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「へえ、物騒な探偵もいたもんだな」
「へえ、物騒な探偵もいたもんだな」


「ナイフで刺され、殺されかけた酒井は、人のいない大キッチンの中を無我夢中で逃げながら考えた。この殺人者を止めるにはどうしたらいいのか、必死に考えた。同僚として働いた年月の記憶をなぞり、そして、ついに思い出した――彼の{{傍点|文章=悪癖}}を」
「おそらくこんな感じだろう――ナイフで刺され、殺されかけた酒井は、人のいない大キッチンの中を無我夢中で逃げながら考えた。この殺人者を止めるにはどうしたらいいのか、必死に考えた。同僚として働いた年月の記憶をなぞり、そして、ついに思い出した――彼の{{傍点|文章=悪癖}}を」


「……」
「……」


「探偵は――不可解なものに関して『理屈付け』をしなければ気が済まない性格をしていた。ひとたびその『モード』に入れば、何時間でも熟考してしまう。……成功するかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。そう思った酒井は、近くの調味料の棚から瓶を取り出し、それで地面に文章を書いた。難解で、意味不明な文章だ。あるいはこれが殺人者の足止めになってくれるかもしれない――結果的にこれは失敗した。探偵はその『ダイイングメッセージ』を読まないままに、酒井を殺してしまったんだ」
「探偵は――不可解なものに関して『理屈付け』をしなければ気が済まない性格をしていた。ひとたびその『モード』に入れば、何時間でも熟考してしまう。……成功するかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。そう思った酒井は、近くの調味料の棚から瓶を取り出し、それで地面に文章を書いた。難解で、意味不明な文章だ。あるいはこれが殺人者の足止めになってくれるかもしれない――結果的にこれは失敗した。探偵はその『ダイイングメッセージ』を読まないままに、酒井を殺してしまったんだ。……それを読めていたらどうなっていたかは分からないが、もしかしたら一時間以上は稼げたかもな。{{傍点|文章=今と同じように}}」
 
「……しかし、『探偵』はそれを読まなかったんだな。一体どうしてだ?」
 
「三年前、酒井が運転していた車が、事故を起こした。当の酒井は奇跡的に無傷だったが、同乗していたその『探偵』の身体には、ある深刻な後遺症が残ってしまった。一流シェフとしての将来を約束された身だった彼が、事故のあと調理師を引退したのもそのせいだった。……これを知って、俺は驚いたよ。何でシェフを辞めたのか、聞いても絶対に教えてくれなかったが……こういうことだったんだな。非常に稀な、極めて例を見ないような症例だが、事故の際の頭部強打が原因で、お前は正常な『{{傍点|文章=料理のさしすせそ認識能力}}』を失ってしまった。強度の『{{傍点|文章=料理のさしすせそ盲}}』になってしまったんだ。そうなんだろ?」
 
「……そうだ。あの事故のせいで、俺のこの目は『とても調理師を続けられないようなダメージ』を受けた。それまで見えていた『料理のさしすせそ』を奪われてしまったんだ。事故以前の目には、まぎれもなく『砂糖』『塩』『酢』『醤油』『味噌』として見えていた調味料たちが、どうしてもそうは見えなくなった。……俺は酒井を憎んだ。だが俺は、それを忘れることにしていたんだ。憎しみに心を蝕まれたくなかった。すべての料理との思い出に蓋をして、新しい人生を歩みたかったんだ。だから……この探偵事務所を開いた。天職だとは思わないが、それでもそれなりに楽しい生活だった。しかし、あの日……」
 
 赤田は写真を内ポケットに戻した。そこには、彼なりの旧友への憐憫があった。
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