfuckin''''」

誤字が判明したときにキュアラプラプが発した言葉。WikiWiki1周年記念コンテストのお題候補にもなった。

心に浮かんだ狂おしい気持ちを、「あゝ」という古日本語と「fuckin'」という現代英語、通常ならあり得ない組み合わせで表現している。更に幾つも重ねられた'が、激情を効果的に且つ端的に表している。彼の当意即妙の会話センスがピリピリと感じられる素晴らしい一言だ。

「危険思想者とも手を取り合って共栄するのがWikiWikiのゴルバ良いことチョフ〜」

ケツアゴコロロが過激な発言[1]をした際、が発した言葉。WikiWiki1周年記念コンテストのお題候補にはなってない。

「ゴルバ」で「良いこと」を修飾するという謎行為と同時に「チョフ」をあえてパージ[2]し、そしてそれを波ダッシュと共に文末に持ってくることによって異常なまでの滑稽さを演出するという、超絶技巧の天下の名文である。

「俺は公序良俗側の人間じゃない」

キュアラプラプの「公序良俗書けよ」という要求を受けてが発した言葉。WikiWiki1周年記念コンテストのお題候補にはなってない。

常習者間において、「公序良俗」という語は暗黙の内に「公序良俗に反する記事」を意味するのだが、特にこれへの拒絶において、冷静に考えるとすごい反社会的である発言が生じてしまうという事態がこの箴言により浮き彫りとなった。

「迷ったら二番目に安いものを買え」

Notoriousの母が発したとされる言葉。管理者がどのハードディスクを買うかについて同好会で迷ってるとき、Notoriousが母の言葉として紹介した。

Notoriousの家族は頭がおかしいことで知られており、たとえば姉はピカチュウ教小籠包神曲の原案を、父は宝塚過激団の原案を提供し、そして弟は言わずもがな常習者である。しかし母はほとんど登場せず[3]、そのためこの箴言がNoto母の代名詞として君臨しているのだ。

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ほしいもの
常習者のほしいもの。
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ほしいもの一覧については「ほしいものリスト」をご覧ください。

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麻薬しいもの
麻薬であるもの。
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麻薬

麻薬

麻薬

麻薬

麻薬

麻薬

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四季
日本の宝。
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春はヨーグルト。やうやう発展していくヨーグルト。

夏はヨーグルト。月の頃はさらなり。

秋はヨーグルト。夕日のさしてヨーグルトいと素晴らしうなりたる。

冬はヨーグルト。雪の降りたるは言うべきにもあらず。

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第1回伝説の記事選考 推薦文
第1回伝説の記事選考で寄せられた、熱烈な賑やかし。
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推薦者Notorious 推薦記事キュアラプラプピロリ語
推薦文

 私Notoriousは、キュアラプラプ作「ピロリ語」を伝説の記事に推薦させて頂きます。
 まずこの記事の特徴と言えば、長い。なんと2年3月2日午後3時23分(JST)時点で、驚異の103103バイト。最初の6桁バイト記事であり、同じく6桁バイトでもほぼ表で構成されている「将棋」「寿司」とは一線を画す存在であることは間違いありません。百聞は一見に如かない記事やバイトテロではないのに、この長さ。同様のアンモク共和国が49120バイトであることを考えると、そのすごさがよく分かります。アンモクの2倍超えですよ? 「長い記事を書いたろ!」と思ったことのある人なら、すごさが身にしみて感じられるはずです。だって「二・零零事件」あんなに書いたのにピロリ語の3分の1にも遠く及ばないんだよ?
 私は、長い記事には作者のその記事に対する情熱が現れていると思っています(バイトテロは除く)。なぜなら、そうでないと完成させきれないからです。そのため私は「ピロリ語」にキュアラプラプ氏のかけた情熱は並々ならぬものであったろうと思っています。しかし、それはバイト数云々を論じなくても自明のことですよね。なんといったって、一個人が「言語」を作っているんですから。彼はピロリ語作成にあたって、言語学や音韻学の膨大な知識を身につけ、言語体系の確立に挑んでいます。それに一体どれだけの情熱が、このプロジェクトへの愛が要るのか、私には想像もつきません。しかも、キュアラプラプ氏が「ピロリ語」完成後も細かい編集を繰り返して完成度を上げていることが、履歴を見れば分かります。彼の知識の深化とともに、ピロリ語は進化を続けているのです。
 さらに、基本的なことになるのですが、表などが見やすく、高等技能が多く使われています。私のような初心者は、表のような複雑なソースを見ただけで足が竦んでしまいます。でも彼の培った高い技術と持ち前のデザインセンスが、「ピロリ語」を分かりやすくスタイリッシュに仕上げているのです。彼の底力の強さが、「ピロリ語」の魅力を支えていると私は感じました。実力のある人が本気を出せば、それはすごい作品となるに決まっています。
 しかし、あなたはこう言うかもしれない。「『ピロリ語』には、ユーモアが足りないんじゃないか」と。確かにWikiWikiにはたくさんの面白い記事、笑える記事があります。それらのおかげで我々常習者は楽しい楽しい思いをさせてもらっています。ですが「ピロリ語」は、読者を笑わせようとする記事ではない。というかキュアラプラプ本人しか内容を完全に理解している人はいないでしょう。それだけ、「ピロリ語」は難解で学術的です。ひたすら内に籠もっているようにも思えます。しかし、それこそ「ピロリ語」の魅力ではないでしょうか。他の誰にも理解されないとしても、仕組みを考え、名称を捻り出し、リアリティを追い求め、辻褄を合わせ、莫大な量の文を書く。鬼気迫るようなこの狂気、それさえもまたこの記事の外せない構成要素だと思うのです。
 これがもし「一番笑える記事決定戦」だったら、私は「ピロリ語」を選ばなかったでしょう。でも、これは「伝説の記事」を選ぶ催しです。圧倒的な長さ、かけられた情熱、高い完成度、垣間見える狂気。それらが合わさった「ピロリ語」こそが、「伝説」の称号に相応しいのではないでしょうか。

推薦者キュアラプラプ 推薦記事Notorious二・零零事件
推薦文

※この推薦文にはネタバレが含まれています。まだ当該記事をお読みになっていない方は、先にそちらをお読みください。
 私キュアラプラプは、Notorious作「二・零零事件」を伝説の記事に推薦させて頂きます。
 たいへんありがたいことに、実に多種多様で麻薬にまみれた記事を読ませていただけるという恵まれた環境に私は恵まれています。その数多の記事の中で、私が最も衝撃を受け、そして心を大きく動かされたものこそ、この「二・零零事件」なのです。この記事と夕張市の執筆者が同一人物だなんて思い難いほどに。('
 まず、この記事は『近代日本最悪の殺人事件』についての記述という形で進行していきます。ここで私が目にすることになったのが、彼の圧倒的な語彙力、知識、文章力、そして表現力です。「はすかい」とかいう多分ここで出会わなければ一生知らないままだったであろう言葉が出てくるし、すごく詳しくトリアージの過程が綴られてるし、びっくりするくらい文章も読みやすいし、これらによって生じる『少年』の凶行のリアリティや、よく知った場所であることを差し引いてもなお強くある臨場感は、さながらラリってるときの幻覚のようです。ただ、この記事はこれだけでは終わりません。実際、ここまでの評価は同作者の記事「比尾山大噴火」や「シンジツノクチ」にもおおむね当てはまります。「二・零零事件」がこれらと一線を画す理由、これが、脚注の下の白い空間をスクロールしたその先にある真実節にて、常習者たちを待ち構えているのです。
 ビビりました。私はものすごくビビりました。読み返してみると、確かに『少年』がおかしくなったのは社会のテストが終わったころ辺りでした。『あいつは、人間じゃない。人間の皮をかぶった鬼だったんだ。』―――この記事から文章を引用し、Notorious氏のことを形容させていただきます。まさしく鬼才。令和3年(に)00号のあらゆる謎が、この『白いTシャツの希少性を上げる』というごく単純な動機の下にすべて解決されるという化け物じみた文章構成力には脱帽です。というかそもそも、白いTシャツの希少性をどうやって上げるかという問いに対して『母数を減らせばいい』という解答が浮かぶ時点で、彼は人類にとって脅威であるといっても過言ではないでしょう。はい。('
 さらに、真実節におけるその「真実」の記述は、もはや芸術ですらあります。『少年の声』『周囲の声』『少年の心の声』を並べ、時系列順に書き起こし、これによってその全てを同時かつ円滑かつ写実的に描写する。この神業は、もう既に述べるまでもないことですが、やはり常人の域を脱しており、ここWikiWikiにおいて「悪名高さ」は「素晴らしさ」を意味し始めています。
 このように、えげつないクオリティと狂気を孕む、Notorious氏の麻薬にまみれた記事「二・零零事件」はまさに「伝説」であり、「伝説の記事」という評価を受けることが充分に値するものであるといえるでしょう。

ⒸWikiWiki叢書


記事のオチ
Notorious
記事案を練っているときに思ったこと。
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 私は記事の構想を練る日々の中で、記事のオチには大きく分けて2種類あるのではないかと思った。

