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観客席のボルテージは最高潮だ。各フロアに設置されたフロントには、今日のオッズが張り出されている。最も人気なのは『三ターン』、最も不人気なのは『殺されない』という賭けらしく、『殺されない』場合の払戻金は一万倍と表記されていた。もっとも、それはただのいたずら書きだったが。二人の警官は、男をエスカレーターの上まで連れてきて、縄をほどいた後、自らも観客席に移動した。どこからか現れた支配人の助手らしいスーツ姿の男が、クリームパンダと思想者にそれぞれ七枚のトランプカードを渡し、これにて『駄段々』の準備は整った。 | 観客席のボルテージは最高潮だ。各フロアに設置されたフロントには、今日のオッズが張り出されている。最も人気なのは『三ターン』、最も不人気なのは『殺されない』という賭けらしく、『殺されない』場合の払戻金は一万倍と表記されていた。もっとも、それはただのいたずら書きだったが。二人の警官は、男をエスカレーターの上まで連れてきて、縄をほどいた後、自らも観客席に移動した。どこからか現れた支配人の助手らしいスーツ姿の男が、クリームパンダと思想者にそれぞれ七枚のトランプカードを渡し、これにて『駄段々』の準備は整った。 | ||
「ああ、そうだ、観客の市民諸君は当然ご存じだろうが、一応説明しておこう。今、このサーカスに存在するルールは、『駄段々』のルールだけだ。こいつは死んでも守らないといけない。こいつを破れば、そこにいる警官に射殺されちまうからな。あの{{傍点|文章=女帝}}にそう命じられているらしい。……しかし、裏を返せば、それ以外に守らないといけないルールなんて一つもないんだ。どういう意味か分かるか? つまり、エスカレーターの上の演者たちの間に、{{傍点|文章=法は存在しない}}んだ! 勝手に言ってるわけじゃないぜ。これも{{傍点|文章=女帝}}が定めたことだ。だからもし俺様がゲーム中にこいつを殺しちまっても、何も問題はない。『駄段々』のルールには、『対戦相手を殺してはならない』なんて一言も書かれてないからなあ! 分かったか、危険思想者の生き残り!」 | |||
しかし、思想者の顔に張り付いたにやけ顔は一向に曇らない。 | しかし、思想者の顔に張り付いたにやけ顔は一向に曇らない。 | ||
「なるほど、なんでもありだな。じゃあ逆に、俺がお前にしょんべんをぶちまけたって何も問題はないわけだ!」 | |||
これには、観客席からも笑い声が飛んだ。こういうタイプの思想者は、やはり時々現れてくるのだ。今回のサーカスは面白くなりそうだ。 | これには、観客席からも笑い声が飛んだ。こういうタイプの思想者は、やはり時々現れてくるのだ。今回のサーカスは面白くなりそうだ。 | ||
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「……よし、じゃあ俺は『数字カード』の黒の4を使おう」 | 「……よし、じゃあ俺は『数字カード』の黒の4を使おう」 | ||
この停止したエスカレーターのステップは全部で50段で、よほどの強運で手札に大きい数字のカードが上から順に集まっているでもない限り、必ずどこかで嘘をつく必要がある。ゲームを盛り上げるには、うってつけの階段だった。ただし、場の浮かれた空気とは裏腹に、あるいはその陽気さが異常なものであることを示すだけかもしれないが、エスカレーターにはところどころにべったりと血がついていた。以前の『賭け駄段々』で殺された思想者のものだ。クリームパンダがおどけた表情で観客席を笑わせている間に、男はそのまま4段を下り終え、ターンはクリームパンダに移った。 | |||
「俺様は黒の3だ。おっと、お前の真上だな。これはラッキーだ」 | 「俺様は黒の3だ。おっと、お前の真上だな。これはラッキーだ」 | ||
113行目: | 113行目: | ||
――なぜこの「賭け駄段々」が、勝者がどちらかについての賭けをしないのか。その答えは単純で、{{傍点|文章=これは出来レースだから}}だ。この「駄段々」のゲームの展開は、すべてクリームパンダに仕組まれている。そもそも、「指や歯を手札にしたばば抜き」だとか、そういうほとんど残虐な刑に違わないようなサーカスが各地で行われている中で、このクリームパンダの「賭け駄段々」だけがただの「殺されるかもしれないゲーム」だなんていう{{傍点|文章=うまい話}}はないに決まっている。これはゲームの形を借りた単なる殺人ショーなのだ。これを可能にするのが、{{傍点|文章=手札の操作}}であった。クリームパンダに配られる手札、そして思想者に配られるカードは、事前に決められたものだった。クリームパンダの手札は「Qが三枚、JK、黒の3、赤の10、赤の9」、そして思想者の手札は「Kが二枚、黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が一枚」だ。これによって作られる最初の見せ場が、この「取引」だった。 | ――なぜこの「賭け駄段々」が、勝者がどちらかについての賭けをしないのか。その答えは単純で、{{傍点|文章=これは出来レースだから}}だ。この「駄段々」のゲームの展開は、すべてクリームパンダに仕組まれている。そもそも、「指や歯を手札にしたばば抜き」だとか、そういうほとんど残虐な刑に違わないようなサーカスが各地で行われている中で、このクリームパンダの「賭け駄段々」だけがただの「殺されるかもしれないゲーム」だなんていう{{傍点|文章=うまい話}}はないに決まっている。これはゲームの形を借りた単なる殺人ショーなのだ。これを可能にするのが、{{傍点|文章=手札の操作}}であった。クリームパンダに配られる手札、そして思想者に配られるカードは、事前に決められたものだった。クリームパンダの手札は「Qが三枚、JK、黒の3、赤の10、赤の9」、そして思想者の手札は「Kが二枚、黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が一枚」だ。これによって作られる最初の見せ場が、この「取引」だった。 | ||
