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<br> 残り1分00秒。俺は、意を決して、階段を上る一段目に足をかけた。 | <br> 残り1分00秒。俺は、意を決して、階段を上る一段目に足をかけた。 | ||
<br> | <br> ──{{傍点|文章=違和感}}。感じたのは、それだった。何か、重大なことを見落としているような、違和感。目の前に横たわっているのに、寝ぼけて気づけていないような違和感。 | ||
<br> 足が、止まる。さっき決したはずの心が、揺らいでいる。何か見落としている。何か、何か……。 | <br> 足が、止まる。さっき決したはずの心が、揺らいでいる。何か見落としている。何か、何か……。 | ||
<br> | <br> ──{{傍点|文章=松葉杖}}? | ||
<br> 掴みかけた。今、確かに、違和感の正体を掴みかけた。体中がじんわりと温かくなる。もう少し! もう少しで判る! 何だ? 松葉杖がどうしたんだ? 今掴みかけたものは、何だ? | <br> 掴みかけた。今、確かに、違和感の正体を掴みかけた。体中がじんわりと温かくなる。もう少し! もう少しで判る! 何だ? 松葉杖がどうしたんだ? 今掴みかけたものは、何だ? | ||
<br> | <br> 俺は頭を抱えて蹲った。何か見落としていると、本能が、無意識が、深層心理が告げている。早く気づけと叫んでいる。何だ? 何を見落とした? 掴むべきものは、何だ? | ||
<br> 時計の針がカチッカチッと進んでいく。残り49秒、48秒、47秒……。このままでは、1つの目的地にすら辿り着けない。だが、無策に走り出すことを、頭が拒んでいる。まだ人事を尽くしきっていないのだと訴えている。 | <br> 時計の針がカチッカチッと進んでいく。残り49秒、48秒、47秒……。このままでは、1つの目的地にすら辿り着けない。だが、無策に走り出すことを、頭が拒んでいる。まだ人事を尽くしきっていないのだと訴えている。 | ||
<br> 勘違いかもしれない。思い込みかもしれない。でも、捨てきれない。何だ? 何を見落とした? | <br> 勘違いかもしれない。思い込みかもしれない。でも、捨てきれない。何だ? 何を見落とした? | ||
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<br> エレベーター、曲がり角、渡り廊下……。40秒。 | <br> エレベーター、曲がり角、渡り廊下……。40秒。 | ||
<br> 松葉杖、松葉杖、あの時俺は松葉杖に何を感じたんだ? 何を掴みかけたんだ? 39秒。 | <br> 松葉杖、松葉杖、あの時俺は松葉杖に何を感じたんだ? 何を掴みかけたんだ? 39秒。 | ||
<br> | <br> 松葉杖、松葉杖、松葉杖……。{{傍点|文章=階段}}? | ||
<br> ──掴んだ。 | <br> ──掴んだ。 | ||
<br> 残り36秒、考えるより先に、俺は走り出していた。掴んだものを離さないうちに、頭の中で反芻する。 | <br> 残り36秒、考えるより先に、俺は走り出していた。掴んだものを離さないうちに、頭の中で反芻する。 | ||
<br> | <br> {{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は階段を下りてきたのか}}? すなわち、{{傍点|文章=なぜ}}、{{傍点|文章=松葉杖をついた女生徒は}}、{{傍点|文章=エレベーターを使わなかったのか}}? | ||
<br> | <br> 足にギプスをはめた彼女にとって、階段を下りるのは相当な難事だっただろう。転げ落ちるリスクもあるし、現に彼女はこけている。手助けしてくれる人もいなかったし、情報教室はエレベーターとも近い。エレベーターが使用中だったとしても、急いで危険な階段を使うよりは、普通エレベーターを待つだろう。なのに、なぜ? 簡単だ。使わなかったのではなく、{{傍点|文章=使えなかったのだ}}。 | ||