 その種類を綴る前に、オチとは何か、今私がどう捉えているかを書こうと思う。まず、真面目な記事にオチは存在しない。例えば、東方project 作品一覧館シリーズのようなものだ。このような記事は、読者を笑わせたりアッと言わせたりしたいという意図はないからである。それを踏まえて聞いてもらうと、オチとは「何が書きたくてこの記事を書いたか」であると私は考える。記事の発想の中核とも言えるだろう。例えばピカチュウ教の場合、私は「ピカチュウを崇める宗教書きたいな」と思ったからこの記事を書いた。だからピカチュウ教のオチは、「ピカチュウを崇める宗教」という点である。では本題に戻り、私が考えるオチの分類の話に入ろうと思う。

 1つ目は、記事の始めにあるオチだ。先ほど挙げたピカチュウ教はこれに当たる。なぜなら、読者は「ピカチュウ教」という題名、遅くても概要節では「ピカチュウを崇める宗教」というオチに気づくからである。要するにこのタイプは、記事を読み始めてすぐにオチがわかるものということだ。カテゴリ:自己言及の記事など、これの最たる例だろう。記事のオチの多くがこのタイプだ。私達は日常で記事案を思いつくとき、平常の思考から少しずれた発想を得ることで、それを面白さに昇華させている。発想が日常に根ざしている以上、オチが日常から大きく離れることはあたわないのだ。そこは今から述べるもう一つのタイプのオチとの違いである。

 2つ目は、記事の終わりにあるオチだ。物語のように、結末のカタルシスを求めたタイプである。拙作をまた例に挙げさせてもらえば、二・零零事件がそうだ。あれは真実節のアイデアが書きたくて書いた記事である。同様の真実節がある記事はこのタイプが多いだろう。また、うんたらかんたらちょめちょめじがくちょうなど、キュアラプラプ氏の記事に多いイメージがある。

 もちろん、この2つに分類できない記事もある。トートロジーひつまぶしのように最初も最後も同じようなものや、ポインコ記憶力がよくなるドリンクのように全編クライマックスな感じのものもある。さらに、食パンのように、2つのタイプが融合した記事もある。この点でこの記事は特に優れていると言えよう。また、前者ではあるが、並々ならぬ文章量と情熱によって後者と比肩する重厚な物語の風格を備えた記事もある。オーストロェイリアなどだ。それはともかく、私の分類の仕方は大まかに伝わったと信じている。

 では、どちらのタイプがよりいいだろうか。読者に深い感動や驚きを与えるなら、後者のタイプが断然向いているだろう。物語のラストに受ける衝撃というものは、唯一無二の存在だ。しかし一方、前者にも代え難い魅力があることは事実。平凡な事柄が見方を変えることによって全く違う様相を見せる記事群には、作者のセンスが色濃く反映される。他の人の記事の題名を読んで、なぜこの発想が浮かばなかったんだと歯がみすることも多々あるが、それも一興だ。また、物語を書きたいならWikiWikiオンラインノベルがあるが、前者のタイプのオチを書くには記事にするしかない。

 どちらが優れているかと言われると、平凡な結論になってしまうが、好みによるだろう。私はどうしても最後の一撃フィニッシング・ストロークというものが好きだから、後者のオチを叶うならば読みたいし書きたい。着想はなかなか降りてきてくれないのだが。でも、自らが面白いと思うオチを考えてみることは、新記事の構想に繋がるのではないかと思う。

 さて、あなたはどんなオチの記事がお好きだろうか?

ⒸWikiWiki叢書


なんか疲れたという話
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 疲れました。もう疲れました。あまりにも疲れてるので疲れた理由をわかりやすく説明する気すら起きません。はあ。あのね、私はね、スライドの内容を1枚ずつ入力するとそれをまとめてスライドショーにしてくれる、というテンプレートが作りたかった。そのためにはどうすればよいのか。ちょっと考えました。そして思いついたんです。まず最初は1枚目のスライドを display:block にし、それ以外のスライドは display:none にしておく。2秒くらい経ったら、1枚目を display:none に、2枚目のスライドを display:block に切り替え、それ以外のスライドは display:none のままにしておく。もう2秒したら、display:block になっているスライドを display:none に、その次のスライドを display:block にする。これを繰り返せばゴルバよいのではないかチョフ~。

 思いついたんならとっとと書けよ(' ――そんな、キュアラプラプの声が聞こえてきそうです。ん? 余談ですが、古語には「早く」を意味する副詞「とく」がありますね。もしかして、「とく」と「とっとと」との間には何か関係があるのでしょうか? いいえ、ただ思いついただけです。何も調べちゃいません。だってそんな気力はどこにもないもの。……閑話休題あだしごとはさておきつ、「書け」と言われるまでもなく、私は書いたんです。ためしに「テンプレート:スライドショー」のソースをご覧なさい。次に「テンプレート:スライドショー/style.css」のソースをご覧なさい。上で述べたことを忠実に再現しているでしょう。なのに何ですか、この状況は。これを見てみろ。ソースから期待される通りでは9枚のスライドが出来るはずなのに、画面には何も表示されていないじゃないか。なぜ動かないのかしらん。

 私はこのテンプレートをしばらく触らないでしょう。原因を究明・解決するどころか、ソースを読む気にさえなれないからです。疲れた話もこの辺で終わりにしましょうか。……「貴様が疲れたなどというどうでもよい話をするのにわりあい紙幅を割いたくせに、こっちには単に『テンプレ作ったけど動かなかったくてだるい』くらいのことしか伝わってこなかったぞ。文章そのものも不安定で読みにくいし、貴様はもう麻薬草子に投稿するな」ですって? ふん、これが疲れた人の文章なんですよ。覚えとけ。

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創作言語、作りたくね?
キュアラプラプ
作りたいよね?
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あなた、言語を創作したいと思ってますね?ええ、分かってますよ。人間とは常に創作言語の創作を欲するものです。

しかし、創作言語に敷居の高さを感じている常習者も多いでしょう。そこで、オリジナル言語の創作における大まかな流れをまとめてみました。

なお、これは言語学にわかであるキュアラプラプ個人の経験等に基づく見解であり、誤りを含む可能性があるので、怖い人に指摘されたりするかもしれませんが、勘弁してください('


まず、言語を創作する上で最初にしたほうがいいこととして挙げられるのは、その言語の「話者の設定」を決めることです。

架空の言語には、架空の話者が存在しなければなりません。そして、日本文化と日本語が切り離せないのと同じように、その架空の話者たちの文化を考えておくと、言語の創作は捗ります。

例えば「ピロリ語」では、話者がピロリ菌であるというものが大きな柱となっており、文法や語彙、表現にもこれが影響していますね。また、「開いた口が塞がらない語」(これを言語とできるかどうかは怪しいが)では、結果的とはいえ話者が平和的であるという理屈が生じています。


話者の特徴や文化をある程度定められたら、次は音韻・文字体系を考えてみましょう。

「音韻」とは、言語において用いられる音のことです。ここでは、実際に発声される音である「単音」と、その言語において一つの音と認められる単音の範囲である「音素」を定めましょう。

例えば、日本語の音韻「ら」は、音素/r/と/a/によって成り立っています。そして音素/r/は、[ɾ](無声歯茎はじき音)や[ɖ](有声そり舌破裂音)、[l](歯茎側面接近音)など、いくつかの単音によって発声されます。

音素の創作は、いわば範囲の決定であるため自由度が高いですが、単音に関しては既に確立され広く認められている体系が存在しているため、無理に再発明せずIPAにあやかりましょう('


音韻が出来たら、文字に取り掛かりましょう。文字の区分には実に様々なものがありますが、ここでは分かりやすいように「音メイン」と「意味メイン」に分けて説明します。

音メインの文字は、ひらがなやカタカナ、ラテン文字(所謂アルファベット)などが一般的です。これにも大きく分けて「音素文字」と「音節文字」が存在し、

それぞれラテン文字のように個々の音素に対応した文字の体系、そしてひらがなやカタカナのように(これには例外があるが)音素のまとまりである「音節」の個々に対応した文字の体系を指します。

実際の文字媒体では、これらを繋げ合わせて語を作り、それをつなぎ合わせて文を作ることになりますね。

一方、意味メインの文字には、漢字やヒエログリフなどがあります。「表語文字」である漢字は、一つの語が一つの字で表されます。例えば、「犬」は「犬」ですね。

また、「表意文字」であるヒエログリフは、一つの意味が一つの字で表されます。このように、文字を創作する上では、文中のどこで一文字の区切りをつけるかが重要になります。

効率面においては、少ない種類の文字を組み合わせて多くの意味を示すことができる音メインの文字が優れていますが、

意味メインの文字は音に縛られにくく、意味を単独でも持てるため造語しやすいことから、ジャパニーズマンガの厨二ルビ振りKANJI技名のようなロマンがあります('

『ONE PIECE』より引用

音韻や文字を創作できたら、次はいよいよ文法です。

まず、言語には「文法範疇」というものがあります。これは、言語に備わっている、「複雑な何かを意味する」ための機能と言っていいでしょう。たぶん。('

例えば、あなたが単語しか使えない状態だとして、「ジョンに数学を教えていたのは私だ。すぐに泡を吹いて倒れてしまったけどね。」ということを言わなければならないとき、相当苦労しますよね。