一ターン目から二ターン目までの間、思想者の手札の中の{{傍点|文章=使える}}「数字カード」は、実質的に二枚の黒の4だけだ。赤のJや10は、思想者がどの段にいようとも――ゲーム開始時はもとより、黒の4を使ったときの4段目、二枚目の黒の4を使ったときの8段目では、階段を上りきるという敗北条件を満たしてしまうから――使えない。だから、思想者は最初は必ず黒の4を使う。そこに、黒の3を使ったクリームパンダがやって来て、「取引」を持ちかけるのだ。ちなみに、クリームパンダの手札の赤の10と9は、この取引でKと交換するカードとして用意されている。なぜこの組み合わせなのかといえば、先程の赤のJや10と同様、「使えないから」だ。さて、パンダの実銃にも怖気づかず、このゲームにひょっとすると勝てるかもしれないと思っている傲慢な思想者は、この取引を持ち掛けられたとき、それを断るか、あるいは二枚のKのうち一枚だけを渡す。もし残ったKで「革命」を起こせたら、例の赤のJや10を使って、ひといきにこのゲームに勝利できるかもしれないからだ。無論、クリームパンダは思想者の「革命」すべてを打ち消せる分のQを持っているからそんなことは起こりえないし、そもそもこういう無礼を働いた時点で、思想者はJKによってその{{傍点|文章=分かりきった手札}}を公開され、殺される。……今起ころうとしていることは、まさにそのパターンだった。 | |||
しかし驚くべきことに、男がにやけ面で公開した七枚の手札は――黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が二枚、そして{{傍点|文章=赤の9が一枚}}だった。 | |||
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「どうした? 俺は全部の『革命』を起こせるカードをお前に渡したぜ? この中に何か{{傍点|文章=俺が持ってちゃいけないカード}}でもあるのか?」 | 「どうした? 俺は全部の『革命』を起こせるカードをお前に渡したぜ? この中に何か{{傍点|文章=俺が持ってちゃいけないカード}}でもあるのか?」 | ||
言い終わらないうちに、クリームパンダは手札を左手に持ち替え、右手で拳銃を構えた。指はトリガーに掛かっている。それを横目に見た瞬間、思想者の男は即座に体制を低くし、パンダに渡されたばかりのピストルを回転をかけて投げ飛ばした。男の拳銃がクリームパンダの右手に命中し、パンダが自らの拳銃を撮り落とした瞬間、思想者はすかさずパンダの意識の外にあった彼の左手から手札を奪い取り、床に落ちた二丁の銃と共にエスカレーターの下方向に投げ飛ばしてしまった――それも、かなり地面に近いところに。瞬く間に、フォークダンスのような鮮やかさで、クリームパンダはすべての手札と拳銃を失った。 | |||
「お前え……どういうつもりだ!」 | |||
「よし、俺のターン。もちろん黒の4だ」 | |||
そう言って、男はさらに4段を下る。 | |||
「言っとくが、俺はルール違反なんて一切してないぜ? 『相手の手札をどっかにぶちまけてはならない』なんて言ってなかったよな? さて、これでお前は俺を殺せない。さっき見せたばかりの黒の4を疑って、無駄な『駄段々』でもしてみるか? 俺がお前の5段下にいる以上、銃を失ったお前の攻撃は、ひとつも俺には届かない。まあ、ゲームのルールを無視して突っ込んできたって、別に俺は構わないぞ。愚かな思想者に出し抜かれた、最も愚かなサーカス執行人として、お前があそこの警官に射殺されるだけだからな。悔し紛れに俺にしょんべんでもひっかけてみるか? 5段下まで届くお前唯一の攻撃手段だ!」 | |||
観客席はたちどころに動揺し始めた――この状況で、クリームパンダに何ができるだろうか? 彼は拳銃を失ったばかりか、もはや一枚も手札を持っていない。思想者は黒の4を繰り返し使い続けて、いつか50段を下りきるだろう。それを止める術を、クリームパンダは持っているのか? ……あるいは嘘の「数字カード」の宣言によって、思想者より先にゴールすればいいかもしれない。しかし、クリームパンダの宣言する「数字カード」は、すべて嘘であることが明らかだ。どうにかしてたどり着いたとしても、そこで『駄段々』をされてしまえば、一転、即座に敗北のペナルティを食らうことになる。ルールに則れば、これは{{傍点|文章=詰み}}だ。 | |||
「ビャハハハハ! ビャーッハッハッハッハ!」 | |||
クリームパンダは、ひきつった、歪んだ笑顔で、大笑いを始めた。 |
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