<br> 残り24秒。階段を2段飛ばしで駆ける。 | <br> 残り24秒。階段を2段飛ばしで駆ける。 | ||
<br> | <br> 疑問は、それだけではない。教室を出て、廊下の外を見たとき。{{傍点|文章=外は夜のように暗かったのに}}、{{傍点|文章=どうして電波塔がくっきりと見えた}}? {{傍点|文章=内側より外側が暗いと}}、{{傍点|文章=ガラスは鏡のように}}、{{傍点|文章=内側からの光を反射する}}。なのに、なぜ覗き込む俺の顔は映らず、外がはっきり見えた? それは、{{傍点|文章=室内が}}、{{傍点|文章=室外と同じくらい暗かったから}}。 | ||
<br> 教室の電灯は消えていた。いつもと違う感覚を覚えたのも、渡り廊下がいつもより暗かったからではないか? 廊下の電灯はすべて消えていたのではないか? エレベーターのランプも、点いていなかったのではないか? | <br> 教室の電灯は消えていた。いつもと違う感覚を覚えたのも、渡り廊下がいつもより暗かったからではないか? 廊下の電灯はすべて消えていたのではないか? エレベーターのランプも、点いていなかったのではないか? | ||
<br> これらの状況証拠から導かれる推論はこうだ。 | <br> これらの状況証拠から導かれる推論はこうだ。 | ||
<br> {{傍点|文章=今}}、{{傍点|文章=沢渡高校は停電している}}。 | |||
<br> 残り17秒。足が滑り、危うく段を踏み外しそうになるが、すぐに走り出す。 | <br> 残り17秒。足が滑り、危うく段を踏み外しそうになるが、すぐに走り出す。 | ||
<br> | <br> 生徒たちが妙に騒がしかったのも、停電という非日常な状態ゆえではないか? なら、なぜ停電しているのか。原因は判らない。だが、今の天気からすると…… {{傍点|文章=雷が落ちた可能性はないだろうか}}? | ||
<br> 落雷で、ブレーカーが落ちたか、近くの電線が切れたか。そうして今ここは停電しているのではないか? 夢で聞いたバズーカの轟音。それが、実は雷が落ちる音だったのではないか? | <br> 落雷で、ブレーカーが落ちたか、近くの電線が切れたか。そうして今ここは停電しているのではないか? 夢で聞いたバズーカの轟音。それが、実は雷が落ちる音だったのではないか? | ||
<br> 残り9秒。階段が終わり、目的地はすぐそこ。乱れた息を整えることもせず、最後の力を振り絞って走る。 | <br> 残り9秒。階段が終わり、目的地はすぐそこ。乱れた息を整えることもせず、最後の力を振り絞って走る。 | ||
<br> もしそうなら、もし停電するほどの雷が近くに落ちたのなら。 | <br> もしそうなら、もし停電するほどの雷が近くに落ちたのなら。 | ||
<br> | <br> {{傍点|文章=プールが決行されるわけがない}}。 | ||
<br> 確証は無い。仮定に仮定を積み重ねた空論だ。でも。 | <br> 確証は無い。仮定に仮定を積み重ねた空論だ。でも。 | ||
<br> 残り3秒。扉に手をかける。 | <br> 残り3秒。扉に手をかける。 | ||
<br> 体育館で授業が行われる確率は、二分の一よりも高いのではないか? | <br> 体育館で授業が行われる確率は、二分の一よりも高いのではないか? | ||
<br> 人事は、尽くした。 | <br> 人事は、尽くした。 | ||
<br> | <br> 残り1秒。俺は{{傍点|文章=体育館}}の扉を、勢いよく開けた。 | ||
<br> その瞬間、体育館内が突如明るくなった。眩しさに俺は思わず目をつぶる。そして、同時に授業開始のチャイムが鳴り響いた。 | <br> その瞬間、体育館内が突如明るくなった。眩しさに俺は思わず目をつぶる。そして、同時に授業開始のチャイムが鳴り響いた。 |
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