まあとりあえず、物は試しです。やってみましょう。「ジョン 数学 教える 私」… ううん、これだとジョンが私に数学を教えているみたいですね。

じゃあ、「私 ジョン 教える 数学」にすれば… とまあ、このような感じで文法は生みだされます。

ここでは、文法範疇の一つである、文中でのその語の役割を表す「格」を、語順によって示そうとしていましたね。この方法をとる言語は「孤立語」に分類されます。

また、「屈折語」という分類もあります。これでは、その語を「曲用」、つまり形を変化させることで格を表示させます。なお、日本語は「に」等の「接辞」によって格を表示する「膠着語」です。

他にも、文中の一節「教えていた」に着目すると、ここには二つの文法範疇が入っています。一つは「時制」、もう一つは「相」です。

時制には聞きなじみがありますね。これは述べられている事柄の時間的なことを表します。一方、相はその動作の時間的な分布を表し、「進行相」や「完了相」などがあります。

日本の英語教育では、例えば「現在進行形」「過去完了形」のように時制と相は一緒くたに扱われますが、実はこれらは異なる文法範疇なのです。

そしてこれらは、一般的に動詞を「活用」、つまり形を変化させて表示します。このため、「教えていた」は「教える」が活用して、過去時制と進行相が表示された動詞だといえます。

文法範疇には、他にも話者の心理的な態度を表す「法」や、動作の視点を表す「態」、動作の起点について表す「人称」、語のカテゴリーである「性」など、様々なものがあります。

なお、その文法範疇の表示にも、曲用や活用のような語形変化をはじめ、語順の変更や助動詞の使用など、いくつかの方法が存在しています。いい感じになるように頑張りましょう。('


文法で表す事柄、またその表し方を決めたら、次は品詞分類や、文の成分の分類などをしてみましょう。

言語学において、文における構成要素は小さい順に「単音→音素→形態素→語→句→節→文」となっており、品詞は「語」、文の成分は「句」の、機能的な分類にあたります。

品詞には、一般的に名詞や動詞、形容詞、冠詞、接続詞、間投詞などが、文の成分には、一般的に主語や述語、目的語、補語、修飾語、独立語などが存在します。

ちなみに、日本語における品詞分類は、実際には意味を持つ最小のかたまりである「形態素」にまで達しているっぽいです。

この分類を行うことで、あなたの言語の概観を再認識し、その構造や体系を見直す足掛かりにできるばかりか、愉悦に浸ることだってできます。


さて、ここまできたら、あなたの創作言語は完成したようなものです。

これからは、単語を増やしてみたり、文法をいい感じに改良したり、はたまたその言語の通時的な変化を考えてみたりして、自分の言語を楽しみましょう。

身の回りのさまざまな言語の文を、手当たり次第に翻訳しまくると、勝手に単語が増えるし、問題点も見つかるので、是非。

あと、いろいろと詳しく知りたければ、寛大な心でペヂァの言語学関連ページをめっちゃ読め('

ⒸWikiWiki叢書


おすすめの本紹介という名の戦場
Notorious
推理小説の布教。興味がないというのであれば読まなくても全く構いません。
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まえがき

ねえ、おすすめの本なんか無い?

あなたもこう問われたことがあるのではないだろうか? そんな時あなたはどうするだろう? 最近読んで面白かった本を紹介する? それとも心にこれ1冊と決めている本がある?

私の場合、行動理念はたった一つ。「本格ミステリを布教すること」に全力を注ぐ。なぜなら、同趣味の人が私の交友関係の中に一人もいないからである!!

だから、私はその人に合ったミステリを紹介したい。もし気に入られなければ、その人はミステリから遠ざかってしまうかもしれない! それはできるだけ避けたい。

しかし、会話において熟考している暇などない。焦って結局は最近読んで印象に残っている本を安易に言ってしまうのがオチだ。

そこで、ここに分野別であらかじめリストアップしておけば、会話中であっても、適切な本を紹介できるのではないかと思い、今文を連ねているのである。

では参る。もしこの文を読んでいるあなたの琴線に触れるものがあれば、是非読んでみてほしい。

本をあまり読まない人向け

まずこんな人に本を薦めること自体難事ではある。ミステリなど尚更だ。しかし私は諦めぬ。ライトなミステリに絞れば、沼にはまってくれるかもしれない!

米澤穂信〈古典部〉シリーズ
「氷菓」から始まるシリーズ。学園もので年齢が近くて読みやすい。アニメも大ヒットし、漫画化、実写映画化もされているくらいだから、面白さは折り紙付きである。あらすじはざっと言うと、「省エネな男子高校生が、古典部の仲間に振り回されつつ、いやいや謎を解いていく」といった感じ。きっと「クドリャフカの順番」まで来たらもう引き返せないはず。「ふたりの距離の概算」と、「遠まわりする雛」所収の『心あたりのある者は』は一読の価値どころか三、四くらいはいけると思う。
石持浅海〈座間味くん〉シリーズの短編集
既刊は「心臓と左手」「玩具店の英雄」「パレードの明暗」「新しい世界で」の4冊。ただ私は恥ずかしながら前3作しか読んでないんですけれども。短編集だからするする読めるし、どれもレベルが高い。もし気に入れば、長編の「月の扉」と、同作者の「扉は閉ざされたまま」も是非に。
アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」
名作、これに尽きる。私は「古いし、オチも知ってるし~」となめてたら想像よりずっと面白くて、読後に作者に土下座したくなりました。あと、アガサ・クリスティーの「ABC殺人事件」「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」は、オチが公然の秘密のようになっているので、もしあなたが幸運にも未だトリックや結末を知らないというのであれば、ネタバレを食らわないよう可及的速やかにお読みいただくことを強くおすすめします。

ミステリをあまり読んだことのない人向け

このような人には、ミステリの醍醐味を知ってもらいたい。

綾辻行人「十角館の殺人」
多くの若者をミステリ沼にひきずり込んだ不朽の名作。かくいう私もその一員である。弊校図書館にも今年入荷されたので、読んでほしいなあ。同じ館シリーズの「時計館の殺人」「黒猫館の殺人」まではせめてたどり着いてほしい…! ただし、バラバラに読むとネタバレを食らう恐れがあるので、必ず刊行順に読むこと。ただMapilaplapは「最初の方は文章が読みづらい」と言っていた。でも最初だけだから! 頑張って!
綾辻行人「Another」
同作者のもう一つの代表作。アニメもヒットし、幅広い層にミステリの良さを広めたとして名高い傑作。ホラーとミステリが融合した作品で、面白いとしか言いようがない。是非に是非に。
鯨統一郎「邪馬台国はどこですか?」
歴史ミステリ短編集。歴史上の出来事に、意外な論理で新解釈を生み出していく、他では得られない感覚の本。ネタバレにはならないから言うけど、読めばあなたも邪馬台国は東北にあると信じるようになります。
井上真偽「探偵が早すぎる」
「巨額の遺産を相続した女の子を殺そうとする一族 vs 女の子が雇った事件を未然に防ぐ探偵」という話。百花繚乱のトリックと探偵の推理の対決がエグいよ! 頭脳戦好きな人は絶対読んでくれ。
井上真偽「その可能性はすでに考えた」
同作者の代表作をもう一つ。あらすじは、「ある事情から奇蹟(聖人が起こす人智を超越した現象)の存在を信じたい探偵が、ある不可解な事件をそれが奇蹟だと証明するために、人間によるトリックが弄された可能性を潰しまくる」といった感じ。複雑だけど、結局内容は「トンデモトリックを考えるvsそれを論理的に否定する」に終始します。そもそものトリック立案がすごい上に、探偵が紡ぐロジックもそれ以上にすごい。論理のドッグファイトというか、もうすごい。頭脳戦好きな人はこれも絶対読んでくれ。損はさせない。
青崎有吾〈裏染天馬〉シリーズ
最近の作品で学園ものだから、読みやすさはトップレベル。さらにキャラが立ってて面白い。なおかつロジカルな犯人当てが中心という素晴らしいシリーズ。フーダニットの面白さを存分に味わえる。ただし、短編集の「風ヶ丘五十円玉祭りの謎」は日常の謎もので、長編とはそこが違うけど、これも面白いので無問題。私は最新刊「図書館の殺人」が一番好きです。
有栖川有栖〈学生アリス〉シリーズ
有栖川有栖作品はどれも端正で読みやすく良心的なので全部おすすめだけど、絞るなら初期の代表シリーズのこれ。「月光ゲーム」から連なるこれらは、長編は全部クローズドサークルものの犯人当て。マイベストミステリである、3作目の「双頭の悪魔」まで、せめて読んでほしい……。
相沢沙呼・梓崎優ほか「放課後探偵団」
なんか前にも書いたけど、めっちゃ良い。質が高すぎるアンソロジー。梓崎優『スプリング・ハズ・カム』だけでも読む価値が全然ある。全人類、これを読め。梓崎優つながりだと、「叫びと祈り」も超おすすめ。
相沢沙呼「マツリカ・マトリョシカ」
学園ミステリの里程標的傑作。キャラクター小説と本格ミステリが見事に融合されている。主人公の成長を描く普通の小説としても、二つの密室に挑む多重解決ミステリとしてもハイレベルで楽しめる。紡がれる華麗なロジックと大胆不敵な密室トリックは出色。一応シリーズ3作目だけど、前作を読んでいなくても大きな支障はないかと思う。とにかく読みやすくて完成度が高いので、是非読んで……。
米澤穂信「春期限定いちごタルト事件」
〈古典部〉シリーズに並ぶ、作者のもう一つの青春ミステリシリーズ、〈小市民〉シリーズの一作目。一般市民を目指して互恵関係にある二人が、しかし願いとは裏腹に、数々の日常の謎に出会ってしまう。キャラの造形が絶妙でいいし、読めばシリーズを追っかけたくなるはず。そして、私はこれ収録の短編『おいしいココアのつくり方』が大好きなんです……。いかにしておいしいココアが作れたのか、という世界一瑣末なんじゃないかと思うような不可能状況。しかし、それを巡る丁々発止の推理合戦は、謎のスケールなんて本格ミステリに関係ないんだと気づかせてくれた。最高の日常の謎短編。

本に慣れている人向け

ある程度長いとか難しい文章も読めるのであれば、薦めない理由がない作品。

北村薫「空飛ぶ馬」
文章はちょっと難しくなるし、教養があふれてて何言ってるかようわからん時もある。でも、語りが優しくて小説として超いいし、日常の謎のパイオニアとして読むべきだとも思うし、何より私は表題作が大好きです。他のみんなは『砂糖合戦』と『赤頭巾』こそ読むべきって言うんだ……。
エラリー・クイーン「Xの悲劇」
悲劇四部作の始めの一作。論理の妙をめっちゃ味わえます。有名なのは「Yの悲劇」だけど、私はこっちの方が好み。あとシリーズ最終巻「レーン最後の事件」は読む価値あると思ってるので、叶うならばシリーズ完走してほしい。古くて海外作品だから、読むのは体力使うと思うので、ほいほいとはおすすめできないのが残念なんです。
ジェフリー・ディーヴァー〈リンカーン・ライム〉シリーズ
作者は「ツイストの帝王」の異名を取る人で、これは超弩級ジェットコースターサスペンスシリーズです。どんでん返しに次ぐどんでん返しで楽しすぎる。外国作品でしかもだいぶ長い(単行本は余裕で枕より厚い、文庫本は上下巻)から物怖じするけど、ページをめくる手が止まらないので恐ろしいほど速く読み終わります。しかも既刊15作。これが15回も楽しめるだなんて! 2作目の「コフィン・ダンサー」は、もともと作者はこれでシリーズを終わるつもりだったらしく、全部詰め込んだ最高の一冊になっているので、「ボーン・コレクター」が面白かったら是非に。
島田荘司「占星術殺人事件」
ミステリ史に残る大トリックが印象的な名作。どのくらいすごいかというと、「金田一少年の事件簿」にパクられるくらい(' 一読の価値はある。
泡坂妻夫「しあわせの書」
「これ読んでないとか人生損してる」と確言できる一作。なぜならこの作品でしか味わえないものがあるから。あまり深く言うとネタバレになるので、君もネタバレを食らわないうちに読むんだ!
長沢樹「消失グラデーション」
これも学園もので、主人公が消えた被害者の謎を探偵役と共に追う話。読めば、刺さるものがあるはず。当時中1だった私は、ちょうどいい所で国語の授業が始まったのを克明に覚えております。くそがあああああ
浅倉秋成「教室が、ひとりになるまで」
いわゆる特殊設定ミステリで、ある能力を得た主人公が、同じく能力を得てクラスメイトを殺している人と対決する話。作者は「伏線の狙撃手」と言われていて、気持ちいい伏線回収を楽しめます。伏線って、いいよね。
市井豊「聴き屋の芸術学部祭」
日常の謎系の連作短編集。主人公は大学生で、文章は読みやすいタッチです。『からくりツィスカの余命』が一番世評は高い。私は『濡れ衣トワイライト』が一番好きです。
米澤穂信「さよなら妖精」「王とサーカス」
前者は、高校生が主人公の青春ミステリ。ユーゴスラビアから来た少女マーヤは、忘れ難い体験を残して去っていった。ユーゴ動乱が勃発した翌年、主人公たちはマーヤがユーゴスラビアの“どこ”に帰郷したのか推理する……。場所当てというミステリ的要素も勿論いいんだけど、何よりマーヤたち登場人物が良すぎる。何度だって読みたい、最高の一作。そして後者は、その続編。高校生が大人となって、新たな物語が始まる。ジャーナリズムの意義を問う骨太の作品でもあり、沁みる長編。大人になったら必ず再読しようと思っている。
ダン・ブラウン〈ラングドン教授〉シリーズ
特に「ダ・ヴィンチ・コード」が有名。暗号ミステリx歴史ミステリxジェットコースターサスペンスなシリーズ。海外でしかもちょっと長いけど、鬼つよリーダビリティのおかげで全然ものともせずに読めます。物語の面白さは「天使と悪魔」、暗号のハイレベルさは「ダ・ヴィンチ・コード」、ミステリ的要素は「インフェルノ」が、それぞれ好き。

ミステリをある程度読んでいる人向け

今のところそんな人いないのが悲しすぎる。そこの君、これになる気はないかい?

倉知淳「星降り山荘の殺人」
初学者でも全然いいとは思うけど、やっぱりちょっとはミステリに親しんでからがいいのかなと思う。吹雪の山荘×犯人当ての傑作。とても良い。
米澤穂信「儚い羊たちの祝宴」
ダークミステリ短編集。『玉野五十鈴の誉れ』が特に名作の誉れ高い。あんま気負わず読んでほしいけど、私は鳥肌が立ちました。これが気に入れば、「満願」も是非。
ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」
表題作はもちろん、他にもいくつかどう考えても傑作な短編が収録されている。論理のアクロバットが楽しめます。
柄刀一「密室キングダム」
あるマジシャンの邸宅で起こる連続密室事件を、名探偵南美希風が解き明かす本格ミステリ。なんと密室が5個も出てくる、超重厚な一作。図書館で取り寄せたら想像の4倍分厚かったのはいい思い出です(' いかんせん長い。でもその分のクオリティはある。
大山誠一郎「密室蒐集家」
密室ものの連作短編集。作者は特徴的なトリックで有名で、一度ハマると癖になる。アリバイもので、ドラマ化もされた「アリバイ崩し承ります」もあるよ!
麻耶雄嵩「螢」
すごいです。なんと言ってもあの鬼気迫るようなクライマックス。誰かと共有してええええ。
法月綸太郞「法月綸太郞の功績」
稀に見る高水準な本格ミステリ短編集。現代日本ミステリを代表する『都市伝説パズル』も収録。私は『=Yの悲劇』が一番好きですね。
鮎川哲也「黒いトランク」
アリバイ崩しものの金字塔。鬼貫警部が一手一手犯人に近づいていくのがたまらない。鉄壁のアリバイが崩れた瞬間は楽しくって仕方がない。「黒い白鳥」もいいよ!
阿津川辰海「名探偵は嘘をつかない」
知性に殴られた。完成度がめちゃ高くて、いろんな魅力が詰まってる。読んでて超楽しかった。

信頼できる人向け

つまり、「こんな本紹介しても嫌われないだろう」と思っている人向けである('

歌野晶午〈密室殺人ゲーム〉シリーズ
ぐう鬼畜しか出てこねえ問題作。ただし品質は保証できる。「自分の考えたトリックを実践(=殺人)して、顔や声を互いに隠している仲間はそれを推理して当てる」という倫理観のバグったお話。でも面白いよ!
麻耶雄嵩「神様ゲーム」
麻耶雄嵩の作品を読んだことがないなんて人生損しています。この作品は初学者にぶつけたいけど理性で抑え込んでいる。メルカトル鮎シリーズも是非。やっぱ『答えのない絵本』はいいよ。
中山七里「連続殺人鬼カエル男」
めっちゃ面白いジェットコースターサスペンス。ただし殺害シーンが若干グロいので、人には薦めづらい。そこのシャブ中、どうです?

あとがき

さて、ここに書かせていただいたことで、急に聞かれても落ち着いて答えられそうです。ありがとうございます。

そして毎度のことですが、いかにも詳しいですよ、たくさん読んでますよみたいなこと書いてますけれど、実際そんなことないのでお気をつけください。

重ね重ねになりますが、もしこの文章を読んでいるあなたが、「これちょっと気になるなあ」というものがあれば、是非読んでみて! 絶対面白いとまでは言えないけど、ある程度の品質は保証できると思うので。

以上、ここまで私は、ひとつのユーモアもなく、あなたたちの目を癒すこともないような内容を、傲慢にも自己満足によって書き連ねてきました。にも拘らずこの記述を最後まで読んでくださったことに、深く感謝します。


P.S.今まで書いた中で、以下に列挙する作品は私が所持しているので、声をかけてくれれば貸しますよ!(布教の為なら労を惜しまない男'

  • 米澤穂信「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」「遠まわりする雛」「ふたりの距離の概算」「いまさら翼といわれても」「さよなら妖精」
  • 綾辻行人「黒猫館の殺人」
  • 鯨統一郎「邪馬台国はどこですか?」
  • 青崎有吾「風ヶ丘五十円玉祭りの謎」
  • 有栖川有栖「双頭の悪魔」
  • 相沢沙呼・梓崎優ほか「放課後探偵団」
  • 相沢沙呼「マツリカ・マトリョシカ」
  • 北村薫「空飛ぶ馬」
  • ジェフリー・ディーヴァー「ウォッチメイカー」
  • 泡坂妻夫「しあわせの書」
  • 倉知淳「星降り山荘の殺人」
  • 歌野晶午「密室殺人ゲーム王手飛車取り」「密室殺人ゲーム2.0」
  • 麻耶雄嵩「神様ゲーム」

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Ich habe „Die Verwandlung“ gelesen ― die Impressionen
Guten Tag!
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  Es gibt wohl niemanden, der das Buch „Die Verwandlung“ von Franz Kafka nicht kennt, und einige von Ihnen haben es vielleicht sogar auf Japanisch gelesen, glaube ich. Aber es gibt auch wohl niemanden in WikiWiki, der das Wunderbar an der Originalversion kennt.

  Wie ich bereits im der Titel erwähnt habe, habe ich es gelesen; aber nichts habe ich gefunden. Was denken Sie über die Gründe dafür? Einfach, das liegt daran, dass ich kein Deutsch verstehe! Ich schreibe das hier zwar auf Deutsch, aber, mein Deutsch kommt fast nur aus „CROWN ― Basisworterbuch Deutsch“, „HANDBUCH DER DEUTSCHEN GRAMMATIK -2., neu bearbeitete Auflage“ und „DeepL“, nicht aus meinem Hirn.

  »Ich möchte meine Impressionen an dieses Buch schreiben!« - das ist meine Hoffnung, aber es scheint, dass ich das nicht kann. Scheiß auf die Welt, scheiß auf die Sprachbarriere!

  Es gibt noch niemanden in WikiWiki, der das Wunderbar an das Original „Die Verwandlung” kennt.

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『象は鼻が長い』備忘録
構成も分かりにくい上に文章も汚いですが、直す気は起きません。話半分で読みましょう。
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 三上章『象は鼻が長い』を読んだ。浅学の芯は三上の主張を否定する術など持たず、読了の頃には三上文法の正当性をほとんど疑わなくなっていた。本草では、同書において私自身の理解もまだ危うくない前半部分を紹介し、記憶の言語化によって再整理を図るとともに、諸賢にもその正しさを味わっていただきたい。


 「象は鼻が長い」のような「Xは……xが……」型の文は、主に「どれが主語なのか」といった論点において、かねてより日本語文法界に激論をもたらしてきた。今日まで、さまざまな文法学者が説明を試みてきたものである。現行の学校教育文法の根幹となっている橋本文法では、「鼻が」は述語「長い」の主語、「象は」は述部「鼻が長い」の総主語であるとして説明されている。この説明は、学校文法漬けの生活を送ってきた我々にもなかなか膾炙するものではなかろうか。しかし、三上による説明はこうである:「象は」はその本務として述語「長い」の題目を提示し、かつ兼務として連体格「象の」を示す。また、その連体格「象の」は体言「鼻」に係り、主格「鼻が」は、用言「長-」に係る。

 いったいどういうわけなのか。まず、「ハ」には本務と兼務とがあるということである。以下の文例群Aをご覧いただきたい。

文例群A:

  1. ワタシハ、幹事デス。
  2. 象ハ鼻ガ長イ。
  3. 会場ハ、幕ガ張ッテアリマス。
  4. 花ハ、彼ガ折ッタニチガイナイ。
  5. 父ハ、コノ本ヲ買ッテクレマシタ。
  6. 彼女ハ、顔カラ血ガ引イタ。
  7. 会場ハ、余興ガ始マッテイル。
  8. 予算ハ、サキニ衆議院ニ提出シナケレバナラナイ。
  9. キノウハ、大風ガ吹イタ。

 上の文例では、二重線部すなわち「〜ハ」によって、文の題目が示されているという。「〜ハ、」は「〜について言えば、」の心持ちだ、と言われれば、母語話者の我々にも一応納得するところがある。助詞「ハ」の本務とは、この「題目を示す」はたらきのことである。なお、「〜ハ」は文末まで大きく係り、述語と呼応する。

 ここで、題目が示された文から、題目要素を取り去っ(=無題化し)た文について論じたい。「〜ハ」が題目を示すのだから、意味を変えずに助詞だけを変えればよい。三上はこの操作を、文末に koto (疑問詞のある疑問文では ka)を付すことで行った。すなわち、

文例群A':

  1. ワタシガ幹事デアル koto
  2. 象ノ鼻ガ長クアル koto
  3. 会場ニ幕ガ張ッテアル koto
  4. 彼ガ花ヲ折ッタニチガイナイ koto
  5. 父ガコノ本ヲ買ッテクレタ koto
  6. 彼女ノ顔カラ血ガ引イタ koto
  7. 会場デ余興ガ始マッテイル koto
  8. サキニ衆議院ニ予算ヲ提出シナケレバナラナイ koto
  9. キノウ 大風ガ吹イタ koto

といった具合である。なお、日本語として自然な形を取るために「デス」「アリマス」が「デアル」「アル」に置き換えられていたり、「キノウ」のあとに助詞ゼロがあることを示すためにスペースが挟まれていたりする。

 無題化し、すなわち「ハ」の本務を取り除いたときに顕在化するのは、それまで潜在していた「ハ」の兼務である。ずばり「ハ」は、その兼務として「ガ」「ノ」「ニ(デ)」「ヲ」(「ゼロ〔時のゼロ〕」)、まとめて「ガノニヲ」の代わりとなる。実際に、文例群A-1、A-5の「ワタシハ」「父ハ」は文例群A'-1、A'-5において主格項「ワタシガ」「父ガ」に、文例群A-2、A-6の「象ハ」「彼女ハ」は文例群A'-2、A'-6において連体格項「象ノ」「彼女ノ」に、文例群A-3、A-7の「会場ハ」(共通)は文例群A'-3、A'-7において処格項「会場ニ」「会場デ」に、文例群A-4、A-8の「花ハ」「予算ハ」は文例群A-4、A-8において対格項「花ヲ」「予算ヲ」に、そして文例群A-9の「キノウハ」は文例群A'-9において時格項「キノウ∅」になっているようである。ここで注意したいのは、「ガノニヲ」が係る範囲は小さく、「ガニヲ」類でせいぜい述語から付属語や用言の活用語尾を取り去った部分まで、「ノ」で直後の体言までである、ということだ。

 助詞「ハ」には、述語の項をひとつ取り立てて文の題目を示し、文末まではたらく本務と、「ガノニヲ」の代わりとなり、述語の語幹まではたらく兼務とがあるのである。

 三上は、概ね次のようなことを、同書のところどころでくどいほど述べている――多くの国文学者がさも当然のように掲げる「主語」の概念は、日本語文法においてまったくの野暮で、ほとんど意味をなさない。「象の鼻が長い」における「長-」の項「象の」「鼻が」は、助詞「ハ」を用いて、「象は鼻が長い」「象の鼻は長い」というように主題として同様に取り立てることができるのだから、「〜ガ」のみを特別視し、そのうえ「〜ハ」と一緒くたにして「主語」というレッテルを貼るのは、非常に不可解だと言わざるを得ない。このような論理は西洋文法の流用によるものであろうが、その無批判な輸入が、日本語独特の形式を無碍にしてしまっている。


 以上が共有すべき事項であった。ただし『象は鼻が長い』の真価とはこの程度のものではない。詳細を求める諸賢、あるいは正当性に疑問のある諸賢は、ぜひ一度同書を手にとり、熟読することでその欲求を満たしていただきたい。

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公序良俗に関するあれこれ
キュアラプラプ
公序良俗に関する掌編集。
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この記事には一部の人を不快な気持ちにしかねない記述・表現が含まれています。免責事項もお読みください。

編者のことば
文章がまとまらなさすぎたので、掌編集という形をとり、湧き起る感情を三つに分かつことにしたのですが、その内での品質の起伏がひどく大きくなってしまいました。許せ。

クソガキ、邂逅

ああ、いかにも。小学三~四年生の頃の私は、まごうかたなきクソガキであった。

恣意的で誇張めいたインターネット上の文字列を下から上に流すだけの日本国賛美動画に溺れ、両腕を失いながらもその愛国心を強く把持する曾祖父(架空)のエピソードをコメント欄に投稿するネトウヨだった。

感情たるダサい物品なぞ我が心には存在しないのだと頑なに信じ、インターネット上に蔓延るグロ画像(笑)を閲覧して「ネギトロと思えば平気だよwww」などとまあ自慢げに周囲に吹聴して歩き、サイコパスのあらぬ疑いを自らにかけて悦に浸るバカだった。

そう、クソガキであったのだ。痛々しいクソガキであったのだ。うう、キーボードを叩く手が硬直しはじめたぞ。

もちろん現在の私は、目も当てられぬネトウヨで自称サイコパスのガキではない。過去のある地点で私はそれを辞めたからだ。

前者は母親に割とガチでキモがられて悲しくなったから。そして後者は―――己の極まりない愚かさに気づかされたためである。

それは誰か大人に諫められた結果でもなければ、良識あるクラスメイトに指摘された結果でもない。

ところで―――もしもあなたの身近に目も当てられぬ自称サイコパスのクソガキがいるならば、一刻も早く更生させてやるべきだと思わないかね。安心してほしい。手段はひどく簡単だ。

年不相応かつ病的にグロテスクなコンテンツを摂取させ、その生意気を生理的嫌悪の暴力によってねじ伏せれば良いのだ。

『終わらない夏休み』という小説がある。作者不詳。ネット上で無料で見れるので是非とも読んでみてほしい。

あの頃の私は、「検索してはいけない言葉」を検索することで、己の"特殊な人物である"欲を満たしていた。「ひよこミキサー」とかを血眼になって探し、わざわざダウンロードさえしたのだ。

そして、いつしかたどり着いたのがその小説だった。当然私は舐めてかかった。文章ごときが画像や動画を超える嫌悪感を醸造することは不可能だと。そしてグロ画像・動画の閲覧を厭わないこの俺は、そんなもの余裕で読破できると。

1話目を読んだ。2話目を読んだ。私は熱烈に、血の気を後退させ、熱烈に、吐き気を催した。違う、違う、馬鹿な、こんなはずでは。3話目を読んだ。吐き気は加速度的な盛り上がりを見せた。

ここで私は閃いた。もう数話だけ適当なところを読んで、明日になったら教室の中、「『終わらない夏休み』を読んだ」という決して嘘ではない嘘をつき、周囲から羨望と奇異の目を浴びよう、と。

それらの話数なんてもう覚えてはいないが、ぼんやりと内容は記憶している。早鐘を打つ心臓に急かされ、一刻も早くそのミラーサイトのフッターまでたどり着くべくスマートフォンを素早くスクロールし、しかし目に入ってしまったいくつかの記述。

陰唇まわりに数十本もの針を突き刺したり、膣内に大量のタバスコを直接注ぎ込んで身重などと揶揄したり、その塗炭を嘲笑したりする、あの文字列群の為す耐え難い悪辣。

私は自己の極まりない愚かさに気づかされた。しかしそれは、汚泥を啜るような口当たりではなく、むしろ清々しい吐き気として、ただ私は、自称サイコパスを辞めた。

感動ポルノ・ポルノ・感動

感動したい。私は感動したがっている。だって楽しいじゃん、感動するの。

まあ、かほど極端ではなくとも、人間がたいてい感動したがっているというのは間違いないだろう。私もその内の一人である。

障がい者が懸命に生き、何か挑戦をする姿を目玉として放映する24時間テレビは、一部では"感動ポルノ"とさえ揶揄されていながら、いつも多くの人に視聴される。

"ドラ泣き"を売りにする『STAND BY MEドラえもん』は続編を出したし、鬼滅の刃遊郭編のアニメにおいて、鬼の"哀しい過去"回が大トリの長尺シーンだったのは記憶に新しい。

質の優劣に関わらず、莫大に存在するこのような感動系コンテンツは、無論のこと大きな需要によって裏打ちされているのだ。

しかし、何故我々人間は感動したがるのだろう。私はこれについて「感情を揺さぶられたいから」だと思っている。これはトートロジーではない('。

例えば、芯は利用者サンドボックスにて「記憶を抹消し、叙述トリックをもう一度読む」という野望を述べている。これは、もう一度叙述トリックに見事騙されて感情を揺さぶられたいからだろう。

えっとね、なぜ急にこんな当たり前のことをしたり顔で言い始めたのかというとね、つまり私は断固として、公序良俗に反したコンテンツによる感動の形を断固として主張したいのである。断固として!

何だお前、じゃあお前よ、泣ける話だの笑える話だのスカッとする話だのを貪りながらなんでポルノだとかリョナだとかをぎゃあぎゃあぴいぴい排斥するんだよお前、

お前それは、お前それはコンテンツとして成立するなら日陰で繁茂させるべきであってだなお前、それをお前くっだらねえ世間体によってお前、いやお前ゾーニングしてるんだからよお前よ、ほらお前この草子にも注意書きあるだろお前、

故になあ、お前だから公序良俗書けっつってんだろお前、己を解き放てよ馬鹿野郎、だからほらなんか、公序の名のもとに自らの根源的欲求を首肯し、お前だからお前公序書けよお前よ、おい。

だからお前ほら、さっきも言っただろほら、なんか文章ってのはな、素晴らしい効果をもたらすんだよ、ほら、お前じゃあお前美術作品だの漫画だのみてえな小難しい媒体をお前誰もができるわけじゃねえだろお前よ、

でもお前文明人たるものお前母語話者ではあるだろお前せっかく言語活動が可能なんだからよお前文章を書けよ、だからお前文章書けっつってんだろ聞いてんのかコラ、

その点WikiWikiのメインコンテンツは書き物だからよお前、だからお前こんな諦め混じりのゴミ雑文を読んでる暇があるんだったらお前公序良俗に反する記事を書いてだなお前、だから公序良俗に貢献しろってことだよ、お前よ。

えー、大変申し訳ありませんでした。

四肢切断 難しい

もうなんか、『感動ポルノ・ポルノ・感動』の序盤で文章力を使い果たしてしまったので、推敲も何もせずめっちゃ雑に書きなぐるんだけどさ、

まあ、俺はね、正統派公序良俗に反する記事として『四肢切断』を書きてえなあと思ってるのよ。

それがさ、ガチで難しいんだよね。いやまあ、ただ四肢を切断するだけなんだったら簡単なんだけど、やっぱ公序たるもの良い文章を書かないといけないじゃん。

それでさ、まあ、『ゲロ』にも実は四肢切断が入ってるんだけど、これはまあ、片方の腕を切断した時点で失神させてるんだよね。

まあなんでかっていうと、これは俺が勝手に提唱してる概念なんだけど、「公序ボルテージ」を保てなかったからなんだよ。

公序ボルテージっていうのは、なんかこう、なんつーかな、ひどさ具合とでも言うか。

そう、それでこの公序ボルテージがね、まあ記事、というかまあ何かしら一つのコンテンツ内で、一貫して上昇傾向にあるほど良い公序だと思うんだよね。

だからまあ、ゲロなんかでは、これのために最後の切断シーン以外では痛み描写に感嘆符を用いずに書いといて、

それでカタルシスを高めて解放することで、まあなんか技巧的な公序ボルテージの上昇を達成してるんだよ。まあ、そう俺は信じてるぜ('

でもね、それでも四肢切断は一本分の描写が限界だったんだよね。そう、俺の文章力じゃあねえ、公序ボルテージを四肢の切断をまたいで上げていくことがマジで難しいんだよ。

ほんとにこのままだと不可能に近そうでね、まあなんか、途中で爪はいだりとか挟んだりしようかなあとか思ってるんだけど、まあねえ、どうしようかな、ガチで。

うーん、まあ、だから四肢切断はしばらくお預けな感じだわ。うん。いやね、さっきも言ったけどね、みんなもっと正統派公序書いてほしいわ('

よく考えたら、「正統派公序」ってなんだよ(' それもうボランティアとかそういうのだろ('

そう、なんかさ、ゲロ的なのを書いてくれるとさ、ほら、WikiWikiという共同体においていい効果がもたらされるからさ、頼むぜ、マジでよ。

いま思ったんだけどさ、この駄文のタイトル「四肢切断 難しい」ってさ、バラバラ殺人事件に憧れ、それを遂行しようとているものの思いのほか行き詰ってしまった人の検索履歴みたいじゃね?('

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叙述トリックについて
Notorious
記事「叙述トリック」のネタバレあり。
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この文章には記事「叙述トリック」のネタバレが含まれています。
必ず当該記事を読んでから、この文章をお読みください。

叙述トリック」を読んだ人のみ、続きをお読みください。
最後通牒です。ほんとに読みましたね?

拙作「叙述トリック」を執筆するにあたり、私はあることを意識した。それは、あくまで記事であることである。

単に叙述トリックの使われた物語になってしまえば、それはノベルという方が相応しくなってしまう。物語の形式を取っていても、あくまで叙述トリックとは何であるかを解説する文章であろうとした。

その出来はともかく、そうしようとすると、やはり各種叙述トリックを実践したくなる。一例を挙げるだけでは弱い。では、叙述トリックにはどんな種類があるのだろうか? 私は、2つの観点から、それぞれ2つに大別できると思う。

1つ目の観点は、トリックの意義。そう、記事中でも述べた、意味あり叙述意味なし叙述である。詳しい説明は記事中にあるため、割愛させていただく。

では、作中のどれがどっちに当たるか。言うまでもないかもしれないが、「兄は2人いた」という叙述トリックが意味あり叙述、「語り手たちは囚人だった」という叙述トリックが意味なし叙述である。前者はプリン盗み食い犯人当てに関わるが、後者は全くの無関係だからだ。

2つ目の観点は、伏線だ。いや、伏線という観点から叙述トリックを分類するのではなく、叙述トリックという観点から伏線を分類すると言った方が適切かもしれない。その前に、叙述トリックの伏線について少し書こうと思う。

叙述トリックは伏線なしでは語れないほど、両者は密接な関係にある。まあ当然なことではあるが。叙述トリックでは、作者が故意に記述をコントロールすることで、読者になんらかを誤認させる。だが、読者が誤認するということは、その誤った解釈をする方が自然ということである。だから、何も工夫がされていなければ、読者は怒るだけである。「いや、どう考えてもこの解釈が正しいだろう!」と。それを防ぐのが伏線の役割だ。「いいえ、あなたの解釈はあり得ない。だってここにこう書いてあるじゃないですか」と、納得させるのだ。このように、叙述トリックには伏線が必要不可欠なのだ。伏線が効果的かつ自然であればあるほど、それはいい伏線だと言える。

閑話休題、ならば伏線はどのように分類できるか。私は、その特性ならびに発動する時によって、2つに大別できると思う。その2つとは、論理的伏線(解決編伏線)感覚的伏線(再読時伏線)だ。ただし、意味あり・なし叙述とは違い、これらの概念は完全に私のオリジナルである。

では、詳細について述べていこうと思う。まず、論理的伏線とは、それが伏線であることに気づくには、論理立てて考えないといけないものだ。わかりにくいから、「叙述トリック」から例を出そう。例えば、部屋のドアの開き方のくだりである。これは、まず記述から「ドアの開き方が違う」ということに気づき、そこから「部屋が別」「つまり人も別」と考えを働かせていかねばならない。また、お誕生席云々も同様である。このような伏線は、模範解答を示さないと、そもそも伏線であることに気づいてもらえない。そうなっては伏線の役割を果たせない。だから、解決編で回収が行われる。そのため、驚きは解決編を読んでいるときに訪れる。これが、論理的伏線ないし解決編伏線だ。

もっとも、いわゆる最後の一撃フィニッシング・ストロークのために、種明かしを必要最低限にし、詳しい説明を解説がやるなんて作品もある。解説がついてない単行本じゃあ売れなかったのもわかるよ。だって意味不明な終わり方だもん。

では次に、感覚的伏線。これは、論理的伏線とは反対に、理解に論理的な思考がいらない伏線だ。なら読まれた瞬間見破られるんじゃないかって? いや、他の記述によって、誤った解釈に誘導されてしまうのである。そのため、誤認が明らかになった後、もう一度読んでみると、「どう考えてもこう解釈する方が普通じゃないか、なぜ気づかなかったんだ!」と歯がみすることになるのである。楽しい。この瞬間のために生きてるまである。

このように、再読時に効果を発揮するから、再読時伏線と命名した。逆に、このような伏線はあまり解決編で回収されない。なぜなら、作中人物は至って当たり前の言動をしているだけで、読者が勝手に勘違いしているだけだからである。非叙述トリック、例えば密室トリックなどは、解明されれば登場人物も驚く。しかし、叙述トリックは違う。かかっているのは読者、かけているのは作者であり、登場人物は一切関わっていないからだ。

これも「叙述トリック」で例を挙げるなら、語り手が労働について話す場面や、登場人物がガールフレンドに「面会」しに行く場面だろうか。成否はわからないが、作者としては、再読時の驚きが増すよう意識した。単に「働いた」と書けば、まさかそれが刑務作業だと考える人はいるまい。見破られないようにするにはこれが一番確実だ。でも、驚きという面ではよろしくない。先入観なしに読めば真相が丸わかりであるような記述であればあるほど、読者の驚きは増し、叙述トリックの質は上がるのだ。

余談だが、個人的には論理的伏線が上手いのがとある大御所作家、感覚的伏線が上手いのがとある寡作な作家だと思っている。前者の某作品の、あまりの伏線量とスケールのデカさ。後者の某作品を読んだ時の、感嘆と多幸感、そして伏線の大胆さ。忘れがたい体験だ。叙述トリックが仕掛けられていると言ってしまった時点でネタバレになるため、大々的に言えないのが悲しい定めだ。そのくせ、あらすじや本の帯なんかには「驚異のどんでん返し!」「世界が一変!!」などと書いてある。死ね。だが、知らずに不意打たれた時の衝撃や、薄々わかっていても想像を超えられた時の感覚は素晴らしい。

追記になるが、某作を読んで、叙述トリックの可能性を最近感じた。叙述トリックは、読者に何かを誤認させるものだ。だから、読者が勘違いして思い描く「虚像」と、真相たる「実像」があるわけである。そして、この両者の間の隔たりが大きければ大きいほど、驚きは増す(傾向にあると思う。一概には言えないけど)。桃太郎が仲間を連れて鬼退治に行く物語だと思っていたのに、実は亀に連れられて竜宮城で享楽に耽る話だったらびっくりするだろう。しかし、限界というものがある。亀に連れられて竜宮城で享楽に耽る話を、桃太郎が仲間を連れて鬼退治に行く物語に見せかけるのは至難の業だろう。どんなトリックを使えばいいのか見当もつかない。

しかし、しかしである。私は先日、某作を読んだ。君も読め! その作品は終盤、怒涛の展開を迎えた。私は何が起こっているのか、しばし理解できなかった。ありえないことが語られているのである。しかし、混乱した頭でなおも読み進めると、朧げながら別の「像」が見えてきた。ありえない像だった。そこで私は焦ってページを巻き戻した。なんとなんと、ありえたのである。まさに離れ業であった。唖然呆然、世界が見事なまでのシライ3を決めたのである。

この離れ業を成り立たしめたのは、叙述トリックの組み合わせ技であった。明言は避けるが、二つのトリックを用いて二つの誤認を生じさせ、実像とはねじれの位置にある虚像を、読者の目に映し出したのである。叙述トリックは、あまり種類があるわけではない。亀を雉に、玉手箱をきび団子に、乙姫を鬼に見せかけるトリックは存在しない(いやあるかもしれんけど)。だが、たとえ単純なトリックでも、それらを組み合わせることで、全く違う虚像を見せることができるのだと、私は知った。叙述トリックが10しかなくても、そこから二つ選ぶ組合せは45にものぼる。叙述トリック界の未来は、まだまだ明るいなあと、私は嬉しくなったものである。

ここまで、私が叙述トリックについて考えることを書いてきた。「叙述トリック」を書いてみて、やはり名作と言われるものには到底及ばないなと感じた。発想もそうながら、驚きを演出するための筆力と大胆不敵さ。プロの作家はやはり物凄いと思い知った。拙作は優秀な叙述トリックものとは言えないだろう。でも、もしあなたがこれをきっかけに、叙述トリック作品に興味を持ってくれたなら、そしてあの驚きを味わってくれたなら、これほど嬉しいことはない。でも、「叙述トリック 名作」とかでググってくれるなよ? 絶対な? 広範にミステリに手を出して、偶然ぶつかるのが一番幸せな読み方だぞ??

では、あなたが、ついでに私も、これからいい叙述トリック体験ができることを祈り、締めさせていただく。

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労働と自由
キュアラプラプ
単純労働と自由労働、その分水嶺はどこなのだろうか。
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 タイトルから社会主義的主張を語る草子を期待してしまった人がいたら申し訳ない。なんも関係ないので('

 さて、私は記事分類学に新たな視点を見出してみた。そう、「労働」だ。

 労働記事とはつまり、クリックなり何なりの行動を読み手にさせることについて、全体を通して主軸に据えた記事である。そして、これは自由度の程度によりさらなる分類が可能だ。

 現在、労働記事の主流は、自由度が低い「単純労働記事」である。デバイスの画面を全選択することによって隠された記述が浮かび上がってくる「あぶり出し」に始まり、表の展開をギミック的に用いている「『呪術廻戦』ファンの夢を叶えるページ」「『呪術廻戦』ファンの細やかなニーズに応えるページ」「展開s」、記事内リンクによる移動で記述を進行させる、「粛清されました」「今、死ぬ?」「死ねカス」などがあたる。

 これら単純労働記事の本質は、つまるところ誰が操作を行っても同じ結果になるというものだ。誰がCtrl+Aを押しても、誰が[展開]を押しても、その出力は完全に一つだけに定まるのである。

 この点において、「ヨーグルト」は特殊なものとなっている。「労働」は「ガチャを引く」を押すというだけなのだが、その結果はランダム性を持っており、人によって違う出力がなされるからだ。

 ただし、この性質は読み手の行動に起因するものではない。モジュール:選り抜き記事によって生じるランダムな数値を{{#switch}}の引数として、それらの返り値の分布を操作することで、ヨーグルトガチャは確率的に記述を変化させているのであって、これは読み手の操作といえるものではないのだ。

 このことから、「ヨーグルト」は、自由度の高い労働記事というよりはむしろ、「ヨーグルトガチャを起動させる」という結果をもたらす単純労働記事に近いものとされるだろう。

 そして、自由度が高い「自由労働記事」。これは、操作について読み手に選択の余地があり、なおかつその操作によって違う結果が生じるというものだ。現在、自由労働記事には「デデ二オン」と「便所の落書き」の二つがある。

 自由労働記事の利点は、当然ながら没入感を高められることだ。自分のとる行動がページに影響していく、というのは、臨場感を醸成させることを容易にする。文字媒体のみでそれを作り出すのには、かなりの、もしかするとプロ並みの筆力が必要になるだろう。しかし自由労働記事では、それを構成するのが素人の書く文章であろうと、完全に読み手をページの中に設置することができるのである。

 しかしながら、問題とまではいかないがちょっとしたデメリットもある。それは、作者に大変な気力がいることだ。自由労働記事をちゃんとしたシナリオを組んだうえで作るためには、莫大な選択肢の組み合わせにおいて読み手が通るルートを全て想定し、その論理的整合性を検証しまくらなければならない。とにかく作業量が多いのだ。ガチで大変である。ガチで。

 さらに、作者のみならず読者にも気力が必要だ。このため、少なくとも「トートロジー」や「円周率」のようなコンパクトに刺してくる記事には全然向かない形式である。

 しかし、頑張って練った記事案をこのような形に落とし込めた時の達成感にはエグいものがあるので、常習者諸賢も、是非とも自由労働記事を書いてみてはいかがだろうか。


おまけ:「便所の落書き」制作の経緯

 「トイレという狭い閉鎖空間から、壁に書かれてあることを頼りにしながら脱出する」という着想は、有名な意味怖の「右を見ろ」みたいなやつからきている。トイレの壁にある情報源として、現実的にもっとも自然なのはまあ落書きであったので、これをもとに「治安が悪いトイレ」という舞台設定からシナリオを考えていった。

 そしてもとより、私はこれを労働記事として書くことに決めていた。つまり、いわゆる脱出ゲーム的なものを作るためには、自由労働記事の形態が不可欠であったのである。

 「粛清されました」や「死ねカス」の経験を継いで、アンカー(#の後のやつ)を駆使していこうと考え、最初にその方法として思いついたのが「カウント」と「フラグ」の導入であった。

 読み手を時間経過によって殺すために、操作(=選択)の回数を記録する役割を持つ「カウント」と、エンディング分岐のための条件を満たす操作をしたという記録を引継ぎ、どこでも参照できるようにする役割を持つ「フラグ」。これらをアンカーの名前に組み込むことで、各状態を管理する、という形である。例えば「#3a」の状態だと、操作を3回行っていて、プラスドライバーを持っている、的な感じだ。フラグはアルファベット一字に割り当てている。いわば、古のドラクエの「ふっかつのじゅもん」みたいなものだ。知らんけど('

 また、操作と操作の間に、読み手に何が起こったのかを知らせるやつも必要だったので、フラグの下位概念として説明フラグを取り付けた。トイレットペーパーをクリックしただけで、何も説明されずとも自分がプラスドライバーを入手したことに気づく人はいないだろう。多分('

 さらに、説明フラグにもさらなる下位概念としてサブ説明フラグを取り付けた。これは、例えば「#4ac」の状態(操作を4回行っていて、プラスドライバーとスマホを持っている)の説明フラグ状態「#4acn」に到達するには、「#3a」からスマホを取るのと、「#3c」からプラドラを取るのの二つがある。このため、「#4acn」を「#4acna」と「#4acnc」のように分割したりした。ここら辺から訳が分からなくなってきたので、サブ説明フラグの位置はものによって違ったりしている。(例えば「#5abc」の説明フラグでは、サブが後ろの方にある「#5abcnb」「#5abcnc」「#5abcng」と、前の方にある「#5abcdn」「#5abcen」「#5abcfn」がある。わけがわからないよ。)

 そんなこんなしていくうちに、エグイことになったのだった。当記事のソースの<div id="なんちゃら">の部分を見てもらえれば分かると思うが、めちゃくちゃ多い。死ぬ。死んだ。

 その後も、選択ハブやら壁やらイベントやらの状態(つまりその各種類と各リンク先たち)を指定するテンプレートを作ったり、あるアンカーのときにそれと対応するやつだけを表示させるためのcssを書いたり(これはびっくりするくらい短く行けた。疑似クラス「:target」を教えてくれた管理者に惜しみない感謝を。)、うわあああああああ!!!だった。

 結局、下書きやら構成やらギミックの整理やらのために使ったパソコンのテキストファイルは実に11個、総計約125KBとなった。ピロリ語よりデカいじゃねえか。

 まあでも、頑張った甲斐あってめちゃくちゃ満足している。ガチのバグっぽいのを見つけたら、遠慮なく報告し、給え。

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徒然草@ミステリ執筆
Notorious
徒然なるままに書きつくった駄文。随時追加。
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この草子には、『顔面蒼白』のネタバレが含まれます。必ずこれを読んでからこの草子をお読みください。

小説としてのミステリ

推理小説は、当然だが小説に含まれる概念である。よって、小説としての体裁が整っていないと、ミステリ的評価の前に駄文となってしまう。

私がそんなことを思ったのは、現在(2年9月15日)私が『田中邸事件』の執筆に苦心しているからである。これまでに連続して書いてきた『陽成祭事件』や『顔面蒼白』は、そんなことなかった。筆がのっていて、後者なんか改稿を除けば2日で書けたくらいである。でも、『田中邸事件』はいまいち筆が進まない。どうしてだろう? 考え、私は結論に至った。それは、小説的に良くないからだと。より具体的に言えば、「小説としてのテーマの欠如」である。

『陽成祭事件』は『名探偵武者小路の事件簿 消えた打出の小槌の謎』のリメイクであり、動機とかキャラの立たせ方は物語らしく工夫した。それに加え、リメイクに際してあるテーマ(まだ発表していないので明言は避けさせてもらう)を据えて、小説としている。

『顔面蒼白』は、もともと文芸部の文集に載せる話ということで、小説になっていなければ話にならない。これにおける小説としてのテーマは、犯人が追い詰められていく過程である。まあ、元からこれを狙って書いたのではなく、書いてみたらこうなって嬉しいというのが実際のところではあるが。

このように、今まで書いた2作には、それぞれ小説としてのテーマが核となってあるのだ。だから筆がのった。

しかし、『田中邸事件』にはそれがない。その原因は、もともとが推理"クイズ"用のシナリオであるからだ。つまり、筋書きが全てで、キャラクターなどは幾らでも替えが効くのである。だから、これをそのまま小説にしようとすると、核となるテーマがないから、こんな風に苦心することになる。

だから、今からどうにか小説的テーマを付加させようと私は思っている。情景描写に特化させようか、あるいは主人公に何か苦悩させようか、それとも倫理的問題を提起しようか。

まあ、つまるところ、『田中邸事件』の完成はまだ暫く後になりそうである。


理想のロジック

ロジックは、私が目指すミステリには必要不可欠なものだ。犯人当てに限らず、どんでん返しものにも時には必要となる。真相を導き出すため、また導き出せたのだと読者に納得させるため、作者はロジックを腐心して案出する。

ロジックの基本的な形は、こうだろう。誰が犯人か、あるいはどうやって犯行をなし得たか判らない茫漠とした自然状態がある。そこで、ある手掛かりから導かれる推論が、自然状態と食い違う。そこで、犯人候補が特定ないし除外されるのだ。

私が理想と思うロジックは、この"手掛かり"の意外性が高いものである。

誰かが刺殺された事件で、そのナイフが手掛かりとなってロジックが派生するのは、あまり好ましくない。なぜなら、手掛かりになりそうなものだからである。読者は「それが手掛かりかも?」と思っているだろうし、見破られやすくもなる。ただ、盲点をついた意外な論理を思いつければその限りではないが。誤解しないでいただきたいのは、この論は私が"執筆する"時のことであって、プロ作家の作品を批評するものではないということである。

閑話休題、私は意外な手掛かりから導かれるロジックが理想的だと考えているのだ。その点、『顔面蒼白』の木刀のロジックは気に入っている。成否はわからないが、不意を打てていたらいいなと思っている。

あのロジックの肝は、僅かに余談に出たのみの木刀が、ラストで主人公を追い詰めるところである。あの余談を聞いた時点で、よくよく考えれば、主人公は寝室に木刀がある蓋然性が高いと判断できたのである。犯人が最初からわかっている倒叙ミステリでは、ロジックはこういう使い方をするんじゃないかなあと思っている。あまり読んだことがないのでよくわからないが。

繰り返すと、「意外な手掛かりからロジックを派生させたい」ということである。プロの作品を引き合いに出すと、相沢沙呼の『マツリカ・マトリョシカ』とか最高である。

どうにかいい感じのロジックを思いつけないものだろうか。


枠と骨

ミステリを執筆するには、主に2つのものを思いつく必要があると私は思う。それを、私は「枠」と「骨」と呼んでいる。

枠とは、大まかな話の流れである。犯人当てなのか、倒叙ものなのか。事件はいつ起こるのか。名探偵はいつ登場するのか。結末はどうするのか。そういうシチュエーションのようなものを、枠と呼んでいる。これは、発想力次第で面白いものをどんどん思いつける。

一方、骨とは、ミステリ的仕掛けのことである。ロジックやトリックの、考え抜かれたもの。これがないと、ミステリとして成立しない。私は大体これを思いつけなくて苦吟する。

枠だけでは、細部が何も決まっていないから、物語にできない。骨だけでも、それを生かす物語がないから、推理小説にはできない。2つが揃ってようやく、ミステリができるのだ。

私の場合、枠のストックはそこそこある。なぜなら、妄想を膨らませるだけでいいからだ。かと言って、骨のストックが皆無であるわけでもない。『青桐湖事件(仮題)』に使おうと思っていた骨が、無期限凍結されている。枠の力で瑕疵を乗り越え、どうにか形にならないかと思っている。

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脚注

  1. 詳細は分かんな~い
  2. purge(分離する, 粛清する)
  3. 未公開草子で小4のNotoriousにどっかの図書館のパンフレットを持ってきたことが言われてるくらい


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